「マッカーサーの言葉」名取市長が出所不明の情報を掲載(全文)

宮城県名取市の佐々木一十郎(ささき・いそお)市長が3月2日の市議会で、「市広報に掲載したマッカーサーの証言だとして引用した言葉は誤りだった」と謝罪した。
名取市役所

宮城県名取市の佐々木一十郎(ささき・いそお)市長が3月2日の市議会で、「市広報に掲載したマッカーサーの証言だとして引用した言葉は誤りだった」と謝罪した。

市長は「広報なとり」2014年12月号の連載コラム「粋庵」に、GHQのダグラス・マッカーサー最高司令官が、日本国民に向けて「先の大戦はアメリカが悪かったのです」などと謝罪したとする文章をネットから引用。「とても60年以上前の証言とは思えないほど、今の日本はアメリカの仕掛けた呪縛にかかったままの状態です」と結んでいた。

3月2日の市議会で、小野寺美穂議員からコラムについて質問を受けた市長は、「内容を検証せず掲載し、ご迷惑をかけたことをおわびする」と謝罪。「戦後70年の節目に平和や愛国心を考えるきっかけになればと思った」などと釈明したという。

市長のコラムは、名取市役所の公式サイトにも掲載されていたが、3日現在は削除。市広報のPDFファイルからも、この部分だけ記載が削られて空欄となっている

同市の及川秀一議員のブログによると、市長はマッカーサー発言とされる文章を「青山繁晴氏のファンサイト・淡交 ブログ」から引用。以下のように市広報に掲載していたという。

「マッカーサーの言葉」 長い引用です。

『日本の皆さん、先の大戦はアメリカが悪かったのです。日本は自衛戦争をしただけです。アメリカは日本を戦争に誘い込むためイジメぬき、最後通牒としてハルノートを突きつけました。中国大陸から出ていけとか、石油を輸入させないなど、アメリカになんの権利があったというのでしょう。当時、アジアのほとんどの国は植民地でした。白人は良くても、日本人には許さなかったのです。

ハルノートのことは私も知りませんでした。あんなものを突きつけられたら、どんな小さな国でも戦争に立ち上がるでしょう。戦争になれば圧倒的武力でアメリカが勝つことはあきらかでした。

国を弱体化する一番の方法は、その国から自信と誇りを奪い、歴史を捏造することです。戦後アメリカはそれを忠実に実行していきました。まず、日本の指導者は間違った軍国主義でアジアを侵略していったと嘘の宣伝工作をしました。日本がアジアを白人の植民地から解放したという本当の理由を隠すため「大東亜戦争」という名称を禁止し「太平洋戦争」という名称を使わせました。

東京裁判はお芝居だったのです。アメリカが作った憲法を日本に押し付け、戦争ができない国にしました。公職追放でまともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学などの要職にばら撒きました。その教え子たちが今、マスコミ・政界などで反日活動をしているのです。

徹底的に検閲を行い、戦争に負けて良かったのだと日本国民を騙しました。これらの政策が功を奏し、今に至るまで独立国として自立できない状態が続いているのです。私は反省しています。自虐史観を持つべきは日本ではなく、アメリカです。戦争終結に不必要な原子爆弾を二つも使い何十万人という民間人を虐殺しました。』

これは昭和26年5月3日アメリカ上院軍事合同委員会の公聴会でのマッカーサーの膨大な証言の抜粋で、その趣旨は中国によって共産主義を拡大させてしまったことへの反省です。

とても60年以上前の証言とは思えないほど、今の日本はアメリカの仕掛けた呪縛にかかったままの状態です。

ネットでは当たり前に閲覧できますが、日本のマスコミには載りません。

この「マッカーサーの言葉」とされる文章はネット上に出回っているが、ネットユーザーの井口玲子さんが2014年3月に原文に当たって解析したところ、「事実を一部だけ織り交ぜた創作文」だったと結論付けた。彼女によるとマッカーサーが「日本は自衛戦争だった」という趣旨のことは述べているものの、日本国民への謝罪も反省した箇所はなかったという。

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