「血がつながってないこと、普段は忘れてます」 マンガ家・古泉智浩さんが里子と家族になるまで

なぜ、里子を引き取るという選択をしたのか? 親となって1年が過ぎた今、思うことは?

「1歳を過ぎたあたりから話せるようになってきて、最近僕のこと『パパ』って言ってくれるんですよ。『パパー(↑)』ってなぜか後ろにアクセントがあるんですけど(笑)。ママのことも『まんま』って呼ぶけど、ママなのか、ごはんのことなのか、まだわかんないんですね」

頬を緩ませて息子・Aくんの成長を語る表情は、まさに新米パパそのもの。マンガ家の古泉智浩(こいずみ・ともひろ)さんが、人生初の子育てをスタートさせたのは2014年冬、45歳のときだ。

といっても、Aくんは古泉さん夫婦の実子ではない。Aくんは、里親制度により生後数カ月から古泉家に引き取られた「里子」なのだ。

里親制度とは、子どもの家庭復帰を目指して、代替的に家庭で里子を養育する制度。なお、子どもの福祉のために、子どもと実親との法律上の親族関係を消滅させ、養親と親子となる特別養子縁組とは異なる。

なぜ、古泉さんは里子を引き取るという選択をしたのか?

親となって1年が過ぎた今、思うことは?

6年間で600万円を費やした不妊治療を経て、里子を引き取るまでのいきさつについて綴った子育てエッセイ『うちの子になりなよ』が話題の古泉さんに率直な思いを聞いた。

■NICUでの初対面、その赤ちゃんはニコッと笑ってくれた

――古泉さんの現在の家族構成は?

僕、妻、Aくん、僕の母の4人家族です。Aくんは生まれてからうちに来るまでは、ずっと家庭を知らずに育った赤ちゃんなので、(保育園などには入れずに)3歳くらいまでは家で育てていこうか、と妻とは話しています。

――里子のAくんはご両親の事情で、生まれてからずっと病院のNICU(新生児特定集中治療室)にいた赤ちゃんだったそうですね。

はい。NICUに行って最初に会ったとき、ニコッと笑ってくれて。「うわあ、かわいい!」「ちっちゃい!」、抱っこして「軽い!」って。

『うちの子になりなよ』より

――マンガ家の古泉さんは今、どんな生活ですか?

以前は月の半分くらいは仕事で東京に来てたんですけど、今は一泊か二泊で新潟の家に帰るようになりましたね。わが子可愛さっていうのもありますけど、それ以上に妻から「(大変だから)早く帰って来い」ってせっつかれるので。

――奥様は以前は働いていたそうですが、現在は専業主婦に?

そうです。でもやっぱり大変ですね。妻は育児が始まってから膝を壊して、さらにギックリ腰にもなっちゃって。そろそろこの1年の無理がたたってきたのかなあ、って。

■元婚約者が生んだ娘との出会いで、天地がひっくり返った

――古泉さんのお子さんには、里子のAくんと、古泉さんは別の女性とのあいだに「3回しか会っていない娘」がいるそうですね。

元婚約者との間に娘がいます。詳しくは本に書きましたが、その頃の僕は本当にひどい人間で。いろいろあったんですが、結局、彼女が娘を産んで、その子が2歳になったときに僕に初めて会わせに来たんです。

そしたら初めて会った瞬間、彼女をひと目見て「わあっ!」ってもう天地がひっくり返るくらいの衝撃を受けてしまって。娘とは今まで3回しか会えていないんですけど、それがきっかけで急激に自分の子どもを欲しいと思うようになった。いろいろな理由から、自分の娘を育てることはできないのですが、元婚約者には「娘を産んでくれて本当にありがとう」と思っています。

■「子どもがほしい」6年間の不妊治療を経験

――「子どもがほしい」と熱望していた古泉さんと今の奥様との入籍のきっかけは、不妊治療をするためだったそうですね。(編注※法律上の婚姻をしている夫婦でないと自治体から高額な不妊治療の助成金が降りないなど不利な点がある)

そうです。妻とは不妊治療をするために入籍したようなもので。結婚前は僕は新潟で、彼女が東京で働いていて遠距離恋愛だったんです。そのときに子どもを作ってしまおうと思ってたらすぐに一度、妊娠できたんです。でも初期で流産してしまって。

――そこから本格的に不妊治療をスタートさせ、タイミング法、人工授精、体外受精、顕微授精とステップアップしても妊娠には至らなかったと。

気づけば泥沼なんですよね。「次やればできる」の繰り返しで、深みにはまっていく。今回は着床までいった、じゃあ次は出産まで行けるはず、とかそういうことの繰り返しで。

――「6年間で600万円」を費やしたと書かれていました。

精神的にもしんどかったですね。女性は体への負担も大きかったし、妻はそれで仕事を辞めるしかなかった。結局は6年間で着床2回、流産2回という結果に終わりました。

だから本にも書きましたけど、不妊治療をするなら1年とか、100万円とか、枠を決めてからやったほうがいいんじゃないかなと僕は思います。

――不妊治療の間、そのことを周囲にオープンにしていましたか?

