がん患者が安心して過ごせる空間「マギーズセンター」とは? 24歳で乳がん経験、鈴木美穂さんに聞く

2014年9月、東京に“がん患者と支える人の相談センターを作る、「maggie’s tokyo project」(マキーズ東京プロジェクト)がスタートした。イギリス発祥の「マギーズセンター」とは何か。がん患者のサポートには、何が大切なのか。マギーズ東京プロジェクトの共同代表で、24歳に乳がんを経験した鈴木美穂さんに話を聞いた。
Kaori Sasagawa

2014年9月、東京にがん患者と支える人の相談センターを作る、「maggie’s tokyo project」(マキーズ東京プロジェクト)がスタートした。2020年までに、がん患者がサポートを受けられるセンターの設立を目指して、クラウドファンディングを通じて建築費の寄付を呼びかけている。

イギリス発祥の「マギーズセンター」とは何か。がん患者のサポートには、何が大切なのか。マギーズ東京プロジェクトの共同代表で、24歳に乳がんを経験した鈴木美穂さん(写真)に話を聞いた。

■「マギーズセンター」、がん患者が安心して過ごせる空間

マギーズセンターの発案者は、イギリスの造園家、マギー・K・ジェンクス氏。1993年、当時55歳だったマギーは、ある日病院の医師に、乳がんの再発と数カ月の余命を告げられたという。彼女は大きなショックを受けたが、次の患者が診療を待つ病院では、悲しみに暮れることもできなかった。

このつらい経験は、マギーが後に、がん患者やその家族、友人たちが、誰でも気軽に立ち寄れて安心して過ごせる空間を作るきっかけとなる。再発の宣告から2年後、彼女はその空間を見ることなく亡くなったが、建築評論家の夫が1996年、念願の「マギーズキャンサーケアリングセンター」を完成させた。

この活動はイギリスの人々の共感を呼び、2014年現在、イギリス全土で15カ所のマギーズセンター(画像集参照)が運営され、新たに7カ所の建設中だという。2013年には、イギリス国外発となる香港でも開設されている。

Maggies Centre

マギーズセンターの画像集

――鈴木さんが、がん患者をサポートすることになったきっかけは?

2008年に私自身が24歳のときに、乳がんを経験したことがきっかけです。8カ月間つらい闘病生活を送るなかで、相談できる仲間が欲しいと思っても、病院では見つかりませんでした。

友人が病院にお見舞いに来てくれたときは「元気、元気、大丈夫だよ」って笑顔で話すんですが、ひとりのときは「死んじゃうのかな」と不安を感じて、孤独で眠れなくて……うつ状態にもなりました。

自分の経験を通じて、もっと気軽に相談できる仲間や、病気のことを話せる場所が欲しいと思う人は、たくさんいるだろうなと思ったんです。

――24歳でがんを経験されたのですね。

2008年5月に、右胸のしこりに気づいて、念のため検査をしようと会社の診療所に行き、紹介された病院で検査をしました。翌週、検査結果を聞きにいったら、深刻な顔をした先生から「残念ながら、悪いものが写っていました」と宣告されたんです。

仕事の合間でしたが「午後に検査をするので、2時間ほど昼休憩して帰ってきてください」といわれました。いきなり仕事の途中にがんを告知されて、ひとりで放置されて……。本当に「ガーン」というか、頭が真っ白になりましたね。

とりあえず、親や上司に報告しました。勤めていた母が駆けつけてくれましたが、それまで病院の外でひとりポツン。三角座りのような状態でした。「なんで私が」「どうしよう」と考えてしまって、昼食どころではありませんでした。

――その後、すぐ治療が始まったんでしょうか。

がんを告知されて、他の病院でもセカンドオピニオンを聞いたりしましたが、結局手術するしかないことがわかって、検査を経て5月中に手術を受けました。

手術、抗がん剤、放射線治療、ホルモン治療……フルコースの治療。抗がん剤の副作用で、髪の毛も全部抜けました。歩けなくなって、吐き気もすごくて、毎日つらかったですね。

免疫力が落ちているので、食事の制限もありますし、38度以上の高熱は、肺炎を引き起こす可能性があるので、大好きな動物に触れることもできませんでした。

――精神的には、どんなつらさがありましたか?

家族や友人には、本当に支えてもらいましたが、病院の窓からは、東京タワーと会社のビルが見えて……「なんで私、ひとりで髪の毛もなくなって、こんな状態なんだろう」とひとりでよく泣いていました。

年齢的にも、ウィッグをかぶっていると親の付き添いと思われることも多く、患者と思われなかったです。私が点滴をしていると驚かれることが多かったですね。エールの言葉だったのだと思いますが「親より先に死んではいけない」といわれたのも覚えています。

そして毎日、同じ夢を見ました。海を渡ると、そこには大好きな人たちや亡くなった祖母がいるんです。天国ってこういう感じかと(笑)。夢からこの世に戻ってこられない日がくる気がして、だんだん眠るのが怖くなって、眠れなくなって、睡眠導入剤を処方してもらっていたこともありました。

家族によると私は自宅マンションから飛び降りようとしたこともあったそうです。うつ状態だったみたいで、私は当時のことを全然覚えていません。がんを発症した最初の1年間の自殺率は、通常の20倍というデータがあるのですが、もしかしたら本人も自覚していないケースも多いのかもしれませんね。

闘病生活を送っていた頃の鈴木さん

――その経験が、後のボランティア活動につながるんですね。

がんの治療を終えて、暗黒時代を乗り越えてから、SNSを通じて、自分と同じような経験を持つ、若いがん患者の人たちと交流するようになりました。

2009年に、仲間と若年性がん患者のための団体「STAND UP!!」を立ち上げて、若くしてがんになった人を応援するフリーペーパーを作り、全国のがん拠点に置いてもらう活動をはじめました。この活動は、製薬会社さんに共感していただいて、MRの方に、全国に配ってもらっています。

2013年に、がん闘病中でも安心して参加できるヨガなどのクラスを運営する「Cue!」をスタートさせました。場所や講師の方をコーディネートして、料理や習字の教室などを開いています。

――社会が、がん患者をサポートする上で大切なことは何ですか?

