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2016年04月06日 17時27分 JST | 更新 2016年04月06日 17時33分 JST

アフガン病院が米軍爆撃受けて半年、人々はお金や謝罪よりも真実を望んでいる【ルポ】

médecins sans frontières

アフガン・クンドゥズ州でアメリカ軍の攻撃機が繰り返しのクリニックを攻撃する間、地下に隠れる国境なき医師団のスタッフ=2015年10月3日

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頭を突き抜けた弾丸は、9歳のアミナを死なせなかった。父親のアブデル・カディルは生きてくれるように祈りながら、だらんとした体の彼女を北部クンドゥズの外傷病院へどうにか運んだ。

しかし、1週間も経たない10月3日、家の周りで起きていたアフガン軍と反政府武装勢力タリバンとの間の射撃戦を生き抜いた彼女は、父親がなすすべもなく見守る中、病院のベットで焼死した。彼女は恐ろしい苦痛のなかで、最後の言葉を叫んだ。

「お父さん!お父さん!」。炎が体を焼き尽くす間も、彼女は泣き叫んでいたと、アブデル・カディルは涙を流しながら思い起こした。

アメリカの攻撃機が、アミーナが入院していた国際的緊急医療団体「国境なき医師団(MSF)」の外傷クリニックを爆撃してから6カ月近くが経った。依然として、答えよりも疑問の方が多いようだ。アメリカ軍の透明性の不足が、人々の不信を強めている一方だ。

当時アフガニスタンに駐留していたアメリカ軍の司令官、ジョン・キャンベル陸軍元帥によれば、クンドゥズで起こったことは「悲惨だが、回避可能な事故」だった。病院を運営していたMSFは、この攻撃は戦争犯罪の可能性があると説明してきた。

アミナとその他の子供を含んだ少なくとも41人が、この攻撃で亡くなった。そこは、アフガン北部では、無料の外傷治療を親切に施してくれるただ一つの病院だった。爆撃は半年前になるが、発生した状況ははっきりしないままで、周りの医療に寒々とした影響を今でも与えている。

MSFは、紛争のすべての当事者が、MSFスタッフや患者、医療施設の安全を保証するまで病院を再開する決定はできないとの見解を示している。

「私たちの基本方針や国際法に従って働けることについての保証が必要です」と、MSF広報は3月31日にハフポストUS版に語った。「つまり、誰であろうと、どちら側のために戦っていようと、助けが必要な人々すべてに安全に治療を施すことができるという保証です」

今のところ、クリニックは少数の患者しか治療できず、そのほとんどがクンドゥズの攻撃で怪我をした被害者たちだ。そのため多くのアフガン人は、首都カブールまで出向くしかない。何時間もかけて、度々危険な道を通り、無料で高度な緊急医療を受けに行くのだ。

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10月のアメリカ軍の攻撃を生き延びた8人の子供の父親アブデル・カディル。爆撃で焼死した娘アミナの、いつ撮ったかわからない写真を掲げる。娘や多くのアフガン人と同じく、タリバンを恐れて、顔を出さないようにと依頼してきたた

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10月3日の爆撃の生存者たちは、悪夢のような情景を言い描く。最初に集中治療室が攻撃された。医師たちは、手足を切断された人もいて、同僚の前で血を流した。他の人たちは命からがら逃げる途中、銃で打ち倒された。患者は手術中に手術台の上で死んだ。走れない人々、コンピューターが好きだったアミナのような賢い少女らが、焼死して灰になった。

アメリカ軍は、目標の絞り方を再検討したり軍隊に交戦規定を再教育したり、また攻撃に参加した十数人以上の兵役軍人(将校や下士官兵も含まれるが、元帥は含まれない)を懲戒するなどして責任を果たしたと伝えられている。しかし、これらの兵役軍人は、犯罪の嫌疑は何も受けないとみられている。

アメリカ中央軍は、3000ページ以上に及ぶといわれるこの攻撃に関する調査結果をまだ公表していない。資料が編集されるまで調査結果は公表できない、とアフガン駐留アメリカ軍の代表報道官ウィルソン・ショフナー准将は1月上旬、カブールでハフポストに語った。

アメリカ軍は、MSFや他の関係者からが外部団体による完全に独立した調査を何回も求めていることを無視し、その代わりに、アフガンの指揮命令系統外の武官によって遂行される事実調査は「完全で偏見のない」ものになると主張した。

基本的な事象がまだ論争対象になっている。アメリカ軍は攻撃が29分続いたと主張する。MSFや生存者たちやは、目標を絞った攻撃が、少なくとも1時間はだらだらと続いたと言う。

そして、大きな問題が残ったままだ。

10月3日までの数日で、タリバンの暴徒はアフガン軍に不意打ちを食らわせ、MSF病院の周辺一帯を含むクンドゥズを制圧した。

タリバンは、すぐさまテロという悪名高い旗印を開始し、建物を略奪して囚人の解放や家々を接収し、彼らの暴力的な考え方に大胆に反対する女性権利の活動家たちを捜し出した。これら過激派がアフガンの主要都市を乗っ取ったのは14年ぶりのことだった。アフガン軍とアメリカ軍は、懸命にタリバンを追い出そうとした。

