自分らしく生きるため、性別と職業を変えた。平沢ゆうなさんが『僕が私になるために』を描くまで

自分らしく生きるために、性別と職業を変えた平沢さん。彼女がその決断をするまでに、どんな葛藤があったのだろうか。

「自分らしく生きる」というのは難しい。6月に発売された実録漫画『僕が私になるために』(講談社)を描いた平沢ゆうなさんもそんな悩みを抱えていた一人だった。

平沢さんは20代後半まで男性だった。大手企業の社員だったが、性別への違和感が強くなり、男性から女性へと性別移行した。社会人3年目の2013年の春から性同一性障害(GID)の治療を開始。2015年2月にタイで性別適合手術(SRS)を受けて、同年夏に戸籍を女性に変更した。

性別移行とほぼ同時に、漫画家としての活動を開始した。2016年1月に短編漫画「忘レソコナイ」で、講談社の新人賞を受賞。その後、タイで手術した経験をもとに男性から女性へと性別移行する過程を描いた長編漫画「僕が私になるために」が、「週刊モーニング」3月10日発売号から計7回の集中連載された。ついに漫画家デビューを果たした。

自分らしく生きるために、性別と職業を変えた平沢さん。彼女がその決断をするまでに、どんな葛藤があったのだろうか。「『なりたい自分になる』というのは、性別だけのことじゃない」と語る平沢さんにインタビューした。

単行本『僕が私になるために』

■「性別が違うことに気づいた」

――「僕が私になるために」は、性別適合手術のことを扱いながらも「自分らしく生きる」ということを普遍的に描いているように感じました。

そうですね。私はGID(性同一性障害)ですが、当事者じゃない方にも楽しんでいただけるように努めました。「なりたい自分になる」というのは、性別だけのことじゃないからです。職業とか地位とか、目標とする自分になれないことで悶々としている人たちに対して、こういうふうに性別を越えて頑張ろうとする姿を見せて、励ますことができればと思いました。

――なぜご自身の体験を漫画で描こうと思ったのですか?

もともとは連載を目指していたわけではなくて、30ページほどの短編でした。ちばてつや賞の奨励賞を頂くことになる短編『忘レソコナイ』を仕上げているとき、「もう1作品描いたんですけど」と編集者の方に渡したのが最初です。

読者を意識するというよりは、SRS(性別適合手術)の個人的な記録として描いた漫画でした。SRSを受けた方は日記や写真など、何らかのかたちで記録を残すことが多いんですが、私は漫画家としてデビューする前で「とにかく練習あるのみ」の時期でした。それで「どうせなら漫画に」と思ったんです。それを加筆して、結果的に週刊モーニングでの連載になりました。

――ちなみに漫画家になろうと思ったのは、手術前からでしょうか?

もともと昔から漫画家に憧れていましたが、本気で目指してはいなかったんです。ただ、性別移行する際に、とりあえず「自分がやりたいと、この人生で思ったことは全部やろう」と思い、漫画家を目指したんです。半分、捨て身でしたね。

性別移行も大きな柱ですが、それが実現しても、まだ先に人生がある。性別移行はゴールではないので、「どうやって生きたいのか」って考えました。そのとき私は「女になりたい」と悩んだというよりは「自分はどうやって生きたいんだろう」と悩んだ結果、「性別がそもそも違うな」と気づいたという感じですね。

――まず性別が違う?

「職業が違うから転職したい」と最初は思ったんですが、「いや、仕事だけの問題じゃない」と。そんな風にどんどんさかのぼると、「そもそも性別が違う」と思ったんです。(トランスジェンダーの)当事者の方には「とにかく性別を移行したい」という方も多いけど、私の場合は「どうやって自分が生きたいか」と考えたときに、昔から何となく違和感はあったけど、「性別が違う」ことに気づいたという感じでした。

■会社勤めで見えた「10年後はこうなる」

『僕が私になるために』より

――性別に違和感を覚えたのはいつ?

それも、はっきりしないんです。ただ、社会人になってから、性別の違和感がすごく強くなりました。学生時代にも違和感はあったけど「いずれ直るだろう」と軽く考えていました。でも、社会人になると大きな変化ってなくなりますよね。特に私の場合は、年功序列が根強い大企業に勤めたので、「1年後はああなる」「10年後はこうなる」って、ライフプランとして先まで見えたんです。このままだと、自分は変わらないまま人生を送ることになると思いました。

――それでも3年間は働いたのはなぜでしょう?

とりあえず3年頑張ってみようと思ったんです。環境が変わったばかりだから戸惑っているのかもしれないし、「石の上にも3年」ということわざもありますよね。3年たっても変わらなかったら本物だろうと思って、3年間は大人しく働いたんですよ。でも、3年働いてみても変わらなかった。気持ちはむしろ強くなっていく一方でした。

――会社に勤めながらGIDの診断を受けたんでしょうか?

