連れ去られた息子と21年ぶりの抱擁 「心の苦しみが消えました」

9日、スティーブ・ヘルナンデスは母マリア・マンシアと再会を果たした。

スティーブ・ヘルナンデスは母親の顔からそっと涙を拭った。二人はアメリカ・カリフォルニア州の地区検察局にある閑散とした部屋に立っていた。マリア・マンシアは息子を両腕に抱きながら涙が止まらなかった。

21年の歳月を経てようやく叶った抱擁だった。あまりにも時間のかかった再会で、マリアは一度あきらめかけたほどだ。

スティーブが母と6月9日に、21年ぶりに再会するまでにあった出来事は想像を絶するものだった。

今年42歳のマリアが最後にスティーブを見たのが1995年、スティーブはまだほんの1歳6カ月だった。ある日、マリアがカリフォルニア州のランチョ・クカモンガにある自宅へ戻ってみると、家は誰かに荒され、わが子がいなくなっていたのだった。

同居していたスティーブの父親が子供を連れ去ったのだった。

取り乱したマリアは警察へ誘拐の通報をしたが、数十年もの間何の手がかりも得られなかった。

「その間ずっと、息子に何があったのか知る由もありませんでした」とマリアはサンバーナーディーノ・サン紙に語った。

地区検察局で公開されたこの日付のない写真が、マリア・マリアにとって20年以上行方不明になった息子の唯一の写真なのだ。

幼年時代のスティーブのこの古い写真が、マリアが息子を覚えているためのすべてだった。スティーブの父親が、スティーブの写真と身分証明の書類をすべて持ち出したため、マリアはエルサルバドルの親戚に頼んで息子の写真を1枚手にいれたのだった。

「この21年間、その写真がマリアにとって唯一のスティーブの写真でした」とサンバーナーディーノ地区検察局児童誘拐科のカレン・クラッグ調査官がAPに語った

そして2月、クラッグとその同僚ミシェル・ファクソンは、現在22歳になるスティーブとその父親が、メキシコのプエブラに暮らしているらしいという情報を得たのだった。父親は行方不明となっており、調査官たちはそれを理由として彼の息子と話をするきっかけを作ったのだった。

「私たちはスティーブに連絡を取るために、ある策略を使いました。スティーブに、彼の父親を調査しており、父親を探し出すために彼のDNAが必要なのだと言いました」とクラッグはAP誌に語った。「スティーブを怖がらせたくなかったんです。メキシコでの状況がどうなっているのかわからなかったため、きわめて慎重にことを進める必要がありました」。

5月にはスティーブとマリア両者のDNAサンプルがテストのために司法省の実験室へ送られた。調査官たちによると、2人をがっかりさせないよう、両者はテストについて知らされていなかったという。しかし、数週間後驚くべき知らせが舞い込んだ。サンプルがマッチしたのだ。

クラッグとファクソンはマリアの家へ車を飛ばし、その朗報を伝えた。

「最初、マリアは私たちの言うことを信じなかったようです」とクラッグはAPに語る。「マリアは泣き始めました。息子がまだ生きていたなんて信じられない、と」。

9日、マリアとその息子は検察局で再会を果たした。

「息子を取り戻し、ようやく今まで抱えてきた心の苦しみが消えました」とマリアはKABCテレビに語った。「21年間息子を探し続けて何もわからなかったのです」。

サン紙によると、スティーブはアメリカ市民で、この先アメリカでの教育を続け、ロースクールで学ぶことを望んでいるという。スティーブの父親の居所がわかったのか、また、父親が拉致罪で起訴されるのか、については定かではない。

スティーブの父親は、息子が幼い時にマリアが自分たちを捨てたのだとスティーブに話していたのだった。

「ショックでした」と、母親の所在を知らされたスティーブは言った。「母が生きているのかどうかもわからなかったのに、母が見つかったという電話をもらい、母が自分のことをずっと探していたと聞いて、冷や水を浴びたような気持ちでした。でもうれしい、うれしいです」。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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