36歳の末期がん患者が、娘に残すために始めた「最後の仕事」

西口さんはこのコミュニティを「最後の仕事」として、娘に残したいという思いで精力的にこの活動に取り組んでいる。
Yohei Nishiguchi

2015年に末期の胆管がんと診断された人材会社社員の西口洋平さん(36)は、2016年、子供を持つがん患者同士が出会うことができるコミュニティサービス「キャンサーペアレンツ~こどもをもつがん患者でつながろう~」を立ち上げた。西口さんはこのコミュニティを「最後の仕事」として、娘に残したいという思いで精力的にこの活動に取り組んでいる。その思いを聞いた。

――まず、がんと診断された経緯を教えてください

体調がおかしいなと思い始めたのは、2014年の秋頃からです。ビールを飲んだり、ラーメンを食べるとお腹を下すというのがまず気づいた異変で、なんとなく白っぽい便の下痢をするようになりました。お腹も痛く、病院に行ったのですが、その時は下痢止めを処方されました。それから年末ごろまでに体重が急に5キロ落ちて、スーツのズボンがブカブカになったんです。

そして、2015年1月末、「黄疸が出ている」とお医者さんに言われたんです。検査入院をして3日目のことでした。「驚かないでね、悪性腫瘍があるんだよね」と告げられて。何のことかわからずに、聞いたら「がんです」と。その時に、今後の治療の話もして「相当難易度が高い手術が必要です」と言われました。

――どんな思いで告知を聞きましたか

気持ちの整理ができないまま、病院から実家の母に電話をしまして、「がんって言われた」と言ったところで、もう声が出なくなりました。階段のすみで泣きながらうずくまってしまったんですが、慌ててトイレに駆け込んで、泣き続けました。それから顔を洗って、奥さんに電話で伝えました。病気に対するショックで、仕事や生活、子供のこととかその時は全く考えられませんでしたね。

入院前まで普通に仕事をしていたのに、急に崖から落ちたような...。奥さんも絶句していました。翌日、奥さんと一緒に病院に行ってもう一度、説明を受けて手術について聞きました。奥さんはすでに、入院期間だとか、費用とか、冷静に質問していてすごいなと思いました。

――どんながんなのでしょうか

5年生存率が極めて低いという、胆管がんでした。診断された時には、肝臓の6割、膵臓の頭までを取る大手術をしなければならないということでした。難易度が高い「12時間コース」の手術で、体力が持たずに、手術で命を落とす人もいると。でも実際に2015年の2月、手術をしてみたら、たった3時間で終わってしまいました。開腹してみたら、リンパ節や腹膜への転移が多すぎて、すでに手がつけられない状態、抗がん剤治療しかできることはないということがわかったんです。

いわゆるステージ4、末期の状態です。家族にだけ告知されていて、自分が教えてもらうまで、手術から3日間ありました。家族の目が腫れていたり、奥さんが気丈に振る舞っていたりして、おかしいなと思いながら過ごしたので予感はありました。「やっぱりそうか」と落胆しました。がん告知より、この時が一番ショックだったかもしれません。

――抗がん剤治療を始めて、体調はいかがですか

入院中の西口さん

だるかったり、吐き気といった副作用はありますが、よく効いているんです。幸い、仕事には2015年4月にも復帰できました。手術から1年半経ちましたが、「こんなに元気になるとは」とお医者さんも言っています。今も週に1度のペースで抗がん剤を打つために通院しています。

――お子さんは

娘が1人、7歳です。病気だということは理解していますが、どこまで深刻に捉えているか。ちゃんと話したことはありません。奥さんとは「僕が死んだあとどうする」という話はしています。子供の将来が気がかりだし、何とかしてあげたい。何かを残したい、でも、死ぬ前提でいろいろなことをするのも違うな、と思ったり、葛藤の中にいます。お金のことももちろん不安です。

