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「きっかけは1通の手紙だった」かもめブックス店主・柳下さんの運命を変えた"文字の持つ力"とは?

東京・神楽坂にある「かもめブックス」をご存知? 校閲会社を営む柳下さんが、この店を開くまでの道のりには、いつも“運命を分けた手紙”がありました。
The Huffington Post

校閲会社・鴎来堂(おうらいどう)代表の柳下恭平さん。校閲のプロフェッショナルである柳下さんが、東京の神楽坂に「かもめブックス」をオープンさせたのは昨年の11月のこと。「新しく本と出会える場所」をテーマに、カフェ、ギャラリーが併設された街の本屋さんだ。

柳下さんが校閲会社を始めたきっかけや、本屋を開くことになるまでの道のりには、いつも“運命を分けた手紙”が存在し、“文字の持つ力”に魅せられてきたそうだ。

※校閲(こうえつ)とは、文章や文字の誤り、記載されていることが事実かどうか、矛盾はないかを、内容にまで踏み込んでチェックすること。出版関係者にとってはお馴染みだが、校閲は、本作りを陰で支える重要な仕事なのだ。

きっかけは、手紙に描かれた1匹のネコ

−−校閲って聞き慣れない人も多いと思うのですが、どのようなきっかけで始めたのですか?

知人の紹介で校閲の仕事を始めたのですが、そのきっかけになったのが、1匹のネコにまつわる1通の手紙なんです。

校閲を始める前に、ずっと海外を旅していたんですが、日本に帰って住み始めた借家に、1通の手紙が届いたんです。それは以前、その家に住んでいたご夫婦からの手紙でした。「引っ越し後、飼っていたネコがいなくなって探しています。もしかしたら、そちらの家に帰ってくるかもしれないので、そのときは教えてください」という内容でした。以前の住人ですから、もちろん会ったこともない人からの手紙で、最初はちょっと驚きましたね。

その手紙には、“こんなネコです”って、ネコの似顔絵が添えてあって。ご夫婦のネコへの愛情がしっかりと伝わってくる、とても印象的な手紙でした。そのネコの好きなエサやおもちゃを軒先に置いたりしたのですが、結局、そのネコは見つかりませんでした。

けれども、それがきっかけで、そのご夫婦と親しくなりました。そのご夫婦が、僕に仕事を紹介してくれたんです。そんなご縁で始めたのが校閲の仕事だったんです。

手書きで「けしからん!!」の衝撃

−−校閲の仕事をする上で、大切にしていることはありますか?

校閲って、人の間違いを指摘する失礼な仕事なんです(笑)。だから“間違い”を見つけるのではなく、“間違いの可能性がある箇所”を教えてあげることが大切だと思っています。

実際に、校閲の指示書に描かれたイラスト

校閲は、出版社さんとゲラ(出版前の仮刷り)に直接、文字を書き込んで、やりとりをしているんですけど、手書きの文字は本当に個性が出ますし、気持ちが伝わってきますね。

とある出版社の編集者さんは、校閲の指示書に、いつも手書きでコメントを書いてくれるんですけど、かもめブックスのキャラクターのイラストも描き添えてくれるんです。黒いところをペンで一生懸命塗りつぶしていて、忙しいのに時間をかけてくれたんだなぁと思うと、うれしくなるんですよね。

そうそう、手書きといえばこんなこともありました。とある出版社さんの編集長がすごい方でね。誤植を見つけたときに、編集者さんに対するコメントで、ゲラに大きな筆文字で「けしからん‼」って書いてあったことがありました。書き下ろしの誤植はよくあることですし、そのために校閲のお仕事をいただいているんですが、彼にとってはよっぽど許せない誤植だったんでしょうね。その「けしからん‼」の力強さったらなかったです。紙から憤りが伝わってくるんです(笑)。

リアルな手書き文字の持つ力ってすごいなぁと思った出来事でした。

地元の本屋さんがなくなるのは、自分のせい

−−なぜ、校閲の仕事をしていて本屋さん?

実はかもめブックスのこの場所には、以前、文鳥堂という本屋さんがありました。うちのオフィスはここの3軒隣にあって、日頃から利用していたのですが、ある日「閉店しました」という貼り紙が貼ってあって……。

自分たちが住む街にある、いつも通っている本屋さんって、なんとなく身内みたいなものなんですよね。本屋さんが続々と閉店していく実情を知ってはいたものの、馴染みのあるこの街の本屋さんが、突然なくなるとは思いもしませんでした。神楽坂にある本屋さんがなくなってしまう、これはもう「自分のせいだ」って思ったんです。そのくらいショックが大きかったんですよね。

校閲の仕事をしている上で、今後、出版という市場が縮小していくことを受け入れるか、読者を増やす努力をするかのどちらかだと。それを考えさせられる出来事でした。

墨をすって、したためた直談判の手紙とは?

−−それで、本屋を出そうと?

