「DVは地獄絵図」決して表面化しない家庭内暴力のリアルを撮り続けた女性写真家

「DVは、自由な世界に住む私たちの権利に対する不当な行為です」

妻の顔を殴り、脅す男性。1982年、ニュージャージー州サドル・リバー。

1981年、写真家ドナ・フェラットは愛し合う人々の写真を撮りたいと思っていた。もっと正確に言うと、フェラットはニューヨークのセックスクラブに訪れる、フリーセックスを楽しむ人たちの写真を撮ることに関心があったのだ。

そして、フェラットはレンズを向けて撮影する被写体として完璧な、ポリアモリスト(複数の人と同時に性愛関係をむ結ぶ人)のカップルと出会った。彼らの生活は幸福で裕福、そしてファッショナブルだった。彼らはフェラットをニュージャージーの家に数週間迎え入れ、その間にフェラットは彼らの生活を間近で記録することができた。

しかしある夜、フェラットは思いもよらない現場を目撃した。夫が妻に暴力を振るい、妻の顔を殴っていたのだ。フェラットは、自分がカメラを構えていたら夫は暴力をやめるだろうと思ってカメラを構えたが、彼を止めることはできなかった。

フェラットは未現像の写真を前に、どうするべきか数カ月考えた。そしてフェラットはライフワークとして、DVの恐ろしさを記録することにしたのだった。

カメラを持ったフェラットは、アメリカ中のDVの避難所、救急救命室、DVの被害を受けた女性のプログラム、警察署や刑務所などを訪れた。1991年にフェラットは「Living with the Enemy((敵と共に暮らす)」を出版し、この本で初めて、アメリカの家の中で行われているショッキングなDVの実態が明らかになった。

その数年後、フェラットの作品の中で象徴的な写真と言える、殴られて両目の周りが黒アザになった女性の写真が雑誌「TIME」の表紙を飾った。現在、TIMEが立ち上げた動画サイト「レッド・ボーダー・フィルム」が製作した新しいドキュメンタリーの中で、フェラットはインタビューに答えている。インタビューでは、自身のこれまでのキャリアを振り返り、初期に撮影した冒頭のカップルが、DVの写真を撮り始めるきっかけになったと話している。

※動画内には不快感を伴う写真や表現が含まれています

ハフポストUS版はフェラットに取材を申し込み、彼女の作品についていくつか質問させてもらった。意味を明確にするため、フェラットの回答には編集を加えた部分もある。

――どうして、DVの写真を撮るようになったのですか?

1981年のことでした。まだAIDS(後天性免疫不全症候群)が蔓延する前で、フリーセックスやハードドラッグに対する恐怖があまりない時代でした。当時私は、マンハッタンのセックスクラブで知り合った、ニュージャージーのファッショナブルなカップルの、自由奔放なライススタイルを記録するという長期間のプロジェクトを進めていました。エネルギーを持て余した若者たちが、自分と同じようなカップルを探すセックスクラブ「プラトーズ・リトリート」には、多くの人が興味を持っていたのです。

私はどのような人がこのクラブを訪れ、自分の妻が赤の他人とセックスしている場面を見た夫はどのように反応するのか、そしてクラブの中がどのようになっているかに興味があったのです。家族としての責任を持ち、また社会的なタブーを犯すというライフスタイルを彼らはどのように両立させているかを理解するために、私は彼らの生活の中心に近づきたいと思ったのです。

DVの写真は、撮影しようと思って始めたわけではありません。私自身、それ以前にDVに関して考えたことはあまりありません。子供の時、自分の生活がDVによって脅かされるような経験もなかったからです。私がそのカップルの立派な豪邸で彼らの生活の記録を始めてから4カ月後、夫が私と私のカメラの前で、謝ることや恥じることなく、いきなり妻を殴ったのです。

その時の夫は、殴る相手が妻であれば、他人の見ている前でも殴っていいと感じているように見え、非常にショックを受けました。

その時までは、私は愛し合う人たちの美しさをカメラに収めようとしてきました。でもDVの現場を目撃したことにショックを受け、それから私はDVの写真を撮ることに没頭するようになってしまったのです。そしてDVを撮影するとなると、カメラというのは最大の武器だと気づいたのです。

――こうした写真が発表された後の、社会の反応はどのようなものでしたか?

私の作品の多くはフラストレーションから生まれています。最初は、DVの現場を目の当たりにしても何もできない自分の無力さから来るものでした。2つ目は、このような写真を掲載する雑誌が長い間存在しなかったというフラストレーションによるものでした。その当時は誰もが、DVがこれほど身近に行われているとは認識していませんでした。女性はDVを受けても、黙って耐えることしかできなかったのです。暴力を振るった男性と一緒に暮らすことになっても、男性から逃げて二度と会うことがなくても、です。DVは女性に対して不当な行為だという議論が行われることはありませんでした。私には、女性は結婚した時に人間として生きる権利を剥奪されているように思えたのです。

私はこうした写真の公開を続けるのではなく、もっと深く掘り下げることにしました。警察に同行する許可をもらい、DV被害にあった女性のシェルターで暮らし、救急救命室によく出入りしたりもしました。そしてよく疑問に思ったのは、こんな恐ろしいやり方で女性に暴力を振るった男性は、咎められるもことなくどのように暮らしているのだろうか? ということでした。

