福士加代子、マラソン苦節8年の集大成 最後まで笑顔は忘れなかった【リオオリンピック】

8年かけてやっとつかんだフルマラソン代表の座。そこに至るまでの苦難の道のり。

何度も公言した金メダルには、届かなかった。

8月14日の女子マラソン、福士加代子は2時間29分53秒で14位だった。スピードを生かし、序盤は先頭集団に食らいつくが、25kmを過ぎて徐々に離され、ペースが落ちた。

それでもガッツポーズしながらゴールイン。田中智美と抱き合い、笑顔でマイクに向かって叫んだ。

金メダル取れなかったー! ほんとしんどかったー! 暑いけどなんか、しんどすぎて、いろいろなことがしんどすぎて。でも金メダル目指したから最後までがんばれました。

こんなに頑張った自分はいないかな。特別な時間を過ごせました。応援どうもありがとうございましたー!

オリンピック代表4回目のベテランだが、過去3回はいずれも長距離トラック。国内敵なしと言われた「女王」の座を捨て、8年間かけてやっとたどりついたフルマラソンの夢舞台だった。

青森県出身。高校卒業後、実業団・ワコールに所属して長距離トラックの選手として頭角を現し、2002年に日本新記録を連発して注目された。初のオリンピックは2004年。6月4日の日本選手権の女子10000mで優勝し、初の代表に決まった。

決まったみたいだけど、うれしいのかしら

アテネでは26位と不本意な成績に終わったが、2006年ドーハ・アジア大会では女子10000mで金メダル。2007年まで日本選手権を6連覇するなど、長距離トラックで国内に敵なしと言われる存在になり、周囲はフルマラソン転向を期待し始める。

「マラソンは長い」「ありえない」と繰り返していた福士だったが、2008年1月27日、北京代表の選考会を兼ねた大阪国際女子に一般枠で参加。前月の記者会見でこう話した。

よく(ここまで)来たなと自分で自分をほめてあげたい。走っている時はしんどいので、心の中でハワイにいる気分で走りたい

35キロ手前で、優勝したマーラ・ヤマウチ(右、英国)に抜かれる福士加代子(ワコール)(大阪市)[代表撮影]撮影日:2008年01月27日

ゴール目前で転倒し、起き上がる福士加代子(ワコール)(大阪・長居陸上競技場)撮影日:2008年01月27日

距離への不安は的中した。序盤は独走態勢だったが「30km」の壁に襲われ、ズルズル失速。何とか完走したもののゴール目前では意識を失いかけ、何度も何度も転倒した。先頭から16分近く離された2時間40分16秒の19位。それでも、試合後は「何とか生きています」と笑顔を見せ、レース後に所属チームの公式サイトにこう書き込んだ。

沢山の経験...イイ思い出。私の中では初体験をいっぱい味わえたし、私のこれからの人生において素晴らしくプラスになる価値のある経験をGETしました!!

陸上女子5000メートル予選。レースを終え、疲れた表情を見せる福士加代子(中国・北京) 撮影日:2008年08月19日

北京はトラックに目標を切り替えて代表入り。女子10000mは11位、5000mは予選落ちだった。その後はトラックに戻ったが、2012年1月29日の大阪国際女子マラソンにエントリー。2日前の記者会見で、4年前の雪辱を誓った。

4年前に負けた自分に勝ちたい。オリンピックで挑戦者として世界の選手と戦うのが楽しみ

しかし、26km付近までは優勝争いを演じたが、今回もそこから失速。2時間37分35秒で9位に終わった。

女子1万メートル決勝、10位でゴールした福士加代子(中央)=イギリス・ロンドン 撮影日:2012年08月03日

長距離トラック3度目の代表となった2012年のロンドン。5000mは予選落ちしたが、10000mは3回目のオリンピックで自己最高の10位に入った。「やれるじゃん私、って思えた。面白かった」と手応えを感じたが、ロンドンが終わっても、今度はトラックに戻らなかった。

課題となるマラソン終盤での失速を防ぐため、スローペースの練習で体力をつけた。2013年8月10日、初めてマラソン代表で選ばれたモスクワ世界陸上。終盤で抜き返し、自身マラソン初の銅メダルを手に入れた。課題だった持続力に、光が見えてきた。

リオデジャネイロ五輪代表選考会を兼ねた大阪国際女子マラソンで好タイムをマークして圧勝し、花束を手に喜ぶ福士加代子(ワコール)

そして、リオ代表の選考会を兼ねた2016年1月31日、舞台はまたも大阪国際女子マラソン。持ち前のスピードを生かして前半で独走に入り、後半でも失速を防いだ。事前の宣言通り、日本陸連の設定記録(2時間22分30秒)を9年ぶりに切る、2時間22分17秒の自己最高記録で優勝した。

何回も失敗しているので、1等賞が取りたかった。気分は最高。リオに選んでください。よろしくお願いします

初マラソンから8年。3度目の正直で、ようやく思い通りのレース運びを身に着けた33歳は、マラソンのオリンピック代表に大きく近づいた。

複数のレースを対象とする日本陸連の選考基準では、まだ代表に選ばれない可能性がわずかに残っていた。1年で3回の疲労骨折に見舞われていた福士に「ほぼ内定したのだから、オリンピックへ向けて調整すべきだ」と陸連関係者から勧告されていたが、無理を押して最後の選考レースとなる2016年3月の名古屋ウィメンズマラソンにエントリーしたことで、選考基準のあいまいさが改めて問題化した。

最終的に福士は「総合的判断」で出場を辞退。リオ代表決定後の3月18日の会見では、あえて金メダルを口にして自身を追い込んだ。

マラソンは過去の先輩の功績があるので、チャンスだと思っている。覚悟を表明したのでどんな練習でもやるしかない。

リオで金メダルだべ、うふふ

自身の集大成となった4回目のオリンピック。過去3回の長距離トラック代表としての違いを思い返すように、カメラに向かって叫んだ。

マラソンはね、きついな。ここまでの過程も、レースも全部苦しいけど、オリンピックのマラソンは出るもんだね。楽しいよ。苦しいけど。もう泣きたい。

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