PRESENTED BY AQUA SOCIAL FES!!

「子どもにはテレビよりもっと"いいもの"を体験して欲しい」 テレビディレクターがUターンし、環境活動家になった理由

東京から岩手に移住したは42歳。働き盛りの年齢だった。

「久しぶりに娘と顔を合わせるでしょう。『お父さんだよ』と話しかけると、壁にかかった僕の写真を指さして『あれがお父さん』って言ったんですよ」

一般社団法人いわて流域ネットワーキング」代表理事を務める内田尚宏さんは当時をこう振り返る。1980年代後半、東京でテレビディレクターとして活躍している中で、数ヶ月自宅に戻らないことも多かった。家で寝ている時に、愛娘から指でつつかれたこともあったという。「寝ている人、お父さんなのかな?」といった具合に。

内田尚宏さん(61)

宮沢賢治の特集番組で、偶然にも自身の故郷の岩手を取材した際に「ふるさと」への愛着を思い出したそうだ。また一方で、第二子である息子の誕生をきっかけに「大自然の中で子どもを育てたい」と強く思うようになった。5歳になった息子を連れて岩手を訪れた時に、ある瞬間を目の当たりにし、移住を決意したという。

「僕が小さい時に遊んでいた川に子どもを連れて行ったことがありました。そうしたら、息子が突然流れに逆らうように水中を這って『サケの気持ちがわかるなぁ』と叫んだんですね。すごく気持ちよさそうな顔をして。もう衝撃が走りました。この子はここで育てよう、と」

その時42歳。働き盛りの年齢だった。Uターンしてから20年近くが経った今、内田さんは環境活動家として子どもたちと一緒に自然と触れ合っている。そのモットーは「自然の中で育つことで、子どもたちに豊かな感性をもってもらう」ことだという。

「取材って言うけれど、人のふんどしで仕事しているだけじゃないの?」

本拠地を岩手に移し、取材を重ねるうちに地域へ馴染んでいった内田さん。もともとドキュメンタリーを制作していたため、人々の生活に寄り添っていくのは得意だったのかもしれない。そんな中で「ある言葉」が内田さんを環境活動の道へと動かす。

「環境活動の取材をしていたら、こう言われたんです。『テレビの取材と言っても、人のふんどしで仕事しているんじゃないの? 自分は動かないでさ』って。今でも覚えています。その時はもちろん反論もしましたが……どう見ても実際に動く方が楽しそうなんですよね(笑) 。撮影した動画を徹夜で編集しているよりも“豊か”な気がしました。そもそも僕は子どもを自然の中で育てたいと思って移住したわけですし。そこで2000年に『川と森のクラブ』というNPOを作りました」

地方の子どもたちの方が逆にインドアになりかねない

「川と森のクラブ」では、アウトドアでの遊びを通した自然学習を実践している。地方の子どもたちというと、コンクリートに囲まれた都心と比べて自然が多く、屋外で遊ぶイメージがある。しかし、インドア傾向があると内田さんは言う。

「地方だと家が広いでしょう? なので、家でゲームをやっていても親が気づかないことがあります。それに、自然の厳しさゆえに学校側から『川は危険。行ってはいけません』と教育を受ける。また、都会に住む人は自然への渇望があるのですが、地方だと弱い気がします。昔はガキ大将がみんなを引っ張って遊びに出かけていたのですが、そういうつながりはほとんど残っていません」

「ゲームなどのヴァーチャルな体験ばかりで育ってしまうと、たとえ地元の川であろうとも、恐怖心を持ってしまう。それって悲しいですよね。本来子どもたちには、生き生きとした驚きや感激を生む洞察力が宿っているのです。草原で寝転がって雲の流れを見たり、風の流れや、水の冷たさ、気温の変化、光の瞬きを肌で感じたりしているうちに、その力が呼び覚まされるのです」

そんな、潜在能力が覚醒するときを「神から力を授かる瞬間」という内田さん。それほどまでに自然へ畏敬の念を抱くのは、Uターンのきっかけとなった宮沢賢治の影響も大きい。

「宮沢賢治は、自然との共存を語る人です。彼は、幼少期から岩手の自然の中で過ごし、感性を培った。そこに科学、宗教観、哲学などを織り交ぜて共存社会の物語を紡いでいったのです。自然と共に暮らす中で醸成されるセンスが人を豊かにしてくれるんだと思います。そういう感性は、デジタルディスプレイからは得られません。だからこそ、子どもたちを外の自然へと導いていく存在が地域には必要です」

