沖縄慰霊の日、翁長知事「非人間的な凶悪事件に、県民は不安と憤り」辺野古移設中止求める(全文)

「県民は不安と憤りを感じている」と強く批判し、普天間基地の辺野古移設中止を求めた。

沖縄県糸満市で6月23日、太平洋戦争末期の沖縄戦の戦没者を追悼する「沖縄全戦没者追悼式(慰霊の日)」の式典で、翁長雄志(おながたけし)知事は平和宣言の中で元米海兵隊員の軍属が逮捕された女性暴行殺害事件に言及した。「県民は不安と強い憤りを感じている」と強く批判し、普天間基地の辺野古移設の撤回を求めた。6月19日には事件に抗議する県民大会が開催され、主催者発表で6万5000人が参加した。

「慰霊の日」の追悼式は、組織的な沖縄戦が終結したとされる6月23日、最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で開かれた。翁長知事は2015年も平和宣言の中で、普天間基地の辺野古への移設中止を訴えていた。

追悼式には安倍晋三首相も参列し、事件について同様に「非常に強い憤りをおぼえています」と述べた上で、「米国に対しては、私から直接大統領に(中略)強く抗議するとともに、実効的な再発防止など厳正な対処、対応を求めてきました」と、政府としても対策を行ったことを強調。基地負担軽減に務めることも宣言した。

■翁長雄志知事の平和宣言・全文

太平洋戦争最後の地上戦の行われた沖縄に、71年目の夏が巡ってまいりました。沖縄を襲った、史上まれに見る、熾烈な戦火は、島々の穏やかで緑豊かな風景を一変させ、貴重な文化遺産のほとんどを破壊し、20数万人あまりの尊い命を奪い去りました。私たち県民が身をもって体験した、想像を絶する戦争の不条理と残酷さは、時を経た今でも忘れられるものではありません。この悲惨な戦争の体験こそが平和を希求する沖縄の心の原点であります。

戦後、私たちはこの沖縄の心を拠り所に、県民が安心して生活できる経済基盤を作り、復興と発展の道を懸命に歩んでまいりました。

しかしながら、戦後71年が経過をしても依然として広大な米軍基地が横たわり、国土面積の0.6%に過ぎない本県に、米軍専用施設の約74%が集中しています。広大な米軍基地があるがゆえに、長年に渡り、事件・事故が繰り返されてまいりました。

今回の非人間的で凶悪な事件に対し、県民は大きな衝撃を受け、不安と強い憤りを感じています。沖縄の米軍基地問題は我が国の安全保障の問題であり、日米安全保障体制の負担は、国民全体で負うべきであります。日米安全保障体制と日米地位協定の間で生活せざるを得ない沖縄県民に、日本国憲法が国民に保障する自由・平等・人権、そして民主主義は等しく保障されているのでしょうか?

真の意味で平和の礎を築くためにも、日米両政府に対し、日米地位協定の抜本的な見直しとともに、海兵隊員の削減を含む米軍基地の整理縮小など、過重な基地負担の削減を、直ちに実現するよう強く求めます。

特に普天間飛行場の辺野古への移設は、県民の理解は得られず、これを唯一の解決策とする考えは到底許容できるものではありません。

一方、世界の国々では貧困・飢餓・差別・抑圧など、人命と基本的人権を脅かす多くの深刻な課題が存在しています。このような課題を解決し、恒久平和を実現するためには世界の国々、そしてそこに暮らす私たち一人一人が一層協調し、平和の創造と維持に取り組んでいくことが重要であります。

私たちは万国津梁(ばんこくしんりょう)の鐘に刻まれている通り、かつてアジアや日本との公益で活躍した先人たちの精神を受け継ぎ、アジア・太平洋地域と日本の架け橋となり、人的・文化的・経済的交流を積極的に行うよう、一層努めてまいります。

戦争の経験が息づく沖縄に暮らす私たちは、過去をしっかりと次の世代に継承し、平和の実現に向けて貢献を果たす上で、大きな役割を担っているのです。

本日、慰霊の日にあたり、犠牲になった方々に心から哀悼の誠を捧げるとともに、平和を希求してやまない沖縄の心を礎として、未来を担う子や孫に残すため、誇りある豊かさを作り上げ、沖縄が恒久平和に取り組んでいく決意を、ここに宣言いたします。

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