ヨハン・クライフさん死去 サッカー界の伝説「フライング・ダッチマン」(動画)

元オランダ代表の伝説的なサッカー選手、ヨハン・クライフさんが3月24日、スペイン・バルセロナで死去した。68歳。

元オランダ代表の伝説的なサッカー選手、ヨハン・クライフさんが3月24日、スペイン・バルセロナで死去した。68歳。

公式サイトによると、がんで闘病中だったという。

オランダ・アムステルダム出身。名門サッカークラブ、アヤックスの下部組織から、1964年に16歳でプロに昇格。のちにオランダ代表を率いる名将リヌス・ミケルス監督のもとで中心選手となる。

代名詞ともなったジャンピングボレーシュートや、軸足の裏にボールを通して体を180度回転させ、相手の裏をかく「クライフターン」など、高い技術とスピードに加え、展開を読む力と判断力に優れ、ピッチを縦横無尽に走り回る姿は「フライング・ダッチマン」(空飛ぶオランダ人)の異名を取った。オランダリーグの得点王に2回(1966-67、1971-72)ヨーロッパの年間最優秀選手(バロンドール)に3回(1971、1973、1974)輝いている。1973年、スペインの強豪バルセロナに移籍した。

1974年7月4日、ワールドカップ西ドイツ大会のブラジル戦でジャンピングシュートを決めるクライフ

1974年のサッカー・ワールドカップ西ドイツ大会では、ミケルス監督率いるオランダ代表が、それまでのサッカーの概念を覆した「トータル・フットボール」でセンセーションを巻き起こした。

この年のオランダ代表は、守備(ディフェンダー)や攻撃(フォワード)などのポジションや役割にとらわれず、個々の選手が状況に応じて柔軟にポジションを変えながらピッチ上を広く動き回り、組織的にボールを回す「全員攻撃、全員守備」を実現して、世界を驚かせた。相手ゴールに近い所でボールを奪って逆襲を狙う「フォアチェック」や、意図的に守備ラインを上げて相手のオフサイドを誘う「オフサイドトラップ」など、現代サッカーの基本的な戦術となったものも多い。

クライフはオランダ代表の主将として出場。1974年ワールドカップでは、決勝で西ドイツに1-2で敗れたものの、大会の最優秀選手に輝いた。

1974年7月7日、ワールドカップ西ドイツ大会決勝戦で、シュートを止められるクライフ

旧北米サッカーリーグなどを経て1984年に現役引退。85年からアヤックス監督、88年から96年までバルセロナ監督を務めた。ストイチコフ、ラウドルップ、グアルディオラらのスター選手を多数擁する「エル・ドリーム・チーム」でスペインリーグを4連覇し、欧州チャンピオンズリーグを初制覇するなど、黄金時代を築いた。

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