サッカー元ブラジル代表で日本代表の監督も務めたジーコ氏(62)が6月10日、FIFA(国際サッカー連盟)会長選に立候補することを表明した。「これは私の義務だ」と述べたという。BBCなどが報じた。
この日、ジーコ氏はリオデジャネイロで記者会見。FIFAの汚職事件をめぐりブラッター会長などが辞任したことなどについて「私たちのサッカー界で、このような汚職が起こっているのは残念。素晴らしい働きをしている他の多くの人の努力を、無駄にしてしまった。会長選に出馬して、これまでの私の経験や知識を活かすことは、私の義務だと思う」と述べた。1990年からブラジルのスポーツ相を務めた自らの経験にも触れ、「私にはその能力がある」と自信を見せた。
■会長選に出馬できるのか?
一方で、これまでジーコ氏に対しては、会長選の出馬が難しいという報道も出ていた。会長選に出馬するためには、加盟5カ国の推薦が必要というルールがあるためだ。
ロイターによると、この日の会見でもジーコ氏は、まだ推薦がない状態だとコメント。欧州サッカー連盟(UEFA)会長のミシェル・プラティニ氏から、ブラジルサッカー連盟(CBF)の会長にまず立候補してはどうかとアドバイスを受けたと話した。しかし、ジーコ氏は、国内の8つの連盟と5つのクラブからの推薦がないので難しいとの考えを示し、「CBFよりFIFAのほうがチャンスがある」と話した。
ジーコ氏は、この会長選のシステムを批判。これが「汚職の原因になる」として、ルールを変えていく必要があることを強調した。
■ジーコ氏ってどんな人?
ジーコ氏は、1953年生まれ。本名はアルトゥール・アントゥネス・コインブラ。時事ドットコムによると、「ジーコ」というニックネームは「やせっぽち」という意味で、少年時代に小柄でやせていたために付けられた。
コトバンクによると、ブラジル代表MFとして、ワールドカップには1978年アルゼンチン大会から3大会連続出場し、80年代を代表する選手として活躍した。日本では1991年に住友金属(鹿島アントラーズの前身)に入り、94年に引退。その後、総監督などを務め鹿島を強豪チームに育てた。
2002年、日本代表の監督に就任。2006年に行われたワールドカップドイツ大会に日本を導いた。ワールドカップ終了後に代表監督を退任。フェネルバフチェ(トルコ)、ブニョドコル(ウズベキスタン)、CSKAモスクワ(ロシア)などの監督を務めた後、2011年にサッカー・イラク代表監督に就任。その後、カタールのアル・ガラファの監督になったが、2014年に退任した。
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