「たま駅長」社葬に3000人 「日本の地方鉄道を救った」社長が弔辞(詳報)

6月22日に16歳(人間なら80歳)で天国に旅立った和歌山電鉄貴志駅の駅長の三毛猫「たま」の社葬が、28日に同駅コンコースで営まれた。
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6月22日に16歳(人間なら80歳)で天国に旅立った和歌山電鉄貴志駅の駅長の三毛猫「たま」の社葬が、28日に同駅コンコースで営まれた。同社はコンコースの外に大型モニターを設置したが、スポニチによると、最後の別れを告げようと、約3000人が集まったという。

祭壇には、帽子をかぶってマントをまとった「たま」の遺影が飾られ、多くの献花や手紙、キャットフードなどが供えられた。貴志駅に近い大国主神社の神主が神事を執り行ったあと、葬儀委員長の小嶋光信・和歌山電鉄社長が弔辞を読み上げ、「名誉永久駅長」の辞令を発令した。要旨は以下の通り。

「前日の6月21日、具合が悪いと聞いていたので、病院にお見舞いに参りました。たまちゃん、私が来たことはすぐわかったようで、寝ていたのをすっくと起き上がって、私にだっこしてほしいと両手をさしのべてまいりました。しっかりした目をしていたので、快方に向かっているよと安心したところでございました。『1年ちょっとたったら就任10周年だからね』と言ったら『にゃあ』と明るい声で答えてくれて、必ず約束を守ってくれると思っていただけに、大変残念に思っています。

思えばたまちゃんとの出会いは、2006年4月1日、(南海電鉄から経営を引き継いで)和歌山電鉄として再生することになったその日に、住友のお母さん(飼い主の住友利子さん)に飼われていたんですけども、住むところを失って、ぜひ『貴志駅の中においてほしい』とお願いされたのが始まりでした。会いに行くと、本当に目力というのか、私をぐっと見据えました。その瞬間に、『たまちゃんを救ってあげる方法は、駅長にするしかないな』とひらめきました。

駅長に就任すると、我々の方で何をどうしてほしいと言ったわけでもないのに、改札口に乗ってお客様のお見送り、お出迎え、プラットホームの見回りをしてくれていました。その姿がマスコミやインターネットで世界に配信され、いっぺんに和歌山電鉄が知られるようになりました。

全国の困っていた地方鉄道に光が当たる、そして公有民営が鉄道で法制化され、厳しい70近くの地方鉄道が今後、地域のために残るきっかけができ、交通政策基本法につながっていったと思っています。たまちゃんの功績は、日本の地方鉄道を救ったと私は思っています。たまちゃんは鉄道だけでなく、多くの人に喜びや幸せを与えていたのです。

祭壇の左側に、フィギュアスケートの高橋大輔さんの胡蝶蘭がございます。彼がバンクーバーに行くとき、たまちゃんの写真とお守りを渡し『ネコはどこから飛んでも着地するからメダルが取れるよ』とお守りを渡したらその通りやってくれて、(フィギュア男子で)初めてのメダリストになりました。

たまちゃんは地方鉄道の救世主として、神のように現れてきたのではないか。そのたまちゃんと一緒に9年間も働けたことを大変誇りに思っています。たまちゃんの精神は和歌山電鉄、地方の公共交通に生き続けてくれると思っています。これからは地方鉄道や日本が明るくなるように、頑張ってやっていきたいと思っています。

今日はたまちゃんに私からの最後の辞令を受けて頂くことによって、その名を永遠に刻んで残していきたいと思っています。

辞令。社長代理、ウルトラ駅長たま様 名誉永久駅長を命ずる。

これからもたま大明神として、世界の地域公共交通を守ってください。

平成27年6月28日、和歌山電鉄社長 小嶋光信」

たま駅長に「観光招き大明神」を委嘱していた和歌山県の仁坂吉伸知事も参列し「和歌山の知名度を上げ、観光客を増やし、県民の心に明るさとほのぼのとした温かみを与えてくれました。国際的な活躍は『観光招き大明神』の名にふさわしいものでした。あなたの面影はいつまでも私たちの胸の奥にとどまり続けます。本当にありがとうございました。安らかにお眠りください」と弔辞を述べた。

たま駅長は、貴志駅ホーム横の神社に「たま大明神」として8月11日にまつられる予定。

和歌山電鉄と「たま駅長」

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