シャルリー・エブド最新号の「涙のムハンマド」 載せた新聞、載せなかった新聞

「涙のムハンマド」は載せるべきか否か――。仏週刊新聞「シャルリー・エブド」が14日、銃撃事件後初めて発売した特別号。その風刺画の掲載をめぐって、日本の新聞では判断が分かれた。各紙に取材した。

「涙のムハンマド」載せるか…日本の新聞、判断分かれる

「涙のムハンマド」は載せるべきか否か――。仏週刊新聞「シャルリー・エブド」が14日、銃撃事件後初めて発売した特別号。その風刺画の掲載をめぐって、日本の新聞では判断が分かれた。各紙に取材した。

風刺画は、イスラム教の預言者ムハンマドが目から涙をこぼし、連続テロに抗議する合言葉「私はシャルリー」と書いたプラカードを胸に掲げている。特別号の表紙は、この絵に「すべては許される」の見出しがついている。

朝日新聞は15日朝刊で風刺画の掲載を見送った。14日朝刊で長典俊ゼネラルエディターが風刺画掲載の考え方を表明。同日、東京本社で開かれた紙面会議でも15日朝刊に「特別号発売」の記事を掲載するにあたり、風刺画の扱いが議論になった。販売されている場面の写真に絵柄が写り込むのは許容という意見もあった。沢村亙編集長は中東に詳しい記者らと協議し、最終的に見送りを決めた。「紙面に載れば大きさとは関係なく、イスラム教徒が深く傷つく描写だと判断した。たとえ少数者であっても、公の媒体としてやめるべきだと考えた」。記事では絵柄を具体的に説明。イスラム教徒の受け止めも紹介した。

毎日新聞は、現段階で掲載は考えていないという。小川一(はじめ)編集編成局長は15日朝刊で「表現行為に対するテロは決して許されず、言論、表現の自由は最大限尊重されるべきだ。しかし、言論や表現は他者への敬意を忘れてはならない。絵画による預言者の描写を『冒とく』ととらえるイスラム教徒が世界に多数いる以上、掲載には慎重な判断が求められる」と述べた。

読売新聞グループ本社広報部は、風刺画を掲載していない理由について、「表現の自由は最大限尊重すべきものだと考えています。ただし、今回の風刺画を掲載するかどうかについては、社会通念や状況を考慮しながら判断していきます」とコメントした。

東京新聞は13、14両日の紙面に風刺画を掲載した。「イスラム教を侮辱する意図はない。『表現の自由か、宗教の冒とくか』と提起されている問題の判断材料を読者に提供した」と説明する。14日朝刊では、フランスの風刺文化とイスラム社会の原則との溝の深さを指摘する記事を掲載し、「他者の尊重や文化の違いから生じるトラブルを防ぐ努力を各国が行わなければならない」と報じた。

共同通信は風刺画を配信。「表現の自由をめぐる事件に関連した動きであり、読者の知る権利に応える責務があると判断した」という。産経新聞も14日朝刊で掲載し、「読者に判断してもらう材料として掲載した」。やはり同日朝刊に掲載した日本経済新聞は取材に「記事・写真掲載の経緯や判断は公表していない」と回答した。

一方、ニュースサイト「ザ・ハフィントン・ポスト」は13カ国でトップページへの掲載の対応が分かれた。日本版の高橋浩祐編集長によると、米国本社が世界同時掲載を提案。米、仏、韓国など9カ国が同調したが、日本はトップページでの掲載は見合わせた。高橋編集長は「トップ掲載は、その国の編集方針として支持していることを意味する。表現の自由へのテロに屈しないという趣旨には賛成だが、イスラム教徒にとってムハンマドの肖像画は冒とくにあたり、風刺画は違うと感じた」と話す。(斉藤佑介、吉浜織恵)

〈大石泰彦・青山学院大教授(メディア倫理)の話〉

日本のメディアでは「風刺」が軽んじられ、その評価に一貫性がない。風刺画は市民が社会で感じる漠然とした違和感や疑問を表現するもので、抑圧の体験や歴史から生み出されてきた文化であり知恵だ。ヘイトスピーチとは違う。

欧州では、多様な表現の自由が守られることで社会秩序が保たれると考えられる。日本では表現の自由は尊重するとしながら、社会秩序を乱してまではどうかと考えるメディアがあり対応が割れている。改めて表現の自由や風刺に対する考え方を明確にしてほしい。

〈内藤正典・同志社大教授〈イスラム地域研究〉の話〉

特別号の表紙掲載は見送るのが賢明だ。ただ、あの絵を掲載すべきかどうかは、あくまで非イスラム世界の議論だ。

シャルリー・エブド紙は過去に執拗(しつよう)に預言者ムハンマドをからかう絵を載せてきた。挑発であろうがなかろうが、イスラム教徒は一連の事件と経緯を知っている以上、風刺画は教徒の誰もが見たくない。テレビ局の中には都内の教徒に特別号の表紙を見せて取材する局もあったが、無神経だ。イスラムに対するリテラシーがないのであれば、報道は慎重であって欲しい。

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