「北の国から」資料館閉館へ 私財投じ運営の仲世古さん「いつか日の目をみるように」

人気ドラマ「北の国から」の小道具や衣装などを展示する資料館(北海道富良野市)が8月末で閉館する。運営してきた木材会社社長の仲世古善雄さんに、ハフポスト日本版がインタビューした。
Wataru Nakano

人気ドラマ「北の国から」の小道具や衣装などを展示する「北の国から資料館」(北海道富良野市)が8月末で閉館することになった。建物の老朽化や来館者の減少で、民間による運営を続けるのは難しくなったことが理由という。

資料館は、富良野市の木材会社社長の仲世古(なかせこ)善雄さん(73)が私財を投じ、住民らと運営してきた。開館から21年。仲世古さんは6月下旬にハフポスト日本版の取材に応じ、「資料はいつか日の目をみるようにしたい」と述べた。

「北の国から」 主人公の黒板五郎(田中邦衛)と、純(吉岡秀隆)、蛍(中嶋朋子)の2人の子供の成長を、富良野の大自然の中で描いた人気テレビドラマ。1981年10から翌年3月までフジテレビ系列の連続ドラマとして放送。その後は2002年9月までの約20年間、単発のスペシャル版が8本制作され、いずれも20~30%台の高視聴率を記録した。出演はほかに地井武男、竹下景子、岩城滉一、宮沢りえ、内田有紀ら。原作・脚本は倉本聰、音楽はさだまさし。

資料館はJR富良野駅近くにあり、倉本聰さん直筆の脚本原稿や、さだまさしさんによるドラマのテーマ曲の原譜、ドラマの場面を写したパネル、ロケで使われたセットなど約520点が展示されている。資料はフジテレビなどが提供し、倉本さんがレイアウトなどを監修した。03年に通年開館になってからの来場者数は延べ約62万人に上る。

仲世古さんは、ドラマで地井武男さん(2012年死去)が演じた中畑和夫のモデルにもなった。中畑はドラマ中、田中邦衛さんが演じる主人公、黒板五郎の親友だ。仲佐古さんが経営する「麓郷木材工業」は富良野の市街地から約20キロ離れた麓郷(ろくごう)地区にある。ロケの中心となった麓郷は「北の国から」で全国に知れ渡り、観光スポットになった。また麓郷木材工業はロケにも使われ、作中の「中畑木材工業」の看板はかけられたままだ。

インタビューに答える仲佐古善雄さん=北海道富良野市

■「資料はプレハブの建物を買って、きちんと守ります」

――まず、どうして資料館を閉館することになったのですか。

ここは、元は農協のコメの倉庫です。高くて大きくて迫力があるでしょ。でも建物が古くなって雨漏りするようになり、直すのに数百万円かかるんです。私が維持費や補修費用を全部出してきました。年間1000万円の収入がありますが、経費はそれ以上かかっています。ちょっと大変になりました。また、今後入館者数がもっと減るのは間違いないでしょう。

――資料館はいつから、どういった経緯でやっているんですか。

開館したのは1995年で、2002年までは倉庫が空になる夏場の2カ月間だけ倉庫を借りてやっていました。でも、もう壊すというので「これらも使わせてほしい」とお願いすると、「買うならいい」と言われたんです。それで土地と倉庫を買い取り、2003年6月からは通年で開いてきました。年中開館していて、盆も正月も休みは1日もありませんでした。

――来館者はどう推移してきたんですか。

通年営業となった2003年は翌年3月までの間に9万人近い来場者がいたんですが、昨年度は2万人にまで減りました。

でも、「北の国から」は、終わってからも根強いファンがいますよ。いまでも、資料館に入ったとたんに感動して泣く人もいます。ドラマを見ていたファンの子供や、再放送を見て好きになった新しい若いファンも増えているようです。「ドラマの古典」になっているんですね。文学でも名作は長い期間、読み継がれるし、落語の古典もそうでしょ。倉本先生のドラマも古典なんですね。ドラマのメッセージは、時代を経た今でもなお価値があると思います。

普通のドラマは、放映しているときは観光客が押し寄せても、3年も過ぎたら人が来なくなるでしょ。でも富良野、麓郷の人気は長続きしています。ありがたい。

――資料館を開いたきっかけはなんだったんですか。

資料館を開きたいという話は、地元の青年会議所のメンバーから来たんです。ドラマの舞台となった麓郷には観光客が来ていたけど、富良野の街中には観光客が少なく資料館を富良野駅前でやれないかという話でした。一方、倉本先生は最初、資料館は麓郷にあるべきだと言っていたんですが、「街中に人が来るためにと、みんながそう言っているならいいよ」って認めてくれたんです。

――閉館に当たっての気持ちを聞かせて下さい。

苦渋の選択ですが、閉館は私から言い出したことですからね。倉本先生は閉館を快く了承してくれました。資料はプレハブの建物を買って、きちんと整理して守ります。いつか日の目をみるようにしたい。

資料館はどこかで再開したいですね。「倉本聰記念館」を作ったらどうかと提案しているんですよ。倉本先生はドラマだけでなく、芝居も書くし、NPO法人「富良野自然塾」を主宰して情報発信したりしていますから。

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■「倉本先生からは『酷なようだが奥さんの話を書かせてもらいたい』と言われた」

――ドラマが始まった当初の富良野の様子はどんなだったんですか。

倉本先生は77年に東京から富良野に移り住みましたが、初めて麓郷を訪れて「まだ日本にこんなところが残っていたんだ」「ああ、いいところに住んでいますね」って私に言ったんです。お世辞だと思ったら、岸田今日子さんや阿久悠さんという大物を連れて来たんですよ。

倉本先生は私の山にまで入って来ました。うちの作業場では、冬の昼休みに大きな焚き火を焚いて、作業している連中が囲んで弁当を食べるんですが、先生はそれを見て「ここでドラマを作りたい」と言いました。

撮影を始める際、フジテレビの常務がやってきて「オールロケに近い、映画に近い撮影をしたいので、地元の協力がほしい」と言いました。こっちは「協力しますよ」と言いました。撮影中から観光客が増えていきました。

――ドラマの影響が大きかったんですね。

状況が変わったってもんじゃないですよ。以前は冬場のスキー客ばかりだったのが、夏場に人が押し寄せるようになった。ここの農産物は「富良野産」ということでブランドになって売れるようになり、東京の銀座に飲みに行って、店員に「富良野から来た」と言うと「いいところに住んでいるね」と返されるようになりました。以前は、みんなから「知らない」と言われましたけどね。

――仲佐古さんも登場人物のモデルになりました。

最後のドラマとなった「2002遺言」の中で、中畑和夫の妻ががんで亡くなります。実は、私の妻が前年、がんでぽろっと死んじゃったんですよ。ちょっと前まで元気だったのにね。倉本先生は、「酷なようだが奥さんの話を書かせてもらいたい」と言ってきたんです。こっちは「事実だからいいですよ」って答えました。

中畑を演じる地井さんは、お忙しかったのか、当初は出演辞退するつもりだったけど、奥さんが台本を読んで、「出た方がいい」って背中を押したそうですよ。でも、その奥さんもがんで、その1週間後に亡くなってしまいます。地井さんは最後までがんのことを奥さんには伝えなかったようです。

劇的な話だよね。地井さんは、何度も声を詰まらせながら演じていました。ドラマが鎮魂歌になった。忘れられませんね。

「北の国から」資料館=北海道富良野市

北の国から資料館

富良野市朝日町5-20

電話 :0167-39-2800

入館料:大人 500円/小学生 300円

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