小倉智昭氏、大橋巨泉さんを悼む 「最後は"ありがとう"しか言わなくなって......」

きっかけは、40年前の競馬場だった。
時事通信社

タレント・司会者の大橋巨泉さんが7月12日に死去したとフジテレビ系「とくダネ!」が20日に報じた。番組内では、司会の小倉智昭氏(69)をはじめ、出演者たちが巨泉さんとの思い出を偲んだ。

小倉氏は「巨泉さんがいなかったら、今こうやって『とくダネ!』の司会をやってるということはなかった。僕の師匠だったし、恩人でもあった。12日に亡くなったのを聞いて相当うろたえました」と、胸中を明かした。

■小倉氏「最後のお別れをしたが、本当に細くなっちゃって…」

小倉氏が「師匠」と慕った巨泉さんと出会ったのは、今から40年前ほど前、競馬場で「小倉君、僕と一緒に競馬の仕事やんないか」と声をかけられたのがきっかけだったという。

当時は「雲の上の人だった」という巨泉さんから、「29歳?今別居してるんだって?離婚したほうがいいなあ。俺も29歳で離婚したんだよ」と言われ、「乱暴な人だなあ」という印象を持ったという。しかし、「『大橋巨泉の世界まるごとHOWマッチ』に抜擢され、今のきっかけができた」として、「巨泉さんがいなければ、今の僕っていないんですよね」と、感謝の言葉を述べた。

小倉氏は18日、巨泉さんの通夜に参列。「最後のお別れをしたが、本当に細くなっちゃって、巨泉さんの面影がなかった。最後だったので長年のお礼を言って、『ありがとうございました』と巨泉さんに話しかけた」と語った。

また小倉氏は、妻・寿々子さんから聞いた巨泉さんの病床での様子を紹介。「最後は言葉も話せなくなってしまって。巨泉さんは色々口うるさい人ですから、あれこれ奥様にも注文をつけたりするんですが、最後は「ありがとう」しか言わなくなってね。『ありがとう、ありがとう』って。言葉が出なくなってからは、手の指で3と9を作り『サンキュー』とやっていた」と明かした。

■デーブ・スペクター氏「誰もやっていなかったことをやっていた」

コメンテーターのデーブ・スペクター氏は、「娯楽や楽しみや趣味のため働いていて、(それが)悪い事ではないと初めて言ったぐらいの方だった。日本でリタイアあるいはセミリタイアという概念そのものを初めて知らせた」と、巨泉さんの先進的な考え方に敬意を表した上で、「ジャズが大好きで評論家でもあったが、晩年が闘病の話ばっかりだったのは本当に残念だった」と語った。

またスペクター氏は「一番印象に残っているのは、(巨泉さんは)アメフトが大好きで、3mぐらいのパラボラアンテナを別荘に立てていたこと。誰もまだやっていなかったことをやっていたのが大橋巨泉さんだった」と話していた。

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