【ふくしま再生の会】飯舘村で除染・放射線を測定、コメ作り 「自然を敵に回しちゃダメ、共存しないと」

福島県飯舘村は、福島第1原発から、一部を除いて約30キロ離れた場所にあるが、風向きや降雨のため放射線に汚染され、全村避難が続いている。村を訪れた。
中野渉

村の南部、長沼地区は「帰還困難区域」に指定されており、村が認めた人でなければ原則として立ち入ることができない。車で近づくと、地区への境界には検問所が設けられ、ガードマンが立っていた

島県飯舘村は、東日本大震災に伴って事故の起きた東京電力福島第1原発から、ほんの一部を除いて約30キロ離れた場所に位置する。しかし風向きや降雨のため大量の放射線に汚染され、大震災から4年の歳月が経過したものの、全村避難が続いている。避難した村民は自分の家に帰って住むことができないままだ。

今後の見通しは不明確で、被災地の支援はいっそう急務になっている。そんな中、この地で独自の農地除染や放射線測定といった活動をしているのが、認定NPO法人「ふくしま再生の会」。会代表(理事長)で工学院大学客員研究員の田尾陽一さん(73)と村を見て回った。

まだ寒さが残る東北の3月上旬。吐く息は白く、粉雪が舞い散る。福島市方面から車で佐須峠を越えて村に入ると、眼下には住宅と雪が点在し、田んぼや畑が広がる。「まるで、人が住んでいるようでしょ」。田尾さんはそう話しかけてきた。村の人口は約6千人。しかし今は、数百人が昼間だけ村内の職場で働くためなどの理由で訪れるだけだ。

村北側の佐須地区にある会の「福島佐須事務所」にたどり着いた。現在、避難している農家の自宅や水田を開放してもらい、農家とも協働している。この農家は避難の際、飼っていた11頭の牛を処分した。

会では、週末を中心に、主に首都圏の定年退職者や医師、弁護士らがボランティアで駆けつけ、除染作業などをしている。会員は現在300人近い。田尾さんは「この場に実際に来なくてもいい。活動に共感だけしてもらって、会費を出してさえくれればいい」と話す。

会が取り組んでいるのは、放射線・放射能のモニタリングや農業再生への取り組み、住民の健康ケアなどだ。事務所を拠点として、インターネットなどを使って世界へ情報発信もしている。東大や帯広畜産大などの研究者らと共同でデータ集めなどもしている。

「飯舘に農業を取り戻さないといけない」。そういう信念で、会は2012年からは周辺で稲を育てている。ほかにも大豆やソバや、さつまいもなども栽培。事務所敷地内にあるビニールハウスでは、点滴養液栽培により放射能の低い葉物をテスト栽培している。これら作物の放射性物質の総量は国の制限値よりも低かったという。

会設立の発端は2011年6月だった。物理の専門家でもある田尾さんが、生物学や農学に詳しい知人らに声をかけて震災後の村に視察に入り、現地で活動しているうちにネットワークが広がり、会を立ち上げた。

村を車で回る最中、除染のため表面からはぎ取った土を黒い袋に詰めたものが、田んぼなど至る所に積み上げられていた。何カ所もある。決して美しい眺めではない。背後には雪をかぶった山々がそびえていた。ここは、もともとは山に囲まれた自然豊かな村なのだ。

「国は土をはがせば元に戻ると思っている。自然を知らない。はぎ取った土をどこにやるのか。最終処分場が決まっていなければ、ここに積むしかない」と強調した。

田尾さんは、村民の避難指令が解除されるのは、少なくとも3年先だとみている。しかし、避難民の中には、すでに福島市などの仮設住宅に移ってその近くで職を見つけたりしている人が増えている。また、北海道から沖縄まで、全国各地に散った人もいる。将来、村に帰ってくるのは元の村民の2、3割程度と言われているという。

この数日前には、外国メディアの特派員らに村を案内した。中東のパレスチナ難民などを取材してきたというカタールの衛星テレビ局アルジャジーラの記者は「日本にも避難民がいた」と驚いていたという。

村民でも、60歳以上の人たちには、帰って農業を再生したいという人が多い。「でも、ここで作った農産物を東京の人が買うかと言えば、買わないのが現状でしょ」と嘆く。

田尾さんは横浜出身。大学院で物理専攻修士(高エネルギー加速器物理学)を修了、原子力行政にも長年関心を持ってきた。卒業後はIT系ベンチャー企業を経営したり、大学の客員教授を務めたりしてきた。自宅は東京だが、今は1年の半分は飯舘に来ているという。

