サガン鳥栖ユン・ジョンファン監督、突然の解任 首位走るチームでなぜ?

サッカーJ1リーグ・サガン鳥栖のユン・ジョンファン監督が8月7日、辞任した。首位を走り、好調なクラブを率いながら、突然の解任。その裏には何があったのか。
時事通信社

サッカーJ1リーグ・サガン鳥栖のユン・ジョンファン監督が8月7日、辞任した。後任には吉田恵コーチが就く。8日、クラブが発表した。

首位を走り、好調なクラブを率いながら、突然の解任。その裏には何があったのか。

41歳、選手時代は韓国代表でもプレーした韓国出身のユン元監督は、2007年、J2鳥栖で現役生活を終えると、2008年、鳥栖のテクニカルアドバイザーに就いた。2009年にはトップチームのコーチ、2011年に監督と順調にステップアップ。鳥栖一筋で指導者の経験を積んできた。

豊富な運動量とフィジカルを重視した、速攻主体のチームで成績を上げ、監督就任初年度の2011年シーズンでJ1昇格。クラブとして初めてとなる、J1挑戦初年度の2012年シーズンには5位と大躍進を遂げて注目を集めた。翌2013年シーズンは12位と振るわなかったもののJ1残留。2014年は、ここまで12勝1分5敗で首位につけていた。

クラブでは解任の理由を、方向性の違いとしている。

永井強化部長は、「ことし来年以降の戦いを見据えたなかで監督を交代する決断をした。お互いが新たなステップとして高めていくためだ」と述べ、チーム側からユン監督に退任を打診し、7日付けで契約を解除したことを明らかにしました。

解任の理由については「今後のチーム作りのビジョンや考え方がクラブと合わなかった」と説明しました。

(NHKニュース「首位のサガン鳥栖 異例の監督交代」より 2014/08/08)

鳥栖は人口7万人。J1クラブとしては規模が小さく、選手や監督の年俸などクラブが持つ予算規模も、浦和などいわゆるビッグクラブと比較すると、半分以下。そうした厳しい環境で成績を上げるために、ユン監督が選んだフィジカル重視、速攻重視の戦術が、クラブが描く未来と、折り合いが合わなかった可能性が考えられる。

しかし、解任に直接的な影響を及ぼしたのは、鳥栖の経営状況だろう。

ユン監督が就任した2011年、J2鳥栖の人件費は3億5300万円。これがJ1昇格初年度の2012年には6億1000万円、5位と大躍進を遂げた結果、人件費にも反映され、翌2013年には10億1200万円と、わずか2年で3倍弱にまで膨れ上がっている。

一方で純利益はというと、2011年が赤字、2012年は9000万円の黒字と持ち直したものの、2013年には大幅な人件費増が響き、およそ3億円の赤字を記録した。J1での大躍進が、かえって経営にダメージを与えていたわけだ。

J1に定着に必要な人件費の目安は、10億円以上。浦和、柏、名古屋など大手スポンサーがついた、いわゆるビッグクラブでは20億円前後になる。その中で2012年、6億円の予算で5位に入った鳥栖の成功はまさに「破格」。人件費1億円あたりで獲得した勝ち点を見ると、鳥栖は他のクラブを圧倒し、多くのクラブが3点前後で推移する中、8点を超える。ビッグクラブには不利な比較の仕方とはいえ、2007年まで遡っても、これを超える数字を記録したクラブはない。

そうした、破格の成功の後に訪れた2013年シーズンは前年より4億円積み増した、10億円の予算で臨む。しかしユン監督をはじめ、豊田陽平、キム・ミヌ、池田圭ら主力との契約更改にその多くを費やしたとみられ、主力級の補強は数えるほど。結果も12位と前年を超えることはできなかった。

そして、2014年シーズンはここまで首位と絶好調。このまま上位でシーズンを終えれば、監督を含め、さらなる人件費増が避けられないのは明らかな状況だった。

■引き止めることはできなかったのか?

では、借金をしてでも監督を引き止めて優勝を狙うことはできなかったのか。

それを難しくしているのが、Jリーグが導入した「クラブライセンス制度」だ。この中にはクラブの健全経営を促すための基準も設けられており、3年連続で純損失を出すと、クラブのライセンスが交付されず、J2より下のJFLや地域リーグに格下げとなる可能性がある。

鳥栖の2014年度の予算は、現段階で明らかでないが、仮に純損失を出せば、2年連続となり後がない。2015年シーズンに向けた契約交渉が厳しいものになることは避けられない。

2011年以降の鳥栖の大躍進。それにともなう財政面の問題が、首位にいながらにしての監督解任の一因となったのではないだろうか。

なお、現在のところ、次期韓国代表監督が決まっておらず、ユン監督がこのポストを狙っているのでは、とする報道もある。

ユン監督は、韓国のサッカー専門ウェブメディア「Sportal Korea」の電話取材に答えて、以下のように話したという。

「指導者生活を始めたクラブで、鳥栖への愛は強い。だが、良い結果を出すために最善を尽くしたし、選手とチームをうまく育てられたので後悔はない。

(中略)

代表チームのコーチをするために辞めたという報道を見たが、今回のこととは関係ない。家族たちがより大きな挑戦に向けて励ましてくれている。これから状況はゆっくり考えてみたい」

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