シリア難民が、リオパラリンピックでも歴史を作る

「最大の夢が一つ実現するんです」

もう一人のシリア難民の水泳選手が、リオデジャネイロで成功をつかもうとしている。

シリア難民のイブラヒム・フセインは、内戦で被弾した時、友人をかばって右足の一部を失った。現在パラリンピックに出場するためにトレーニング中だ。ちょうど1カ月前、同じくシリア難民のユスラ・マルディニオリンピック史上初の難民チームのメンバーとして後世に名を残したところだ。

9月7日に開会式を迎えるリオパラリンピックは、リオオリンピックに続いて史上初の難民チームが参加する。フセインは現在ギリシャ在住で、難民チームのメンバー2人のうちの1人だ。もう1人のメンバーは、イラン生まれで米国に在住するシャハラッド・ナサジプール。ナサジプールは脳性小児まひを患っており、円盤投げに出場する。

「私にとって、これは単なる競技ではありません」。2016年はじめ、フセインは国連難民機関(UNHCR)に語った。「これは私の人生そのものです」

2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックでは、4000人以上の身体・知的・精神障害のあるアスリートが22種目で競技する。この大会はインクルージョン(多様な人間がお互いに認め合って受け入れること)の促進を目的としているが、難民選手には、もう一つの使命がある。それは、世界各地で強制的に追い出された6500万人以上に及ぶ難民たちの苦境を世界中に知らしめることだ。

イブラヒム・フセイン

「独立パラリンピック選手団は、障害のあるすべての難民が大きなハンディキャップを克服する、強さと決意の象徴だ」と、フィリッポ・グランディ国連難民高等弁務官は声明で述べた。「パラリンピックに難民チームが加わることで、世界中の障害者難民や亡命希望者たちすべてに力強い支援メッセージを送ることになるのです」

フセインはシリアでの幼年時代から水泳に対する大きな夢を抱いていた。UNHCRによると、フセインは父親のコーチのもと、ユーフラテス川で水泳の練習を積み、数々の地元や全国レベルの競泳大会で勝利を手にした。

2013年、フセインの夢は打ち砕かれたかに見えた。彼の友人が爆撃で怪我をし、その友人を助けようとして駆け寄ったフセインまで負傷した。彼は右脚の一部、ふくらはぎの下半分を失ってしまった。

イブラヒム・フセイン

フセインはトルコへ渡り、1年間かけて治療し、再び歩けるようにトレーニングした。2014年、彼は活動を再開したが、今度はゴムボートに乗ってギリシャへ向かった。

現在フセインは、身体障害のある運動選手を支援するギリシャ国営の非営利団体ALMAのもとで、週3回の水泳トレーニングに励んでいる。さらに彼は週に5回対抗試合をする車椅子のバスケットボールリーグにも所属している。

過密なトレーニングスケジュールと忙しい仕事のスケジュールをやりくりし、フセインはアテネ郊外のカフェで10時間の夜勤をこなしている。

フセインは4月、リオ五輪の聖火ランナーを務め、アテネの難民収容センター内を走った。パラリンピックでは50メートルと100メートルの自由形に出場する予定だ。

シャハラッド・ナサジプールは、個人的な理由で自分の身の上話を語ることは一切拒否しているが、同じく9月にはリオで歴史の一幕を飾ることになる。

「光栄です」と、パラリンピック出場についてフセインは語った。「自分の最大の夢が一つ実現するんです。20年以上夢見てきたことが本当になるんです!」

2016年4月26日、シリア難民で足の切断をしている競泳選手イブラヒム・フセインが、オリンピックの聖火ランナーとしてアテネのアロニソス難民キャンプを走りながら難民たちに挨拶する。

フセインのストーリーは、同胞のシリア人競泳選手マルディニと同じような道のりをたどっている。マルディニの名は2016年初め、世界中に知れ渡った。

マルディニは定員オーバーのボートで地中海を渡りギリシャへ向かう途中、そのボートが破船した。マルディニともう一人の難民が海に飛び込み、3時間かけてそのボートを安全な場所まで引っ張ったという。彼女の努力で19人の命が救われた。

ハフポストUS版より翻訳・加筆しました。

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パラリンピックの出場選手たち

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