それは馬鹿馬鹿しいほど簡単なことなんです。当時の私はそれが分かっていませんでした。実は非常にシンプルで、誰もがDVを行った男性と結託し、DVを受けた女性を責めていたのです。私が「フィラデルフィア・インクワイアラー」紙から仕事を引き受け、フィラデルフィアで撮影した写真の何枚かが発表されると、社会に一石を投じることができました。人々は、「TIME」の表紙に載った、女性が顔を殴られて両目の周りに青黒いアザができている写真を見て非常にショックを受けていました。とうとうDVが社会で議論されるようになり、この社会的な問題の重要性が、知らないことではすまされなくなったのです。

幸運にも80年代後半に、制度を改正して、DVを行った男性に適切な方法で対処するための、数多くの女性たちによる草の根運動が起こりました。私の写真は、もっと多くの啓発キャンペーンのための資金を集めてシェルター運動を進める上で必要でした。そして最も重要なのは、女性や子供たちの生活を守る必要があるという証拠にもなったのです。

父親が逮捕されるところを目撃する少年。「お母さんを殴るお父さんなんて嫌いだ!」「もうこの家に帰ってこないで!」

――あなたの写真が持っている、目に見えるインパクトとは何でしょうか?

1992年に「Living with the Enemy」が出版された後、ニューヨークのNPO「サンクチュアリー・フォー・ファミリーズ」から、私の作品の展示会を行いたいという話を受けました。気の滅入るような私の写真を展示して資金が集まるのかは疑問に思いましたが、承諾してサンクチュアリー・フォー・ファミリーズのための展示会を行いました。この展示会では一晩で、8万600ドルが集まりました。写真を売るだけでなく、ショーのチケット、1冊250ドルの本を売ってこれだけの資金が集まりました。本当に驚きました。全く予想外だったからです。これこそ、私が仕事に求めていた"直接的な作用"だと感じました。私は自分の作品をアートだとは思っていません。私にとっての写真は、他人に対する奉仕のようなものなのです。

1992年、私は501c3団体(課税を免除される非営利団体)を設立し、役員を設け、「ドメスティックバイオレンス・アビューズ・アウェアネス Inc.」が生まれました。私たちはこれまで、世界中のDV問題のグループと共に活動してきました。私たちは写真が持つ力強いメッセージを通して、社会にDVのことを伝えたいのです。14年以上にわたり、私たちは多くの展示会、講演、募金活動を行い、DVを受けた女性と子供たちが必要としていることへ社会の関心を向け続けてきました。私は写真家として、このサイクルを断ち切る方法を探してきました。

ニューヨークからワシントンD.C.に向かうアムトラックの通勤電車の中で、「女性に対する暴力防止法」の立案に関わったジョー・バイデン氏(現副大統領)に会いました。バイデン氏は私の本を持っており、非常に勉強になるストーリーだったと話していました。

2004年頃、「Living with the Enemy」の中の女性たちは、暴力を振るう男性から離れる勇気を持っていました。多くの人たちの予想に反して、女性たちはパートナーの元に戻りませんでした。それこそが、新しいムーブメントの「 I AM UNBEATABLE(私はDVに屈しない)」を作ろうと思うきっかけになったのです。この I AM UNBEATABLEでは、誰かが命を失ってしまう前に、子供と一緒に暴力を振るうパートナーの元を離れた女性の話が語られています。

――1980年代と比べて、DVに対する姿勢はどのように変わりましたか?

大きな変化というのは、実際のところは現在も進行中だと思います。警察は暴力を振るった男性を逮捕し、被害を受けた女性は、安全な場所で、自分自身で新しいスタートを切ろうとしています。1990年代は、アメリカは女性にとってかなり安全な国でした。しかし、2001年にそうではなくなってしまいました。「Our grief is not a cry for war」の考え方が世界規模で優勢になり始め、アメリカ人の立場は弱くなってしまったのです。

現在では多くの人がDVについて良く知っていると思いますが、それでもかなりの人は、特に男性は、一緒に暮らす女性を殴った後でも咎められることなくやり過ごせると考えています。そして、そういった男性は、昔と全く同じ言い訳を言っているのです。「彼女のせいだ」と。そして繰り返しになりますが、社会がこうしたDVを行う男性と結託し、許してしまっているのです。

――DVについて、人々にどのようなことを知ってほしいですか?

DVは地獄絵図です。自由な世界に住む私たちの権利に対する不当な行為です。DVは被害者だけでなく、全ての人に対する侮辱です。自分たちが暮らす社会が、女性が路上でレイプされたり、家で暴力を受けている社会だと知って気分が良くなる人がいるでしょうか? 男性が女性に対して、あたかも囚人のように暴力を振るうことが許される家とは一体何なのでしょうか?

みなさんに知ってほしいのは、今は昔とは違うということです。一つは、多くの女性は自分には権利があることを知っている、ということです。殴られていい人間なんていません。全ての人が女性を守るために力を合わせる必要があります。女性が安全に暮らし、生活と傷ついた自尊心を立て直すのに必要なものを、社会が与えなければならないのです。

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本記事を執筆したメリッサ・ジェルトセンはDVや、女性の健康や安全などの問題を取り上げている。彼女とはメールTwitterアカウントで連絡が取れる。

ハフポストUS版より翻訳・加筆しました。

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