学生時代から山登りが趣味だったといい、東日本大震災が発生した時は、チベット旅行に向かう直前だった。「近代科学技術が自然と人間との関係を破壊した。山を登っていると、人間は非常に無力だと感じる。自然に翻弄されながら山を登っているんです」と話す。

「結局人間っていうのは、自然を敵に回しちゃダメだし、自然はコントロールできない。自然と共存しないといけないんですよ。でも安倍首相は、自然をコントロールできると思っている。事故のあった原発を『コントロールできている』なんて言っていたくらいだから」

福島市方面から飯舘村に入り、佐須峠から見下ろす「佐須地区」。説明する「ふくしま再生の会」の田尾陽一代表
飯舘村にある会の福島佐須事務所。ここが村各地の放射線モニタリングのデータが集められる「センター」となっている。避難している農家の家を開放してもらい、協働している
東大農学部や国立環境研究所、帯広畜産大などが会と共同でデータ収集をしている。各大学や研究機関は、会の事務所にあるそれぞれのボックスに備品を収めている
会は線量計を50台ほど持っているという
事務所敷地内にあるビニールハウスでは、点滴養液栽培により放射能の低い葉物をテスト栽培している。
主が村の外に避難しても、飼い猫は残って生活している。毎週のように訪れる「ふくしま再生の会」の会員らが餌をやる
固定された場所で放射線・放射能を測定する装置。村内6カ所に測定器を置き、放射線を常時観測している。測定データは通信によってコンピューターに集められている
全地球測位システム(GPS)と放射線測定器を備え、位置と空間放射線量を記録できる器具を備えたワゴン車。車はスズキから安く販売してもらったという
福島佐須事務所には、敷地内の小川に水力発電装置も設けている
福島佐須事務所脇に設けた木の小屋風の建物。中の壁には土を入れていて、内部の放射線量を計測、外と比べている
飯舘村役場。立派なつくりだが、震災後は主に復興担当者が働いている。多くの部署や村長、村議会は福島市飯野町の出張所で稼働している
飯舘村役場内部。主に除染や復興担当者らが働くほか、環境省職員の机があった
飯舘村役場の隣りにある特別養護老人ホーム。ここでは震災後もずっと入居者が生活しており、外には新たに太陽光発電装置が設けられていた
除染のためはぎ取った表土が黒い袋に詰められ、それが村の各地に積まれていた。後ろには小山が連なる
村の南部、浪江町に隣接した長沼地区に近づく。「帰還困難区域」に指定されており、村が認めた人でなければ原則として立ち入ることができない。車で近づくと、地区への境界には検問所が設けられ、ガードマンが立っていた。地面近くの空間線量を計測すると値は5.4マイクロシーベルト。まだまだ少ないとは言えない数値だ
南部の長泥地区は「帰還困難区域」となっており、地区への検問所付近では線量計が毎時5マイクロシーベルトを超えた
ふくしま再生の会は、稲や大豆、ソバの試験栽培とセシウム移行調査をしている
震災後に「ふくしま再生の会」が植えた桜の木
ふくしま再生の会がセシウム移行調査する装置。モニターが付いており、東大農学部が随時監視しているという
飯舘村の草野・飯樋・臼石の三つの小学校は、一緒になって隣の川俣町にあるプレハブの仮校舎を使っている
「ふくしま再生の会」の福島佐須事務所に住む猫。毎週のように訪れる会員らが餌をやるのだが、それ以外に空腹になったら自ら食べるものを調達しないといけない

………

ところで記者(中野)は、1990年代後半に新聞記者になり、初めて赴任したのが福島支局だった。当時は東北の比較的のんびりした雰囲気の中で過ごしていた。田尾さんは「飯舘は、福島市と浜通りの間を通過する人が通るだけで寄っていかない。原発から近くないし放射能は見えないから、ここが被害を受けている感じがしないでしょ」と話す。

そう言われてみると、今回見て回ったのは初めて訪れた場所ばかりだった。15年近くぶりに降り立ったJR福島駅周辺は、予想していたよりも活気はあったのだが、「帰宅困難区域」前の検問を見ると、かつてとは異なる「最前線」の現場の緊張感を感じた。駆け出し記者として駆けずり回った福島の一日も早い復興を願ってやまない。

【関連記事】
ハフィントンポスト日本版はFacebook ページでも情報発信しています

注目記事