NPOにも迫り来る人口減少社会と停滞した雰囲気

内田さんは、子どもたちの教育と自然の再生をさらに広いエリアで実践する「一般社団法人いわて流域ネットワーキング」の代表も務めている。岩手県を中心に、北上川などで活動するNPOの連携に取り組んでいる。

「北上川は日本で4番目に大きな面積を持つため、NPOなどの団体が数多く存在します。僕はそんな団体みんなで協力できるような活動をしています。昔は、政府からNPOへ助成金もあったのですが、“非営利法人は自立した方がいい”というスタンスに変わったのか、資金サポートはなくなりました。それと同時に連携していた各団体とのつながりも弱くなっていった……NPOのメンバーも高齢化していて、活動自体が停滞傾向にありました」

そこで、大きな役割だと内田さんが語るのが、いわて流域ネットワーキングも参加している「AQUA SOCIAL FES!!(以下、ASF)」だ。これは、トヨタ「AQUA」が全国47都道府県の各NPOと地方新聞社と協力して環境保全活動を行うプロジェクトだ。

「北上川のような大きな川だと、源流では森林整備、中流では外来植物の繁茂、河口では2011年3月11日の地震による地盤沈下というように抱える問題が異なります。でも、このダイナミックな自然を身体で学べるのは、ある意味すごくチャンスです。1つの川でもさまざまな表情を持つことがわかりますし、自然と生活の関わりに気づくきっかけとなるからです。ただ、こういった活動はお金も労力もかかる。“想い”だけではできないのです。なので、企業からのバックアップはとても大きな力となりました」

2013年のASFの様子

ASFは参加年齢層が若いことも特徴の1つだ。北上川流域では、地域の学生たちが子どもたちに川遊びを教える「アクアレンジャー」といういわて流域ネットワーキングが認定する資格を設けている。

アクアレンジャーと内田さん

学生と子どもたちが、自然の中で楽しく感性を磨くことで、「ふるさと」の魅力を感じて欲しいと内田さんは言う。そうすれば、一度地元を離れたとしても、Uターンして戻ってくる可能性もある。まさに内田さんのように。これが過疎化に歯止めをかける一手にだってなり得るだろう。

「やっぱり原体験があると地元に戻りたくなるんじゃないでしょうか。食べ物はA級だし、仮想世界よりもリアルな自然の方がずっと刺激的です。若い時にふるさとの良さをめいっぱい吸収すると、感性はもちろん、帰る場所だってできる。人間として彩りが豊かになると思うんです」

ゲームのように攻略法がないからこそ、自然は面白い

さらに、ASFで活動しているうちに思いがけないことが起こったという。行政の協力が戻ってきたのだ。

「法律では、民間人が川で許可無く作業すると罰せられることがあります。そのため、自然を守りたいと思っても、身動きがとれないもどかしさがありました。でも、ASFの活動を続けていくうちに、国交省が僕たちの活動に認可と協力をしてくれるようになりました。一度、国からの経済的な支援がなくなったけれど、違う形で戻ってきたんです。これは新しい動きでした。でも考えてみれば、地域のためにお金を出すのは行政だけというのはおかしいですよね。その地域を作っていくのは地域を作っていくのは企業・市民・行政……みんな一緒です」

北上川支流の和賀川。外来種によって崩れた生態系を取り戻すための湿地づくりもしている。和賀川の作業こそ、国交省と市民と企業との新たな連携だ。

北上川は規模が大きく関わる団体も、人も多い。立場が違えば意見は異なり、自分たちの主義主張が通らないこともある。しかし、「ふるさとを元気にしたい」「自然が好き」という大きなビジョンのもとに、試行錯誤する過程こそが大事だと内田さんは言う。

「活動の最中、子どもたちに『川をきれいにするにはどうすればいいと思う?』と問いかけたことがあったんです。その時に1人の子が『簡単だよ! 薬をまけばいい!』と答えて驚いたことがあります。もちろん、そういった商品は実際に発売されているので、きっとその子は知識があったのでしょう。でも、自然環境は複合的な要因が重なってできているもの。ゲームのように、このアイテムを使えばクリアできる、という方程式は成り立たない。これは地域の活動も同じです。みんなで悩んだほうが楽しいし、達成感も大きい。環境活動した結果、地域に活気が戻ってくるのが理想ですね」

東京のテレビディレクターが、育児をきっかけにUターンを決意した。かつて自分を育んだ自然と再び対面したとき、故郷を、次世代の子どもたちを「なんとかしたい」と思わせたのだろう。その動機を、満面の笑みで「楽しいから」と断言する内田さんは、まさにガキ大将のようだった。

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