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アフガン・クンドゥズのMSF病院がアメリカの空爆を受けた後の、2015年10月16日の写真。病室で黒焦げとなった遺体を映している

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爆撃についてのアメリカ軍の声明によれば、地上のアフガン軍からの要請を受けてアメリカ軍の特殊部隊指揮官が攻撃を決定、作戦は強力な局地制圧用攻撃機「AC-130」で遂行された。アメリカ軍は、空爆を始める前から攻撃目標を監視していたわけではないと、AP通信が11月に報道した

アメリカ軍は同盟のアフガン軍を信頼していた、しかし、そのアフガン軍はほんの3カ月前、同じクリニックを襲撃して国際法を犯した。国際テロ組織アルカイダの幹部である非武装の患者を探す際に、空へ向けて撃ったことをスタッフ3人を攻撃したと伝えられている。

アメリカ軍は、MSFのクリニックと知っていながら目標にすることなどないと繰り返し主張している。クリニックがアメリカ軍の空爆禁止地域リストに載っていて正確な座標地図には何の疑いもないにもかかわらず、「病院を砲撃しているとは知らなかった」と述べた。MSFは爆撃の4日前となる9月29日、アメリカ軍やNATO加盟国に座標を送ったばかりだった。

空爆中にMSFが、カブールにある北大西洋条約機構(NATO)のオペレーション・レゾリュート・サポート本部へ死にもの狂いでかけた電話やメール送信は、無駄に終わった。MSFが最初に助けを求めてから30分後の午前2時19分、NATOの誰かが「それは残念なことだが、まだ何が起こったのか把握できていない」と返信した。犠牲者の数が増えているとMSFが警告すると、「あなた方全員のために祈りながら、最善をつくします」と返答が返ってきた。

キャンベル陸軍元帥は、空爆によって起きた一連の不運な致命的出来事を非難している。アメリカ軍は目標が空爆禁止リストに載っているか確かめもせずに砲弾を発射した。AC-130機上の技術的故障で電子メッセージやビデオの送受信ができなかった。

「なぜ、だれも決断を控えて、確信がもてないと言う判断をしなかったのか」と、MSFのアフガンの代表、ギルヘム・モリニエ氏は言った。「戦争の行使やジュネーブ条約の尊守についてでたらめで、この国に駐留するNATOや他の多くの軍隊の能力に疑問を持ちます」

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アメリカ軍の空爆を生き抜いた負傷したアフガン少年=10月6日、イタリア人が運営するカブールの緊急病院のベットの上にて

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クンドゥズのハムドゥラ・ダニシ知事代理らアフガンの役人は、タリバンがアフガン軍に攻撃を仕掛けるためにその敷地を利用していたのだと爆撃後の数日間主張したが、MSFはその主張を激しく拒絶している。

「戦闘中だったのだから、何らかのことは起こります」と、ダニシ知事代理は2月初めにハフポストに語った。「タリバンのことは分かっています。どこでも基地として利用しています。(病院が)軍事基地かどうかは言えませんが、彼らは100パーセントそこにいたのです」

多数のMSFスタッフや生き残った民間人、クンドゥズの住民、患者の家族がハフポストに語ったところによれば、彼らは、空爆以前やその最中に、銃器で武装した人を病院敷地内で見かけたことは全くなかった。クリニックは武器の携帯を厳しく禁じていた。

「病院内にタリバンがいたというのは、全くの虚偽です」と、MSFの緊急治療室で攻撃を生き抜いたモハンマド・オマル医師は言った。

空爆のわずか2日前、アメリカ統合参謀本部議長最高顧問カーター・マルカシアン氏は、タリバンが病院に“身を隠して”いないかMSFに問い合わせていた。敷地内には武装した戦闘員はいないが、治療を受けているタリバンの患者は確かにいるという答えが返ってきた。ハフポストはより以上の情報を求めたが、マルカシアン氏は断った。

MSFスタッフは長年、反乱軍の幹部と思われる患者を含め、あらゆる方面の紛争関係者を治療してきた。

そのため、多くのアフガン人や医療専門家たちは、病院内の負傷しているが武装していないタリバンの患者の存在が、10月3日の爆撃を促したのだろうかと考えている。

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クリニックへのアメリカ軍の爆撃で被害を受けた人々に、地下室で緊急治療を行うMSFのスタッフ=10月3日

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この攻撃により、アメリカのアフガンでの戦闘任務が公式に終わった今、アメリカの役割に対する懸念や特殊部隊は必要なのかという疑問が起こっている。アメリカ軍の主要な役割は、「訓練、助言、援助」だが、今もなお実際の戦闘状況にいつの間にか参加しているとみられる。

