小保方晴子氏が、手記『あの日』で主張した3つのポイント【早わかり】

STAP細胞が発見されたとする2014年1月28日の会見から、ちょうど2年後の出版となった。
The Huffington Post

「こうして私の研究者の道は幕を閉じた」――。

理化学研究所の元研究員、小保方晴子氏の手記『あの日』(講談社)が1月28日に出版された。2014年1月28日に行われたSTAP細胞の会見から、ちょうど2年後の出版となった。

同書は、小保方氏が再生医療研究を志すきっかけを綴った第一章「研究者への夢」、論文発表後に研究不正を指摘され、対応に苦慮する様子と当時の心中を描いた第八章「ハシゴは外された」など、全十五章・253ページの内容となっている。

国内のみならず、国際的にも関心を集めたSTAP細胞論文問題。「責任の所在」「不正の経緯」などについて関する小保方氏の主張を、本書の引用をもとに、3つのポイントにまとめた。

「もう僕のことを必要としてくれなくなって…」

若山研では私以外の全員が、「胚操作」と呼ばれる顕微鏡下でマウスの卵を使った実験を行える技術を持っており、顕微授精を行ったり、キメラマウスを作製したり、クローンマウスを作製したりする実験を行うことができた。若山先生のところに来た研究員は皆、胚操作を若山先生から直接指導を受け技術を習得していた。しかし、私だけは胚操作を教えてもらうことはできなかった。

(中略)

キメラマウスの作製に成功した頃、「私にもキメラマウス作製の胚操作を教えて下さい」と若山先生に申し出ると、「小保方さんが自分でできるようになっちゃったら、もう僕のことを必要としてくれなくなって、どこかに行っちゃうかもしれないから、ヤダ」といたずらっぽくおっしゃった。

第四章「アニマル カルス」92ページ

STAP細胞研究の主導権は、途中から若山照彦・山梨大教授が握っていた、と小保方氏は主張する。「研究に対する主体性は若山先生へと移り、研究の方向性は私の思いとはどんどんかけ離れていってしまった」(102ページ)との記述があるように、自身の当初の着想から研究自体が乖離し、実作業も「自分では再現できない」(104ページ)ものだったという。

このような経緯から、STAP幹細胞の解析結果がおかしいと指摘された点については、「マウスの系統等の管理をすべて若山先生に任せてしまっていたために、私には科学的に反論する材料がなかった」(195ページ)としている。

図表加工が改竄を疑われるとは「思いもしなかった」

私は学生時代に、バンドの濃さで示される量ではなく、バンドの有無を論文の図表で示す場合には、曖昧ではなく明確に示すべきだと指導を受けたことがあり、あるか、ないか、を見やすく加工することが改竄を疑われる行為だとは思いもしなかった。

第八章「ハシゴは外された」147ページ

論文内での画像の取り違えや、データの不足、実験ノートの記述内容など、論文には当時から指摘が相次いだ。小保方氏は研究におけるこれらの不備について、「未熟で猛省している」としたものの、故意ではなかったという。

また、実験の主導権は若山教授が握り、「STAP」という現象や細胞名の命名は笹井芳樹・理研発生・再生科学総合研究センター(CDB)副センター長(故人・肩書きは当時)が行ったとするなど、自身の研究に関する責任は限定されていたと主張している。

一方で、「私が発見した未知の現象は間違いがないものであったし、若山研で私が担当していた実験部分の『STAP現象』の再現性は確認されていた」(238ページ)とも主張しており、STAP現象がすべて否定されたことへの不満を漏らしている。なお、理研の外部における検証実験でSTAP現象が確認されなかったことに対しては、書籍内での言及はなかった。

メディア、理研、早稲田大学への批判

記者から取材依頼の手紙が届いた。その中には「なぜ私たちが毎週のようにSTAP騒動を取り上げてきたか。理由ははっきりしており、読者の評判がよかったから。嫌らしい言い方をすれば、STAPを書けば部数が伸びました。アンケートも毎週取っていますが票数はずば抜けていい数字」と書かれ、「私は小保方さんをモンスターのような存在として書いてきました」とはっきり書かれていた。

第十章「メディアスクラム」186ページ

疑惑をめぐる報道陣の追及を受け、疲弊する様子は、多くのページを割いて書かれていた。第十章「メディアスクラム」内では、記者の実名も挙げてその報道姿勢を批判した。たび重なる報道と社会からの反応に疲れ、「魂が弱り薄らいでいくようだった」(226ページ)と当時の状態を描写している。

また、批判を受けていたのと同時期、指導を受けていた笹井芳樹氏が自殺したことについては「笹井先生がお隠れになった。8月5日の朝だった。金星が消えた。私は業火に焼かれ続ける無機物になった」(220ページ)と当時の心情を描いた。

所属していた理研や、博士号を剥奪した早稲田大学への不満も根強い。理研内の調査委員会に提出した書類には「助言という名の検閲が入り、公表されると理研にとって都合が悪い情報は、すべて削除された」(233ページ)という。また、自身の博士号剥奪に関しては、「私には大学の教育方針よりも社会風潮を重視した判定を下したとしか思えなかった」(252ページ)と感想を記している。

小保方氏自身が参加した検証実験についても、報道や所属する研究機関、科学者コミュニティなどの反応にショックを受け「ただただ朦朧とした意識の中で、毎日同じ作業の繰り返ししかできなかった」(225ページ)として、正確な実験結果を出せる状態ではなかったと主張した。

STAP騒動以降、小保方氏が寄せられた批判にはじめて体系的な反論を試みた本書。文中では、騒動を受け論文撤回にいたるまでに交わされた他執筆者とのメールや、報道機関の記者からのメールもほぼ原文のまま記されている。

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