僕はわりとそういうことを話すたちで。というか、もう会う人会う人に話していましたね。とくに僕と同世代くらいで、東京で自由を謳歌している友人たちなんかには、「手遅れになっちゃいけないよ」「男も女も年齢が上がると妊娠する確率はガクンと下がるから」「子どもは本当にかわいいから」って啓蒙しまくってた(笑)。でも妻は治療のことをあまり他人には話してなかったみたいです。

■里親になるきっかけは、血がつながらない友人親子

――そんななかで、里親になろうと考えたきっかけは?

血がつながらない子でも育てられるんじゃないかな、って思うようになったのは実際にそういう親子の存在を知っていたからというのも大きいです。

僕の友人で、連れ子を自分の子どもとして育てているシングルファザーがいるんですよ。今から10年くらい前かな、彼の家に遊びに行ったら保育園に通っている男の子がいて。あとから「実は血のつながりがないんだ」って聞いて。

その子は彼が交際していた女性の連れ子で、最初は3人で暮らしていたそうなんですけど、彼女が出て行ってしまって。その後、彼はひとりでその子を育てることになった。でもすごく仲が良い親子で、その子もとてもお父さんに懐いていたし、完全に実の親子にしか見えなかった。

当時の僕は、元婚約者との問題を抱えてたから「なんて物好きなんだ。自分とは別世界の人間だ」くらいに思っていたんですよ。でもその後、自分の娘に会ってしまってからは彼への認識がガラッと変わってしまって。

その親子は今も仲良くて、つい先日会ったときに近況を聞いたら、その子はもう高校を卒業したそうです。そんなこともあって、不妊治療の後半では里親や養子縁組のドキュメンタリー番組なんかをぼちぼち観るようになって、児童相談所に話を聞きに行ったんです。

■里親研修、児童相談所で感じたこと

――そもそも「里親になろう」と言い出したのはどちらだったのでしょう?

そこは僕が発案で、妻には付きあってもらった形なんです。妻のほうはやっぱり「実子を持ちたい」と強く希望していて。でも不妊治療に関しては妻の意見をほぼ全面的に受け入れてきたので、今度は僕の希望につきあってほしい、と。

だからまずは僕がひとりで児童相談所に行ったんですよ。それが2013年かな。まだ不妊治療を続けていた頃です。そしたら「年に2回、募集があるので、まずは里親研修を受けてください」と言われて。その研修が半年後だったので、「ええ~、これから半年も待つの~!?」って思いましたね。

焦っていたんですよ。「里親の登録には年齢制限がある」という情報も聞いていたから。でも待つしかないので、その半年後から夫婦で一緒に受講しました。

――里親研修を受ける前と後で、心境の変化はありましたか?

一番よかったのは児童養護施設での研修です。座学を一通り終えてから、里親希望者は施設で暮らす小学生低学年の5人の子どもたちと触れ合えたのがすごくよかったですね。もう、みんな人懐っこくてかっわいくて! 妻もその子たちと一緒に過ごせてすごく喜んでいました。「あの子たちの誰かを引き取りたい」って話すくらいに。

――子どもたちとの出会いが大きかったんですね。

やっぱり子どもって感情が豊かなんですよね。絵を描くとか、そんなちょっとしたことでも、「うわあ!」なんて喜んでくれて。僕、2014年は中年の更年期じゃないですけど、何をやっても楽しいと思えなくて、唯一楽しかったのがその施設研修だったくらいで。

僕らはそれまで子どもと接する機会がそんなになかったんですよ。せいぜい親戚の子どもがうちに遊びに来る、くらいで。その子たちと触れ合ったことで、「やっぱり子どもが欲しい」という思いが強くなりましたね。

■障害があったらどうする? 里親になる前に考えたこと

――児童相談所から「赤ちゃんを預かりませんか?」という電話が来たのは、一通りの研修と自宅調査を終えて、里親としての認定を待つだけという段階だったそうですね。

そうなんです。認定式の前だったし、そんなに早く話が来るとは思っていなかったから驚きましたね。赤ちゃんについての情報は、最初の電話である程度まで教えてもらいました。守秘義務があるのでここでは明かせませんが、いまNICUにいる理由や、今どんな疾患があるのかといったことを一通り。