――お仕事は今どうされていますか

2002年から新卒で、当時できたばかりの人材会社で営業やマネジメントの仕事を続けてきました。出向などをはさみ、同じグループ企業にずっと勤めています。入社当時の社員はたった40人でしたが、2008年には社員数は1200人にまでなりました。告知された当時は子会社に転籍していたのですが、がんの告知を受けて1年で退職しました。退職後は元の会社で、週に2〜3日のペースで働いて、残りの時間をキャンサーペアレンツの活動に当てています。創業当時からいる社員として、今は育ててきてくれた会社に何かお恩返しをしようとメンターなどの仕事を主にしています。

がんについて、告知後すぐに会社には伝えました。同僚もサポートしてくれて、勤務を続けられたのはありがたかったですが、入院で有給の日数はすでに超えていますから、基本給も減ります。営業でしたから、勤務日数が少ないと成果を出しにくい。身体も、精神も、お金も不安定で三重苦でしたね。

――「キャンサーペアレンツ」を始めようと思ったきっかけは

キャンサーペアレンツのサイト

とにかくがんになって自分が困ったのは、周りに相談できる人がいなかったということなんです。入院先でも、がん患者というと多くはおじいちゃん、おばあちゃん。でも自分が知りたかったのは、子供をどうするか、仕事をどう続けるかということでそういう話ができる同世代はいなかった。孤独でした。同世代のがん患者と繋がりたい、そのために、たくさん若いがん患者が集まるコミュニティを作りたいと思いました。

実際に動き始めたのは2015年の秋に友人に声をかけられたのがきっかけです。その頃には抗がん剤治療にも慣れ、仕事も随分効率よくできるようになった。でも、自分が生きた証として「最後の仕事」を成し遂げたい気持ちになりました。その時はビジネスプランのコンテストに応募したのですが、それは不採用になり、自分でやることになりました。

――「キャンサーペアレンツ」のコミュニティとは?

まずは、がん患者に会員登録してもらって、繋がりたい人と繋がって、お互い、いろいろと相談できるという仕組みを作りました。困った時に、仲間がいるという安心感を抱いて前向きに生きて行く糧にできたらいいと思います。

例えば先日は、30代後半の女性のがん患者さん2人がメールのやり取りを経て、スカイプで話す機会をセッティングしました。お互い、年齢も近くてがんの種類も同じ、子供がいるところも同じで、でもそんな人は周りにいなかった。2人が出会えたという感動がすごかったです。「自分たちに何かあったらそのあとは、子供同士が支え合っていく関係になれたらいいね」という話もしていて、なるほどと思いました。

――西口さん自身がお子さんに残したいものとは?

僕もいろいろ考えました。お金なのか、ビデオレター?それとも手紙?でもそれよりも、「僕が色んなことを思って、こんなことをやったんだよ」と、父親がこういう仕事を最後にしたんだと、物心がついた時に知ってくれて「私も頑張ろう」と思ってくれたら、めっちゃ嬉しいなと思いました。だから、そのためにも「キャンサーペアレンツ」を長く残したい。コミュニティとともに、この活動でなんとかお金を生み出して、事業としてちゃんと回る仕組みを作ってやりたいんです。

――事業にするとはどんな?

世の中にはがん患者の情報が欲しい人もいるんです。生命保険会社とか、病院、自治体とか国とか。がん患者の声が聞きたいという人と、そういう会社などをつなぐビジネスをしたい。例えば、わかりやすいところでは、製薬会社であれば新薬の副作用について調査したい時に、直接ではなく調査会社を利用します。ただ、その新薬が対象としている形や条件のがん患者を見つけるのは大変なのだそうです。こういった時にコミュニティを利用して、謝礼金を還元するような仕組みがあればいいなと思います。

――「がん患者を集めてお金儲けするなんて」と感じる人もいるかもしれません

もちろん、コミュニティの部分と事業とは切り離して希望者だけが参加するような仕組みで考えています。でも、働きざかりでがんになった人は、治療で勤め続けることが難しくなる人もいるでしょう。子供のいるがん患者は今後の家族の生活も本当に心配。働きたくても働けない人が、少しでも自力で稼ぐことができる道が開ければいいなと思うんです。それが自分の最後の仕事として成し遂げたい目標です。

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