被災者の本音、学生が引き出した 映画「いわきノート」プロデューサー浅井隆さんに聞く【3.11】

東日本大震災で被災した福島県いわき市を舞台にしたドキュメンタリー映画「いわきノート FUKUSHIMA VOICE」が、5月10日(土)から東京・渋谷のUPLINKで公開されている。筑波大学の学生11人が、「福島の人々の声を世界に」を合言葉に情景を織り込みつつ、被災地の人々の声と住民らの未来への思いを描いた作品だ。

東日本大震災で被災した福島県いわき市を舞台にしたドキュメンタリー映画「いわきノート FUKUSHIMA VOICE」が、5月10日(土)から東京・渋谷のUPLINKで公開されている。筑波大学の学生11人が、「福島の人々の声を世界に」を合言葉に情景を織り込みつつ、被災地の人々の声と住民らの未来への思いを描いた作品だ。

映画「いわきノート」より

映画「いわきノート」より

いわきは、かつて炭鉱でにぎわい映画「フラガール」でも知られる。大震災では446人が犠牲となり、現在も東京電力福島第1原発の周辺町村から2万人以上の避難民を受け入れている。人々には、放射能や環境変化など様々なストレスが重くのしかかっている。

筑波大の学生らは2013年9月、職業も年齢も異なる人々が集って大震災の経験や思いを語る場「未来会議inいわき」を軸に、なめこ農家や漁師、子育てする母親、保育士、弁護士、仮設住宅で生活する人、高校生らの姿を追った。カメラは会議だけでなく、参加者の日常をも捉えた。

作品のプロデューサーで映画を制作したUPLINK社長の浅井隆さん(59)に見どころを聞いた。

■いわきは「日本の縮図」

Q そもそものきっかけはなんですか。

A 筑波大に「創造的復興プロジェクト」という復興プロジェクトがあり、いわきを拠点に活動をしていました。私も震災に関する映画などの情報収集を手伝うことになったのですが、いまはデジカメでだれもが簡単に映像を撮れる時代であり、いわきでフィールドワーク的に取材をして自分たちでまとめられないか、という話になりました。

Q 「いわき」には、作品の舞台としてどういう意味がありますか。

A 福島県の中では、放射線量の点では、原発に近い双葉町などよりも相対的に低く、原発の廃炉に携わる人たちが集まっています。いわきから出て行く人たちもいる一方で、様々な事情で出て行けない人たちもいます。日本の縮図のような感じもしました。まだら模様があるということです。

作品中、線量が高いからすぐに子どもを連れていわきから出て行きたいという弁護士のお母さんが出てきます。一方で、震災後2週間の時点で保育園の再開を決めた保育園の理事長は「いわきを動けない人たちがいるから。その現実を私たちは受け止めなくてはならない」と話します。また、広島出身で親が被爆者というお母さんは「子どもが庭の木に登って遊んでも構わない」と言います。作品は偏ることなく、様々な意見を織り込みました。

「いわきノート」プロデューサーの浅井隆さん

Q 主義・主張が強い作品ではないですね。

A 大手メディアやジャーナリストといったプロが「上から目線」で話を聞くのとはまた違い、住民の本音を捉えられたと思っています。住民らの「学生たちに教えたい」「体験を伝えたい」という気持ちが出ていると思います。

Q 浅井さんらはどう学生らを支えたのですか。

A 興味のある学生が集まってきたけれど、正直カメラを初めて持つ「ど素人」でした。私たちが映画製作のノウハウを教えました。学生たちも、撮影の1週間の間に成長しました。誰に話を聞くのか、どこに取材に行くのかは学生が自分で決めました。学生らは放射能への怖さから時には取材に腰が引けるなど戸惑いや苦悩もありましたが、フレッシュな視点も出ていると思います。編集にはプロの僕らが加わりました。作品に盛り込まれずカットした部分はウェブ上にアップする予定です。

Q 今後、各地で上映するのですか。

A いまのところ、つくば市のシネコンで上映する予定で、その後は東北で公開します。商業ベースの映画ではないのですが、できるだけ多くの人に見てもらいたいです。将来的には、ウェブ上でフリーで公開するつもりです。また英語の字幕を付けて、学生たちの思い世界に伝えることも計画しています。

※上映時間など問い合わせはUPLINKへ。一般・シニア1000円、学生500円、UPLINK会員は800円。

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浅井隆(あさい・たかし) 寺山修司の天井桟敷舞台監督を経て、1987年に有限会社UPLINKを設立。 映画の制作・配給・プロデュースを行ない、映画上映やイベントができる「UPLINK FACTORY」や「UPLINK X」、ギャラリー「UPLINK Gallery」なども運営している。ウェブ・マガジン「webDICE」編集長。

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私(中野)は記者として振り出しが新聞社の福島支局でした。この作品では、私が住んでいた90年代後半とは当然大変わりをした人々の雰囲気を感じつつも、住民らが素直に語っているように見える姿に希望を見たような気もしました。また、かつて取材でウェイクボードをしたいわきのビーチが映っていて、懐かしくも思いました。

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