神楽坂って、出版に関わる多くの会社が近くにあるシンボリックな場所だと思っていて。そんな神楽坂から本屋をなくしてはならないと思いました。

だから貼り紙を見てすぐに、ここに本屋を作ろうと思い立ち、大家さんに「この場所に本屋を出すことに意味がある」という僕の思いを伝えるため、墨をすって、直談判の手紙を出しました。その2日後にはもうこの場所を押さえていました。

−−墨をすって……。気持ちが込もっていそうですね。

今どき、メールやSNSが当たり前だとは思うんですが、そんな時代だからこそ、選択肢がたくさんある。相手に熱意を伝えるときに“手書きの文字”もすごく効果があると感じました。本当は直接会って伝えるのが1番かもしれませんが、それだと相手の時間を使ってしまうことにもなるので。相手によってアプローチを変えることができますよね。

忙しいときこそ、相手への気遣いを大切に

−−紙や手書き文字など、アナログなものに思い入れがあるのでしょうか?

便利なデジタルツールも使いつつ、時と場合によっては紙を利用したり、手書きのコミュニケーションを大切にしています。

たとえば創業期に、鴎来堂(おうらいどう)の鴎(おう)が「かもめ」という字なので、それに掛けて暑中見舞いのハガキを出したことがありました。「夏と言えば、かもめ〜る!夏こそ鴎来堂!」みたいなことを書いて。

出版業界は、お盆やお正月に印刷会社がお休みになるので、夏のお盆前は「お盆前進行」で忙しくなるんです。その陣中見舞いとして“暑くて忙しいけど乗り切りましょう”っていう気持ちを込めました。忙しいときだからこそ、ちょっとした笑いを届けたかったのもあります(笑)。

−−柳下さんらしい心遣いですね。そのあとは、なにか反応はありましたか?

取引先や営業先で、「柳下さんの字ってすぐわかる」って言ってもらえたり、「そんなに暇なら手伝ってよ」と言われ、談笑できたりしました。そうしたコミュニケーションのきっかけにもなるのでいいですね。

年賀状でもそうですけど、定型文に手書きでひと言書き添えるだけで、ひっかかりがありますし、伝わるものがあると思います。

海外から送った70通の手紙。そこで生まれた運命の出会い

−−お仕事を始める前は、海外を旅されていたとのことですが、なにか理由があるのでしょうか?

もともと言葉に興味があったんですけど、外国語のコミュニケーションを知りたくなって海外へ行きました。オーストラリア、ニュージーランド、チリ、イングランド、スコットランド、アイルランド、フランス、スイス、イタリア、そのあと中国へ渡りました。

ちょうど日本を離れて8カ月くらい経ったとき、急に日本語のコミュニケーションがしたくなったんです。オーストラリアのバンダバーグという都市にある安宿に泊まったんですが、そこで日本の古い雑誌がたくさん置いてあるのを見つけて、それをむさぼるように読みました。

すると、その古い雑誌の中にあった文通コーナーに目が留まり、そこに載っている日本人に手紙を出したんです。こういう理由で旅をしていますとか、旅しながら観た映画の感想とか。とにかく日本語のコミュニケーションがうれしいという気持ちを、一方的に書いて出しました。おそらく70通くらい出したと思います。ボトルメールっていうんですかね? 瓶に手紙を詰めて海に流すような感覚で(笑)。

そしたら、なんと3人から返信がありました。3通ももらえると思っていなくてびっくりしたのを覚えています。その3人の方とは今でもやり取りをする仲ですが、実はそのうちの1人が、うちの奥さんです(笑)。

−−素敵なエピソードですね。奥さまからのお手紙をもらったときのお気持ちは?

まず素直にうれしかったのを覚えています。それから、丁寧な字を書く人だなぁと、好感を持ちました。やっぱり文字には人柄が出ますね。

きっかけを生み出す「文字の持つ力」

文字に魅せられ、「手紙」により導かれた柳下さんの運命は、校閲の仕事から本屋さんの道へと広がった。そこには、本作りだけではなく、本と出会える“きっかけ”を作りたいという彼の熱い思いがあった。

「本を開くと、読み進めていくにつれて、左右の厚みが変わっていきますよね。残りの厚みが薄くなってくると、早く結論が知りたい気持ちと、もうすぐ読み終わっちゃうって気持ちが交差して……。この手触りと“読み心地”は、電子書籍では味わえない魅力なんですよね」と目を輝かせる。

さまざまなものがデジタル化し、伝達手段もまた多様化している。それでも、柳下さんはたびたび筆を握り、文字に思いを込める。あるときは、熱意を込めた力のある文字、あるときは相手を気遣う優しい文字。その味わいを楽しむかのように。

「どこかへ行くときに目的地は同じであっても、歩いて行くのか、自転車か、電車なのかでは、見える景色が変わりますよね。それと同じように、人に何かを伝えるための手段として、電話かメールか手紙か、または活字か手書きの文字かで、相手が受け取る印象はずいぶん違うと思います。それがコミュニケーションの面白さですね」(柳下さん)。

(撮影:西田香織)