【みんなの党】解党までの5年間を写真で振り返ると、渡辺喜美氏の愛憎劇が見えてくる

11月28日をもって、解党されることが決定した「みんなの党」。自民と民主が政権交代を繰り返す中で、政界の第三勢力として存在感を発揮してきたが雲散霧消することになった。その5年間の短い生涯を写真で振り返ってみると、前代表の渡辺喜美氏の顔ばかりが浮かび上がってくる。

11月28日をもって、解党されることが決定した「みんなの党」。自民と民主が政権交代を繰り返す中で、政界の第三勢力として存在感を発揮してきたが雲散霧消することになった。その5年間の短い生涯を写真で振り返ってみると、前代表の渡辺喜美氏の顔ばかりが浮かび上がってくる。

前幹事長の江田憲司氏、現代表の浅尾慶一郎氏ら党の創立メンバー、さらには「日本維新の会」共同代表だった橋下徹氏らと渡辺氏が固い握手を交わしていた瞬間が、かつてはあった。しかし、渡辺氏はその3人ともやがては強く対立し、党の求心力はどんどん失われていった。「みんなの党」とは名ばかりで、実際には渡辺氏による「私の党」だったのだろうか。

TORU YAMANAKA via Getty Images
渡辺氏と江田氏が固い握手

2009年1月16日、新しい政治団体を作ることで合意して握手を交わす衆院議員の渡辺喜美氏(右)と江田憲司氏
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みんなの党、結成

2009年8月8日、新党「みんなの党」結成の記者会見。解散前の衆院議員4人と、参院議員1人で結党された。手を取り合って撮影に応じる渡辺喜美代表(前列右から3人目、元行政改革担当相)、江田憲司氏(同4人目)、浅尾慶一郎氏(同2人目)ら。(東京都内のホテル)
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結党直後の衆院選で存在感

民主党政権が生まれた2009年8月の衆院選で、みんなの党は7議席を獲得して第三極としての存在感を発揮した。
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初の参院選で10議席を獲得

2010年7月11日の参院選で、みんなの党は10議席を獲得。改選第3党となった。喜ぶ渡辺代表。後ろは参院議員の川田龍平氏。\n
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実業家からの転身

2010年7月30日、初登院し、国会議事堂前で取材に応じるみんなの党の松田公太参議院議員(中央)。松田氏はタリーズコーヒージャパン創業者で、実業家から政治家に転身した。
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「維新」との蜜月時代

2012年10月15日、みんなの党の渡辺喜美代表(左)をあいさつに訪れ、握手する日本維新の会の橋下徹代表。この時点では参院選での選挙協力を進める予定だった。
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2度目の衆院選で議席倍増

2012年12月16日に投開票された衆院選で、みんなの党は合計18人が当選し、選挙前の8議席から議席を倍増させた。
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「維新」と決裂

2013年5月21日、蜜月関係だった「日本維新の会」との決裂が発表された。
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江田氏が幹事長を辞任

2013年8月7日、みんなの党幹事長を退き、記者会見する江田憲司氏=東京・永田町の衆院第2議員会館。
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すきま風が吹く渡辺代表と、江田前幹事長

2013年10月9日、みんなの党の政党ブロック勉強会で発言する渡辺代表。右手前は江田前幹事長。与党に接近する渡辺代表と、江田氏の間に亀裂が入っていた。
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みんなの党、分裂

2013年12月9日、記者会見する江田憲司氏(右端)らみんなの党を離党した14人の議員=午後、東京・永田町の衆議院第2議員会館。

15人で「結いの党」を結成後、「日本維新の会」と合併して「維新の党」が結成される。
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渡辺氏に借入金問題

2014年3月27日、借入金問題を釈明する渡辺代表。化粧品会社DHCの吉田嘉明会長から計8億円を借り入れたとされる問題が浮上していた。
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渡辺氏が代表辞任

2014年4月7日、借入金問題を受けて、みんなの党代表を辞任する意向を表明した渡辺喜美氏(右端)=東京・国会内
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浅尾氏が新代表に

2014年4月15日、握手するみんなの党の浅尾慶一郎代表(中央)、水野賢一幹事長(左)、中西健治政策調査会長=東京・国会内
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浅尾代表らを追及する渡辺前代表

2014年9月17日、みんなの党の両院議員懇談会に出席した渡辺喜美前代表=午後、国会内
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すれ違う浅尾代表と渡辺氏

2014年11月18日、衆院本会議場ですれ違うみんなの党の浅尾慶一郎代表(左)と渡辺喜美前代表=東京・国会内
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解党を決定

2014年11月19日、みんなの党の両院議員総会で、浅尾慶一郎代表(右)のあいさつをさえぎって発言する三谷英弘衆院議員(左)。三谷議員の右隣は渡辺喜美前代表=東京・永田町の衆院第1議員会館

(いずれも肩書きと党名は当時)

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