「Cue!」の正式名称は、「Cue! ~Congratulations on your Unique Eperience(あなたの特別な経験に、おめでとう)」。「かんを特別な経験と思えるように、それにおめでとうといえるような社会を作りたい」という思いが込められています。

日本は、がんという病気に対して暗い印象があると思いますが、欧米では、“がんサバイバー”には「おめでとう!」「がんと共にありながら今生きているあなたを誇りに思うわ」と祝福の言葉をかけるんです。誕生日カードと同じように、「手術終了おめでとう」「Cancer-free(がん治療後)1周年」などをお祝いするカードもたくさん販売されています。

アメリカでは、ABCやNBCなどのテレビ局が横断的に「STAND UP TO CANCER」というキャンペーンをして、歌手のマライア・キャリーやビヨンセがテーマソングを歌ったこともありました。このように、欧米では、キャンペーンをすることで、社会的な意識を変えてきたんだと思います。

今までは、若くしてがんになった人に向けたイベントを開催していましたが、欧米のキャンペーンのように、これからは周りを巻き込んで、社会を変えていく活動をしたいと思うようになりました。

――「マギーズセンター」を知ったきっかけは?

「STAND UP!!」の発起人として患者のサポートを続けるうちに、2013年3月にスイスで行われた、世界から患者代表が集まる国際会議に呼んでもらう機会があり、海外での活動やワークショップの内容を知ることができました。

そして2014年3月、オーストリアで開かれた国際会議に参加して、「マギーズセンター」のことを知ったんです。

帰国後に調べてみると、がん患者や家族、医療者など、がんに関わる人たちが、がんの種類やステージに関係なく、いつでも予約なく利用できる施設でした。洗練された開放的な空間で、食事や運動などの専門的な指導や、不安を取り除くカウンセリングを受けられる場所だとわかりました。

美術館のように魅力的で、教会のように自分と向き合うことができ、病院のように安心でき、家のように帰ってきたいと思える場所――。

私が今までやってきた活動やワークショップ、これまでの仕事は「全部これのためにあったんだ!」と。「日本にマギーズセンターを作りたい」と思いました。

――共同代表の秋山正子さんとの出会いは?

マギーズセンターを日本語で検索すると、秋山正子さんという名前が何度も出てきたんです。訪問看護士として医療の現場で活躍されていた秋山さんは、すでにマギーズセンターをモデルにした「暮らしの保健室」を立ち上げていました。

国際看護学会でマギーズセンターを知った秋山さんは、イギリスにも見学へ行き、日本にセンター長を招いてシンポジウムを開催するなど、日本の医療界にマギーズセンターを広めるために、尽力されていました。

そこで4月、秋山さんを突撃訪問して「マギーズセンターを作りたいんですが、今どんな状況でしょうか?」と聞いたんです(笑)。「もう進んでいるだったら、私も関わりたいです」と率直な思いを伝えました。

――ふたりが出会って「マギーズ東京プロジェクト」が始動したんですね。

すぐに秋山さんと「一緒にやりましょう」ということになりました。よく私を信じてくれたと思います(笑)。医療者側を理解する秋山さんと、患者側(STAND UP!)や運営側(Cue!)の立場を知る私なら、補い合えることがあると思ってもらえたんだと思います。医療者や行政からの信頼も厚い秋山さんと出会えて、本当に良かったです。

そして5月、プロジェクトを知人友人にお披露目しました。それと同時期に、マギーズセンターの土地も、東京の湾岸エリアに決定したんです。

不動産会社で働いている、友人の青山加奈さんがマギーズセンターに共感してくれて、開発予定の土地のコンペに出してくれることになったんです。青山さんと一緒に急遽香港のマギーズセンターにも視察に行き、紆余曲折ありながらも、無事にコンペで内定をいただくことができたんです。

――マギーズセンターの開設に向けて、今の課題は何でしょうか?

2015年春の着工を予定していますが、その建設費のメドをつけるのが目下の課題ですね。NPO法人化する予定ですし、将来は運営費などもクリアしていかなければならない課題です。

いろんな手法で資金集めをしていますが、今は「READY FOR?」のクラウドファンディングを通じて寄付を呼びかけています。おかげさまで、最初に設定した目標の内装費700万円は達成しましたが、建設費3500万円の到達を目指して、みなさんのご支援をいただければ嬉しいです。

イギリスのマギーズセンターのように、がん患者や家族たちが、安心して過ごせる場所で、無償のプログラムを受けられるサービスを実現していくために、頑張りたいと思います。

【関連記事】

ハフィントンポスト日本版はFacebook ページでも情報発信しています

注目記事