クンドゥズ攻撃はまた、アフガンでのアメリカ軍の評判にもうひとつの汚点をつけた。爆撃から生き残った人々や、亡くなった人々の家族にとって終結はまだ訪れてなく、なぜ攻撃が起こったのかという本当の説明も受けていない。そういった「事故」はもう起こらないという確信は、アフガン人の間にはあまりない。

「アメリカ人は有効な情報を手に入れられるはずだ」。アブデル・カディルはカブールとクンドゥズの間にある街パルワンのとあるゲストハウスの床にあぐらをかいて座りながらそう語った。外では雨がパラパラ降っていた。「どうしてこんな間違いをするんだろうか」

ショフナー准将によれば、アフガンやイラクでの民間人の死亡につながった過去の戦闘事件と同様、アメリカ軍はクンドゥズの遺族に対して100件以上の弔慰を込めた支払いをしている。受領者の何人かはそれぞれ約6000ドル(約66万円)から7000ドル(約77万円)を受け取ったという。それが、アメリカが決定した、誤って殺された娘や兄弟、父親などの命の代償だった。

殺害されたあるMSF医師の兄弟は、お金を拒否し、それをもっとお金が必要な他の家族に与えるよう主張したと、ハフポストに話した。彼は兄弟の死を、Facebookに誰かが「こちらはオスマニ医師の遺体です」という説明付きの灰の写真を掲載したことで、知ったのだった。

アフガン駐留のNATO軍とアメリカ軍の新しい指揮官ジョン・ニコルソン元帥は3月22日、クンドゥズへ出向いて個人的に謝罪した

「あなた方が失った人やそれぞれの苦悩にご同情申し上げます。そして謙虚に謹んで、あなた方の許しを請いたいと思っています」と彼は述べた。

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MASスタッフの1人はクンドゥズの外傷病院へのアメリカ軍の攻撃による損害を調査している。集中治療室が最初に攻撃され、病院の大部分は焼けて灰になった

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アメリカ軍が恐ろしい出来事を解決しようと努力しているのにもかかわらず、爆撃により生活を引き裂かれたアフガン人たちは、謝罪書や弔慰からの弁済よりももっと手に入れるのが難しいものを求めている。それは、完全な真実だ。

「アメリカ軍は大勢の民間人を殺しました」と、MSFの構内近くに住むクンドゥズの男性住民は話した。「ここの人たちのほとんどは、アメリカ人に対する考えが変わりました。みんな怒っています。アメリカ人は科学技術や情報を持っているんだから、武装した人がいるかどうかは分かるはずです」

「謝罪だけでは不十分です」 この若い男性は続け、安全上の理由から名前を公表しないよう求めてきた。「私は4人の友人を失いました。2人の医者と、看護婦、それに1人の学生です」

同じような攻撃が再び起こるのではないかとびくびくしながら生活しているER(緊急救命室)のオマル医師にとって、謝罪は何の意味もない。そう考えるのは、決して彼1人だけではない。南部ラシュカルガーにあるイタリア人が運営する緊急病院は攻撃に刺激され、スタッフや患者を収容できる広さのバンカー(掩蔽豪)を造った

「10月3日の爆撃をまるで昨日のことのように覚えています」とオマル医師は話した。攻撃機が地獄のような状況を浴びせ始めたとき、解き放ったとき、この経験豊富なER医師は、生き残る方法など万に一つもないだろうと思った。彼は妻にさようならの電話をしたのだった。

「妻は泣いていました」。オマル医師は厳かに言った。「あんなに辛いことは今までありませんでした」

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10月3日にアメリカ軍が繰り返し施設を爆撃した後、炎に包まれるMSF病院の一部

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オマル医師はクリニックの地下にいたので助かった。そこでは、MSFのスタッフが間に合わせの外傷ステーションを設け、人々をできる限り救おうとしていた。

攻撃機の音がようやく収まると、人々は崩壊した病院からはい出した。病院構内の大部分が焼け、煙の柱がまだ立っていた。

患者は、負傷者を収容しに来た救急車に乗せられた。外国人を含む数人のスタッフは、素早く空港へ運ばれた。多くの地元スタッフが自力でなんとかしなければならず、近くの家に避難したり、見知らぬ人の助けをかりて車に便乗したりした。

しかし、死者は後に残された。アミナの遺体は、まだ集中治療室に横たわっていた。両親が亡骸を引き取ることができたのは数日後だった。

「娘を救うことはできませんでした」と、涙を流しながら、アブデル・カディルはあえぐように声を出した。「娘の灰や骨を拾い、妻にあげました」

致命的な攻撃から半年後、アブデル・カディルの手元には、アメリカ軍からの大金が残された。傷ついた心を癒すには何の役にも立たない。「なぜ娘は亡くならなければならなかったのか」 彼はその素朴な疑問に悩まされ続けている。

彼にできることは、二度救うことができなかった娘アミナのために祈ることだけだ。

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ナイエムラ・サンゲンがパルワンとカブールから報告しました。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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