旧朝香宮邸で「亡霊」たちの声に耳を傾ける 東京都庭園美術館でボルタンスキーの展覧会

フランスの現代美術家、クリスチャン・ボルタンスキーの展覧会「アニミタス−さざめく亡霊たち」が9月22日、東京都庭園美術館(港区)で開幕した。庭園美術館は、1933年に朝香宮邸として建築されたアール・デコ様式の絢爛たる建物。歴史の舞台となった旧朝香宮邸で、国際的なアーティストがそこに住まう「亡霊たち」の声に耳を傾けてみたら……?
猪谷千香

フランスの現代美術家、クリスチャン・ボルタンスキーの東京では初めてとなる展覧会「アニミタス−さざめく亡霊たち」が9月22日、東京都庭園美術館(港区)で開幕した。庭園美術館は、1933年に朝香宮邸として建築されたアール・デコ様式の絢爛たる建物。戦後は政府の首相公邸や国賓の迎賓館に使用され、1983年からは美術館として公開されている。

一方、ボルタンスキーは、その場に往来する人々の生死や記憶を表現した作品で知られる国際的なアーティスト。歴史の舞台となった旧朝香宮邸で、ボルタンスキーがそこに住まう「亡霊たち」の声に耳を傾けてみたら……?

■富や権力の象徴に見える「黄金の山」も実は……

邸内に足を踏み入れると、どこからともなく、声が聞こえてくる。断片的で、誰が何を話しているのかはよくわからないが、贅を尽くした大客室や大食堂での他愛ない日常会話のようにも、重大な秘密の告白のようにも思える。これは今回、ボルタンスキーが庭園美術館のために制作した作品「さざめく亡霊たち」(2016年)だ。

「どんな場所もそうであるように、歴史がある場所にはそこに関わる人たちの亡霊が住んでいます」とボルタンスキー。「旧朝香宮邸での展覧会が決まった時、最も興味を抱いたのは亡霊の存在です」と話す。

しかし、その「亡霊」は明確に像を結ぶわけではない。ボルタンスキー自身は「旧朝香宮邸を訪れて、昔のパーティーで人々が踊っているのを感じました」というが、旧朝香宮邸を訪れた人は別の「亡霊の声」を聞くかもしれないのだ。見る者、聞く者に、それは委ねられている。

旧朝香宮邸の歴史や人々を想起させるインスタレーション(空間全体を作品化して体験させるタイプの作品)「さざめく亡霊たち」(2016年)

また、「帰郷」(2016年)という作品では、大量の古着が天井近くまで山積みされ、黄金色のエマージェンシー・ブランケットに覆われている。古着はボルタンスキー作品でよくみられる素材で、かつてそこに在った人々の不在を感じさせる。黄金色の山を囲むのは、「眼差し」(2013年)という作品。何枚もベールが重ねられ、匿名の人々の目が大きくプリントされている。

「作品は、一つの解釈で終わりということはありません。たとえば、この作品には真ん中に黄金の山をしつらえてあります。黄金の山は、美しく、権力や豊かさの象徴でもありますが、実はその黄金は、事故が起きた時に体を温める救命用ブランケットで、苦しみや不幸にも結びついています。そして、黄金の山のまわりには、薄いベールのようなカーテンがあり、眼差しが描かれています。被害者の眼差しなのか、避難する人たちの眼差しなのか、それはわかりません」

「帰郷」(2016年)と「眼差し」(2013年)のインスタレーション

■ホロコーストから世界中で起きるテロ事件への「問い」

ボルタンスキーは1944年、パリに生まれた。ユダヤ系フランス人を父親に持ち、1980年代からは第二次世界大戦やホロコーストを連想させるインスタレーションを生み出してきた。今回の展覧会を企画した庭園美術館の学芸員、田中雅子さんは、その作品についてこう語る。

「ボルタンスキーは、ホロコーストを始めとした大量殺戮など、世界で起きていることに常に目を向けています。ただ、それが直接的に作品化されるというよりも、たとえば、古着の山を見た時に、今の日本だったら3.11の光景を思い浮かべる人が多いでしょう。ボルタンスキーにインタビューした際、『それがアートです』と。近年、世界で起きているテロ事件も、もともと彼が問い続けていたこととつながっていると思います」

ボルタンスキーは今、「神話」をつくろうとしているのだという。日本国内で観ることのできるボルタンスキーの作品の一つに、瀬戸内海の豊島(てしま・香川県土庄町)に設置された「心臓音のアーカイブ」がある。ここでは、録音された世界中の人の心臓音が収蔵され、聞くことができるのだが、ボルタンスキー自身が消えても、巡礼の場所として残ることが大事なのだ。

「死の舞踏」を感じさせるインスタレーション作品「影の劇場」(1984年)

■「一番つらいことは、老いや死を拒否する考え方」

今回の展覧会タイトルにもある「アニミタ」とはスペイン語で「小さな魂」であり、ボルタンスキーはその存在を作品を通じて私たちに問いかけている。一見、宗教的にみえるが、宗教との違いは「答えを求めないこと」だとボルタンスキーは語る。

「私はキリスト教の社会で育ちましたが、もともとはユダヤ人であり、これだけでも複雑です。宗教者というよりも、ヒューマニスト(人道主義者)でしょう。いつも、人生を楽しむ明るい男です。食べたり、飲んだりすることが大好きです。これまで、死と消滅について考えてきましたが、それも一種の喜びを得ることができたと思います。

しかし、一番つらいことは、老いや死を拒否する考え方です。人は、その年齢や死ぬことを受け入れるべきだと思います。赤ちゃんがいても、いつか死ぬことは普通です。アーティストも、アーティストであるには、より自分を理解し、生きること、死ぬことをよりよく受け入れることだと思います。宗教は『答え』があると思っているのでしょうが、私には疑問しかないのです」

旧朝香宮邸でボルタンスキーは、何を私たちに問いかけているのか。9月21日に開かれた内覧会の参加者で、恐らく最も若いと思われる赤ちゃんを見つけたボルタンスキーは、スピーチを「展覧会をこの赤ちゃんに捧げたいと思います」と締めくくり、大きな拍手を受けていた。これから長い時間を生きるであろう赤ちゃんの向けられたその眼差しは、とても優しいものだった。

「自分が死んだら遺灰をパリの排水口に流して」と話すクリスチャン・ボルタンスキー

「アニミタス−さざめく亡霊たち」は12月25日まで、休館日は第2・第4水曜日(祝日の場合は開館し、翌日に休館)。同時開催の「アール・デコの花弁」では、旧朝香宮邸の建物の魅力を紹介している。この展覧会開催中は、平日(月〜金曜日)に限り、写真撮影ができる。

また、今後、ボルタンスキーは2019年に東京・六本木の新国立美術館での回顧展が開かれ、大阪市や長崎市にも巡回するという。

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