大橋巨泉さん死去、妻・寿々子さんがコメント発表(全文)

「いまだに心落ち着かず、皆様から優しい言葉をかけられるとすぐに涙で声が詰まりお話しできなくなります。そこで失礼な事は重々承知しているのですが、このコメントをインタビューに代えさせていただきたくお願いいたします」
時事通信社

大橋巨泉さん死去、妻・寿々子さんがコメント発表(全文)

タレントの大橋巨泉(本名:大橋克巳)さんが12日午後9時29分、急性呼吸不全のため入院先の病院で死去した。82歳だった。

通夜と葬儀は親族のみで済ませており、後日「大橋巨泉を偲ぶ会」が開催される。

喪主を務めた妻の寿々子さんのコメント全文は以下。

この度は夫・大橋巨泉の逝去に当たり何かとご配慮をいただき、誠に有り難うございました。本来は、私がインタビューをお受けするべきかとは存じますが、結婚以来47年、何処に行くのも、何をするのも一緒でという生活を重ねてきたのでいまだに心落ち着かず、皆様から優しい言葉をかけられるとすぐに涙で声が詰まりお話しできなくなります。そこで失礼な事は重々承知しているのですが、このコメントをインタビューに代えさせていただきたくお願いいたします。

「どうぞ大橋巨泉の闘病生活に“アッパレ!”をあげて下さい」

皆様方も良くご存知のように夫は自他共に許す“わがまま”と言われ、痛い事やつらい事、待つ事、自分の意に染まない事は“避けて通る”というわがままでした。

そんな夫が2005年に胃がんを手術、2013年には第4期の中咽頭がんで3度の手術と4回の放射線治療、昨秋には2度の腸閉塞と手術を、そして4月の在宅介護の鎮痛剤の誤投与と続いても、12日までの約11年間の闘病生活を勇敢に戦って来ました。特に4月からの3ヶ月間は死を覚悟し、全てを受け入れ、一言の文句も言わず、痛みも訴えずに、じっと我慢をしてくれました。

先生からは「死因は“急性呼吸不全”ですが、その原因には、中咽頭がん以来の手術や放射線などの影響も含まれますが、最後に受けたモルヒネ系の鎮痛剤の過剰投与による影響も大きい」と伺いました。もし、一つ愚痴をお許しいただければ、最後の在宅介護の痛み止めの誤投与が無ければと許せない気持ちです。

病状ですが、5月までは希望を持っていましたが、6月には体力の衰えが見えて、7月に入ると眠っている時間が長くなりました。それでも娘や孫達の見舞いを受けるとニッコリと笑顔を見せていました。その頃には会話をする気力もなく、頷いたり、手を強く握ったり、目元や口元の動きなどで意思を伝えてくれました。

そして最後は眠ったまま静かに旅立ちました。

たぶん、若くして亡くなった大好きな母親の迎えを受けての旅立ちだと思います。

それから永六輔さんの訃報は、ショックの大きさを考えて伝えませんでした。

素晴らしい看護スタッフに恵まれて、本人ともども心から感謝をしています。

そして何度も電話や手紙で励まして下さいました多くのファンの方やご友人と、優しい大橋家の家族たちには改めてお礼を申し上げます。

最後に孫の言葉を添えさせていただきます。

「ジージ、これからはただで何処へでも飛んで行けるね!ニュージーランドでもカナダでも、でもバーバの側にもいないとだめだよ!」

2016年7月20日

大橋寿々子

大橋さんは度重なるがんの手術と放射線治療などによる衰弱、加えて今年4月に受けた在宅介護の医療機関のモルヒネ系鎮痛剤の誤投与により極端な体力減退に陥り、4月11日に緊急入院。入院先のスタッフの治療で3ヶ月間も耐えたが、12日に亡くなった。

■大橋巨泉(おおはしきょせん)

1934年東京都出身。早稲田大学在学中からジャズコンサートの司会として活躍し、大学中退後はジャズ評論家・放送作家を経てタレントに転身。『11PM』『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(日本テレビ)、『クイズダービー』『世界まるごとHOWマッチ』など人気番組の司会を数多く務めた。56歳の時に「セミリタイア」を宣言し、芸能界の第一線から退いた。

2001年には参議院選挙に当選して政治家に転身するも、6ヶ月で辞職。その後は季節に合わせてオーストラリアやニュージーランド、カナダなどに滞在し、たまに日本に帰国し番組に出演するという生活を送ってきた。最後のテレビ出演は今年2月のテレビ朝日系『徹子の部屋』で、今月7日に亡くなった永六輔さんとそろっての出演だった。

これまでに、胃がん(2005年)、中咽頭がん(13年)、リンパ腫(14年)、肺がん(15年)、と4度のがんを経験。1994年から『週刊現代』でコラム連載を続けてきたが、今年6月27日発売号で自らの意志で最終回を迎えていた。

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