でもその疾患もそのときには治っていたし、たとえ何か障害があっても3歳とかにならないとわからない、というのは普通の子と同じで。妻はやっぱり戸惑いや不安があったみたいなんですけど、僕は1秒でも早く家に子どもが来て欲しかった。もうどんな障害があっても構わない、くらいの気持ちでしたね。

だから「障害があってもいい」「後のことはそのときどきで応じていこう」「とにかく預かろう」と何とか妻を説得して、翌日には「引き取らせてください」と児童相談所に連絡しました。

■おばあちゃんは、赤ちゃんが大好きに。いろんな家族のかたち

――同居している古泉さんのお母さんは、里子を引き取ることに反対だったそうですが、どうやって説得したのでしょう。

説得はしていません。「他人の子どもを、あんたたちみたいな掃除もしない人間が責任を持って面倒をみられるのか」って反対されましたけど、もう勝手に決めてしまいました。でも赤ちゃんが家に来たら、「かわいい~!」ってすぐメロメロになってました(笑)。おばあちゃん世代はやっぱり赤ちゃん大好きですよね。

『うちの子になりなよ』より

僕らも一緒に暮らすようになってから1年と数カ月が過ぎたわけですけど、もうこの子がいない生活を想像しただけで……恐ろしい。悲しくなってしまう。

ただ、養子縁組と違って里親は委託制度なので、里親さんに返すことが前提なんですよ。里子は親権が実親にあるし、苗字も実親のもので、里親には「養育権」があるだけなので。

僕らはいずれ養子縁組をしたいと考えています。6歳までに縁組ができれば特別養子縁組という制度で、戸籍に「養子」と記載しなくて済むので。4歳くらいになったら動き始めたいな、と思っています。

■里親・養子制度に関心がある人へのアドバイス

――実際に、里親・養子制度に関心を持っている人に、何かアドバイスはありますか。共働きはだめなど、厳しい条件をハードルに感じている人もいるかもしれません。

「里子や養子をもらうなら共働きはだめ、専業主婦でないと」というイメージもあるかもしれませんけど、そんなことないんです。そういう民間の斡旋業者もあるけど、自治体や業者によって規定は全然違ってくるので。現に僕がお世話になった児童相談所では、専業主婦じゃないとだめとか、年齢制限がどうとか、そういう規定はありませんでした。だからお住まいの自治体の認定基準をまずは確認してみるといいと思いますよ。

あとは、本気で里親になりたいと思うなら、里親制度に熱心な地域に引っ越すのが一番早いんじゃないかなと思います。

たとえば「赤ちゃんポスト」(※諸事情で育てることができない新生児を親が匿名で特別養子縁組するための施設・システム)を採用している熊本県はオープンにそういう活動をしようっていう風潮があるんじゃないかな、と僕は推察しています。出産直後に養子縁組をする「愛知方式」で有名になった愛知県もそうじゃないかな。どちらもドキュメンタリー番組に顔出しで出演していましたし。

■いつか「君には3人のお母さんがいる」と伝えます

――血がつながらない子どもを育てていくなかで、避けて通れないのが真実告知(子ども本人に生い立ちを伝えること)ですが、これからどのように行うつもりですか。

隠すつもりは一切ありません。というか、もう親類中に里子をもらったことが知れ渡っているので(笑)。この前もね、NICUから引き取って1年が経ったので、家族で挨拶に行ってきたんですよ。「Aくんはここで皆さんに可愛がってもらったんだよ~」って。だからもう真実告知をしているといえばしている。

いずれ言葉が通じるようになったら、「君にはお母さんが3人いるんだよ。産んでくれたお母さん、生後数カ月までNICUでお世話をしてくれた看護師さん、それから今一緒にいるお母さん」みたいなことを伝えようかなと思っています。

でも血がつながっているとかいないとか、そういうことは普段もう考えていないです。それより他に気にすることがいっぱいありすぎて。「ストーブは熱いんだよ?」「これは危険だよ?」とか、そういうことを教えるのに毎日いっぱいいっぱいですから(笑)。

『うちの子になりなよ』より

※里親は里子の出自や個人が特定されるような情報は出せないため、一部情報を変えてあります。

古泉智浩(こいずみ・ともひろ)

1969年、新潟県生まれ。93年、ヤングマガジンちばてつや賞大賞を受賞してデビュー。代表作『ジンバルロック』『チェリーボーイズ』『ワイルド・ ナイツ』など。原作マンガの『青春★金属バット』(2006)、『ライフ・イズ・デッド』(12)、『死んだ目をした少年』(15)が実写映画化されている。

里親になってからの濃密な日々を、文章と4コママンガで淡々と綴った子育てエッセイ『うちの子になりなよ ある漫画家の里親入門』が発売中。

koizumi

(取材・文 阿部花恵)

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