はい、会社に勤めながら診断を受けました。休日にひどい格好をして行きました。最初は、ひどいものでした。中学1年生ぐらいの女の子が「お母さんのメイク道具を勝手に盗んで、初めて自分で洋服も買って街を歩いてみた」というようなものです。中学生だったら微笑ましいけど、それを20代半ばで、やっていたわけです。

ただ精神科の心理士の先生が、なかなか優しい方で、ひどい格好で行くと「こうした方がいいんじゃない」ってアドバイスをいただきました。まだ会社勤めをしていたんですが、上司ににらまれながらも、美容室ではカミングアウトして「女性用のカットをしてください」ってお願いしていたんです。その美容師さんにもメイクや服装のアドバイスをしてもらいましたね。

『僕が私になるために』より

――周囲にカミングアウトしてない時期は、メイクや服装などの相談できる人は本当に少ないわけですね。

少なかったですね。家族には、なかなか相談できないですからね。向こうも戸惑っているのに、そこで相談するのは、相手の負担が大きくなると分かっていたので。それでも、兄妹はすごく相談に乗ってくれましたね。あと何人かカミングアウトしました。

会社を休職する直前は「こいつ男っぽくないけど大丈夫か」みたいな感じだったので、会うと向こうから「男の子好きになっちゃったの?」とか「女の人になりたいの?」みたいに聞かれることがありました。

――周囲でも薄々気づいていたわけですね。

そういうふうに言われると、私は結構、ビクッとなっちゃうので「いや、そんなことないよ」と、ごまかしていたけど、昔からの友人にはカミングアウトしていました。ただ実用的な相談に乗ってもらったのは、兄妹が多かったですね。兄が1番多かったかな。

■「女になりたい」と伝えた家族会議

『僕が私になるために』より

――家族全員で家族会議をやる前にも、お兄さんには伝えてあった?

1番最初に伝えたのは母でした。母から家族みんなに、それとなく伝えてもらったんです。ただ「やっぱり本人の口から言うべきだろう」と兄に言われて、わざわざ忙しい中、みんな帰ってきてくれて家族会議を開いたんです。私がカミングアウトする場を設けてくれたんですよね。

――やはり家族で納得してもらうために必要な場でしたか?

納得してもらう場ではなかったですね。いきなり「私、女になろうと思うんです」と言ったって「うん、分かった」と納得してくれる人は、なかなかいません。

そのときの私の気持ちとしては、とりあえず伝えて、自分がどうしたいって思っているかを分かってもらう。それを飲み込んでくれるのは、もっと時間がたってからで構わない。「丸飲みできない大きさのものなので、よく噛んで飲み込んでもらえればいいな」って思った会議でした。

――ちなみに性別移行しても会社に勤め続けることは考えていましたか?。

もちろんそれも考えていました。ただ、上司の方はすごく理解ありましたけど、職場の方が全員、飲み込んでくれるかというと、そうでもない雰囲気でした。たとえば10人のうち9人が受け入れてくれても、1人ネガティブな方がいらっしゃると、そっちの声が大きかったりしますよね。そういうことを考えながら、「とにかく自分がやりたいことをやろう」と思いました。

漫画家になりたいとか、休職するのではなく、今、目の前のこの1歩を踏み出すことだけに注力しました。「会社を辞めて漫画家になる」というよりは、とにかく可能性を潰さないようにしようとして、こうなったと思っています。

■通行人の心ない発言に傷ついた経験も

『僕が私になるために』より

――性別移行というテーマを扱う際に気をつけたことは?

うるさくなりすぎちゃいけない、ということですね。主張を叫びすぎると、うるさく感じる人が多いので、加減が必要なんです。「私たちつらいんです」「私たち苦しいんです」「もっとみんな考えましょう」と選挙演説みたいに強く訴えると、意識的な人は賛同してくれるかもしれないけど、世の中はそういう人ばかりではない。多くの人に届けるためには、うるさく感じられてはいけないと思っています。

――診察に女性の格好で行ったころ「変態がいる」と言われたりとか、その辺の怒りやショックが、にじみ出ているように感じました。

にじみ出るぐらいが、ちょうどいいかなと思っています。想像の余地がある作品が、私自身も好きだからです。「変態がいる」と言われたのも、実際のエピソードです。街で歩いていたときに言われました。男性の声でしたね。

(トランスジェンダーが)嫌いな人って本当に嫌いなので、わざと聞こえるように言うんです。トランスジェンダーの問題に限らず、わざわざ聞こえるように「あいつブスじゃね」とか話す男性や、「あいつまじキモイんだけど」とか話す女性がいますよね。それと同じ類いではあるんです。

――男性から女性に性別を変更する際に、ファッションであったり、声であったり、そういうのを切り替える時期は大変だったのでは?

そうですね。移行中は、誰しもかなりつらいんですよ。これに関しては、FTM(女性として生まれて性自認は男性)の方が比較的スムーズのように感じます。髪の毛短くして、ホルモン治療すると声も自然に低くなりますし、見分けがつきづらい。

MTF(男性として生まれて性自認は女性)の場合、そのあたりは少し大変なんです。女性は、「あの人のあの格好はあり得ない」みたいに同性をすごく厳しく見る傾向がありますよね。「ストッキングにサンダルを履いていいのか」とか。ファッションの組み合わせに悩んだり、かなりハードでした。

たとえば女子トイレ行ったら、パウダールームがあるけど、どう使えばいいのか分からない。メイクを勉強するにしても、どうすればいいのかと、戸惑いました。普通の女性が、小学校高学年ぐらいから少しずつ女の子同士で話して、失敗しながら勉強することが、いきなり20代半ばで、今までずっと男性でネクタイ締めていた人がいきなりやったんですから、それはハードですよね。

反面FTMの人たちは外見は本当に見分けつきづらいのですが、SRSのハードルはMTFより高いです。手術費も高額ですし、体の負担も大きいです。

(インタビュー後編は、8月28日に掲載しました

「東京レインボープライド2016」パレード