「32歳のスタートは全然遅すぎなかった」イラストレーター松尾たいこさんが夢を叶えるまで

「遅すぎると思っていた」スタート地点から、どんな道のりをたどってイラストレーターになる夢を叶えたのか。

書籍の装丁から広告、CDジャケット、スイーツやファッションブランドとのコラボレーションまで。幅広いジャンルで多岐にわたって活躍し、海外にも多くのファンを持つイラストレーター/アーティストの松尾たいこさん。

そんな松尾さんが、大手自動車メーカーを辞めて生まれ故郷の広島から上京し、セツ・モードセミナーに入学したのは32歳のとき。自分では「遅すぎると思っていた」スタート地点から、どんな道のりをたどって人気イラストレーターになる夢を叶えたのか。「失敗したって、方向転換すればいい」と語る松尾さんに、リスタートの歩みを聞いた。

松尾たいこさんが手がけた装画

■32歳で会社を辞めたこと、1回も1秒も1ミリも後悔していません

――大手自動車メーカーという恵まれた職場を捨て、32歳で上京という思い切った決断を下せたのはなぜでしょう。

私、昔から人の言うことすごく聞くんですよ。自分で言うのもなんですけど、素直なんです(笑)。でもそれって、自分に自信がないからでもあるんです。絵は上手いほうだけどそれは趣味のレベルだと思っていたし、自分に特技なんてないとずっと思っていたました。なので短大を出て、たまたま試験受けて採用された会社に入社したんです。

だから入社1年目から「この会社、合わないな」と感じても、次にやりたいこと、自分ができることなんてないと思っていたからいつの間にか10年も続けていただけで。淡々と社内で自分のできることを探して働いていました。でもやはりあきらめきれない部分はあって「通信教育で絵を習ってみようかな」と友達に言ったら、「絵なんて通信教育じゃダメだよ。環境が大事だから東京に出たら?」って言われて「あ、そういう考え方もあるんだ」と気付かされました。

それで東京の友達に相談したら、「セツ・モードセミナーなら年齢も問わないし自由な学校だよ」って教えてもらって。もともと美大に行って絵の勉強をしたいという憧れは中高生とずっとありました。でも親から「女の子だし東京に出したくない」と反対されて、自信がなかったから「じゃあいいか」ってすぐ諦めてたんです。

でもそれから10年以上も経って私がまたそんなこと言い出したものだから、親はびっくりしていました。でも「本当にそんなにやりたかったんならやりなさい。むしろ反対して悪かったね」みたいな感じになって。だから誰にも反対されずに送り出されました。

――松尾さんがリスタートした90年代後半も今も、女性の32歳といえば恋愛や結婚、妊娠について考える時期でもあります。当時、不安はありませんでしたか?

全く、なかったですね。「やっと絵の勉強ができる!」という嬉しさでいっぱいで。基本的に結婚の形にもあまりこだわりがなくて。今の夫と籍を入れたのも、スポーツジムの入会に家族割引が効いたから(笑)。だから本当に籍とかどっちでもよかったんです。

そんなことより、小学1年生のときから憧れていたイラストレーターという職業に近づけることが嬉しくて嬉しくて。もちろんスタートが遅いことはわかっていました。自分でも25歳のときにはすでに「今から新しいことをやるなんて遅いよな~」って思い込んでたぐらいでしたから。

でもね、今考えれば、32歳なんてまだまだ若いんですよ。そこから始めて3年かけて失敗したって、35歳で方向転換すればいい。私は32歳で会社を辞めたことを、1回も1秒も1ミリも後悔したことありません(笑)。

■一生絵を好きでいたいからマネージャーをお願いしました

――上京して3年後には初個展を開催、「ザ・チョイス」にも入選してフリーのイラストレーターとして独立。そして2002年から現在までずっとマネージャーをつけているそうですが、イラストレーターとしてはかなり珍しいケースですよね。

たまたま好きなフォトグラファーに個展のDMを送ったら、その人のマネージャーをしている女性から連絡をもらって、「マネジメントをやらせてくれないか」と言われて。今はだいぶ強くなりましたけど、当時の私はお金の交渉も苦手だし、無茶な注文とかもどう対応していいかわからなくて、絵を描くこと以外のストレスがめっちゃかなり多かったんです。だから、「あ、そういうことってマネージャーに頼めるんだ」と気づいたので知ってすぐにお願いして。その後、彼女が育休で他の人にチェンジしたりして、今のマネージャーさんが3人目です。

今は窓口は全部、マネージャーです。仕事内容の詳細確認とかトラブル対応、あるいは私が旅行中に代理でクライアントに会ってもらったりとか、個展や今後の仕事の方向性についても相談に乗ってもらったり、絵を描くこと以外は全部全面的に頼りにしてお願いしています。もちろん交渉事が得意だったりストレスじゃない人は自分でやればいい。でも私できないから、できることはみんなに助けてもらうっていうスタンスでいつもいます。

絵を描くことを一生嫌いにならないように生きていきたいんです。だから絵を描く以外のストレスは出来る限り減らしたい。みんな目先のことだけを見て「でもそうするとお金が全部自分に入らないでしょ?」ってよく言われるんですけど、お金で解決できることはなるべくそうしたい。ストレスがたまると、絵にもそれが出ちゃう気がして。だから自分がいつも精神的に心地よくいられるためにはどうすればいいのか、というのはいつも考えています。

――一生、絵を描き続けていくために何をどうすべきなのか、とても自覚的に行動されていますね。

天才的に上手い人は、何もしないでも残れるからいいんですよ。でも私くらい描ける人はいっぱいいるから。私の絵は時代とマッチして流行る絵ではないけれど、時代性がないからこそ、10年前の絵も今の絵も古びないのが私の強み。

ただ、そのぶん「私はここにいますよ」っていうのを常に発信して活動していかないと、忘れられるだろうなという危機感はあります。今はいろんなSNSがあるから、使えるものはとにかく何でも試してみるし、いかに忘れられないでもっとファンを増やすかということは常に考えています。

だから、私のなかでは老後とか余生とかいう考え方はないんですよ。死ぬまでのあいだ、なるべく機嫌よく毎日を過ごしながら、ずーっと絵を描き続けていきたいな、と思っています。

(取材・文 阿部花恵)

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