「おかあさんになりたい」をつなぐ特別養子縁組 ある夫婦が、子どもと家族になるまで

東京都内に住むサオリさん(40代、仮名)は、1歳になった息子のユウ君(仮名)から目が離せない。

「おかあさんになりたい」。そんな願いを叶えるために、特別養子縁組を希望した夫婦がいる。不妊治療を経験した2人は、どのような歩みで生後5日の赤ちゃんと出会ったのか。「家族のかたち」をジャーナリストのなかのかおりさんがレポートする。

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東京都内に住むサオリさん(40代、仮名)は、1歳になった息子のユウ君(仮名)から目が離せない。動きが活発になってソファから落ちたり、家具に頭をぶつけたり。よちよち歩いて危ないから、友人を誘っての外食も難しい。ベビーカーに乗るのを嫌がり、抱っこは重くて長い時間はきつくなってきた。それでも、成長がうれしくて仕方ない。

「児童館でお祝いして、写真館で記念撮影も。1歳になった月は、イベントがいっぱいでした」。ユウ君はサオリさん夫婦にとって初めての子。血のつながりはないけれど、かけがえのない存在だ。

2015年の夏、ユウ君はサオリさん夫婦のもとにやってきた。どうしても育てられない事情がある実の親が妊娠中、特別養子縁組を取り持つ団体に相談。養子縁組を希望していたサオリさん夫婦に、団体から声がかかった。サオリさん夫婦がユウ君を迎えに行ったのは、生後5日のこと。手続きを経て2016年、戸籍の上でも家族になった。

生後100日、お食い初めの日のお祝いケーキ

■繰り返す不妊治療、やめる決意

サオリさんは会社をやめた後、ペットにかかわる仕事を個人でするように。同じ会社にいた夫と付き合い、30歳のときに結婚した。数年後、不妊治療をしようと思ったら病気が見つかって、しばらくは経過観察になった。35歳のとき、本格的に治療を始めた。それまでは1人で病院に通っていたが、夫も連れて行った。

37歳からは体外受精に挑戦。期限は40歳までと決めた。卵子を取り出し、受精させて、子宮に移植した。最初に検査をしたとき、サオリさんにはっきりした不妊の原因はなかったので、妊娠への期待はあった。1回、妊娠したが、初期に流産してしまい、悲しい手術を受けた。治療の費用は自分の稼ぎから出し、東京都の助成も利用した。

赤ちゃんを迎えるために、努力はした。妊娠しやすい体になるかもしれないと、食べ物をオーガニックにして、自然食品店に行った。「いつか絶対に赤ちゃんを」と信じていた。ただ、頑張っても不安が必ずあり、まるで白いもやの中を進んでいく感じだった。

凍結しておいた受精卵を子宮に戻すチャンスがあっても、前向きな気持ちが持てなくなった。惰性で治療を続けた。サオリさんは「自然食品店に行っておきながら、不妊治療というナチュラルでないことをしている」と思った。採卵したものはすべて受精卵になり、良い状態だったので、治療をやめるきっかけがなかった。

そんなとき、仕事の関係で犬のブリーダーに繁殖の話を聞いた。犬種によっては、自然交配ではなく犬に負担をかける方法だった。「そこまでして生まれた犬は、私は欲しくないな」と感じた。「私がやっているのも、同じようなことかも。自分はそうはしたくない」と気づいた。隠れていた本当の気持ちがわかり、保存している受精卵がなくなったら治療をやめようと決めた。39歳のときだった。

■震災をきっかけに、夫婦で思いを寄せた「養子」

そしてサオリさん夫妻は、養子に気持ちを寄せるようになった。不妊治療をする前から、夫婦で話題にしていた。サオリさんは、引き取られた女の子が育っていく物語「赤毛のアン」が大好きだったので、養子を迎えることに抵抗はない。夫も、震災で親を亡くして預かり家庭を探す子どもたちの話を知り、気になっていた。

サオリさんが42歳のとき、養親や里親の研修について東京都に問い合わせた。18歳まで預かる形の「里親」でもいいと思ったけれど、夫が「戸籍上も家族になれる、特別養子縁組がいい」と希望した。

養子縁組を希望するなら、都の児童相談所(児相)で研修を受けなければならないと知った。近くの児相に行って日程を聞き、月に何回か夫婦で参加した。産みの親が育てられない子どもを社会が育てる「社会的養護」の現状や、子どもの発達について話を聞き、乳児院に見学に行った。先輩里親が来て、体験談を聞いた。

家庭訪問を経て、養親として登録した後、都の任意の研修も受けた。赤ちゃんを迎えるとき何をそろえるか、予防接種・病気について、生い立ちの真実の伝え方などを学び、実習もあった。何度か縁組の話はあったが、成り立たなかった。都の条件は、親が50歳未満とされている。夫の50歳が近づいて焦りが出てきた。

■民間団体にアクセス「子どもの命を守る」に共感

研修を受けるうち、ほかのメンバーと知り合って、情報を交換した。ある女性が、民間団体の紹介で養子を迎えたと聞いた。都だけでなく、民間団体にも登録するやり方があると知った。

サオリさんも、民間の団体にアクセスしてみた。それぞれのホームページで、迎える親の年齢制限やかかる費用、考え方を見た。その中から、ある団体の「子どもの命を守る」という考え方に共感した。団体とつながるための説明会は希望者が多く、申し込んでから半年ほど待った。団体を運営する"お父さん、お母さん"と呼ばれる人も養親・里親。説明会で養子を迎えた先輩の体験談も聞いた。

団体の"お父さん、お母さん"から、「養子を迎えることについて、お手紙を書いてきて」と言われ、夫婦で作文を書いた。養子を迎えたら、どう育てたいか。迎えるにあたってどう思うか。どんな親になりたいか。そうした項目があり、夫婦それぞれに書く部分もあった。2カ月かけて書き上げ、送った。その後、団体から連絡があり、2015年1月に面接に行った。

「人柄を知りたいだけ」と言われたが、すごく緊張して、どんな服装にするかも考えた。作文にペットの話を書いたが、「動物と人は違う」と指摘された。「血がつながっていなくても、大事な家族になれる自信がある」と答えたかったけれど、うまく話すことができなかった。

落ち込んでいたら先がないと、団体の新年会には参加した。養子を迎えた先輩のほか、これから迎えたいという人も来ていて、同じ立場で話ができた。さらに、ほかの勉強会や、養子縁組の普及に取り組む日本財団のイベント「ハッピーゆりかごプロジェクト」にも足を運んだ。

■生後5日でお迎えに

そして昨夏。団体から、養子縁組を持ちかける電話があった。「勉強会やイベントにもよく来ていたね。お気持ちが変わらなければ...」と。妊娠中の女性が団体に紹介され、面接するという。産みたい気持ちがあるが、その女性は1人でどうにも育てられない事情があるそうだ。

その後、聞いていた予定日より早く生まれたと、サオリさんに連絡があった。産みの親が自分で育てられない状況は変わらないという。出生届を出すため、赤ちゃんの名前を考えるように言われていた。生後5日、サオリさんは夫婦で赤ちゃんを迎えに行った。病院も好意的で、「たくさん話しかけてあげてね」と声をかけられた。

ユウ君はこうして家族の一員になった。

最初の連絡を受けて、看護師でもある子育て中の友人にレクチャーをしてもらい、おむつやミルク、抱っこひも、下着などは買っておいた。ママの間で人気の抱っこひも「エルゴ」のことを初めて知った。レンタルのベビーベッドやバスは間に合わなかった。妹に聞き、家にあった半透明の収納ボックスの引き出しをベッド代わりにした。沐浴は洗濯用のたらいを使った。

2時間おきに夫がミルクを作り、サオリさんがおむつを替える。寝不足も平気で、ユウくんが寝ている間は顔を眺めていた。しばらくして、どっと疲れが出た。ユウ君が寝たら、自分も寝るようにした。夫も遅くまで仕事はあるけれど、お酒を飲まないで帰り、ユウ君が泣くと起きてくれた。

赤ちゃんの世話は、大変ではなかった。ずっと前から一緒にいるような、自然さだった。余計なことを考える暇もない。サオリさんの父には、養子を迎えるかも、という話はしていた。子どもが大好きな父は、赤ちゃんの世話も苦にならない。妹も「孫ができた気分」と言い、おいたちもユウ君を抱っこして大喜びだった。

サオリさんは、ユウ君を友人が集まる場にも連れて行った。「どうしたの?」「おなか、大きくなかったよね」と驚かれるが、「養子なの」と言うとそれで話は終わり。「かわいい」「抱っこさせて」と人気者になる。

■息子の手術・入院にパパが泊まり込み

初めてユウ君に会ったとき、夫に「抱っこしなよ」と言うと、「いいよ」と恥ずかしがっていた。ビデオも撮れていなかった。それが、すっかりパパになった。

夫は初め、赤ちゃんの扱いが怖くてお風呂に入れられなかったが、土日はやってもらうようになった。ユウ君が入院したとき、付き添いで病院に泊まり込んだのはパパだ。

4カ月健診でユウ君の手術が必要とわかり、2泊3日の検査入院。その後、2週間の入院のときも、パパが会社に通いながら泊まり込み。布団を借りて、狭い椅子で横になった。つかまり立ちを始めたので目が離せない。昼間はサオリさんが付き添った。初めは「遠いから行けないよ」と言っていたおじいちゃんも、毎日、病院に来てくれた。家族全員で、交代して乗り切った。

手術後の数日、ユウ君は痛くてずっと泣いていた。サオリさんが動画を見せてあやしたり、院内で借りたベビーカーにのせて、おじいちゃんがぐるぐる歩いたり。入院の最後のほうは、絵本も読みつくしてしまい、テレビも見ない。機嫌が悪くなってしまった。離乳食を始めた時期で、まだ試していない食材があり、念のためアレルギーがある子向けの特別食だった。

病院には、がんの子もいるし、長く入院している子もいた。そういう親子を見ていると、自分たちがつらいとは思わなかった。成長の過程でどんな家族でも体験するかもしれない、子どもの病気や治療。サオリさんとパパとおじいちゃん、それぞれにとって、「我が子の心配をして、付き添って。さすがに疲れたけれど、治ってよかった」という、あたりまえの流れだった。

子どものおもちゃ

■産んでくれた実母には、感謝の気持ちでいっぱい

特別養子縁組の手続きをするためには、家庭裁判所に申し立てをする。6カ月は試験養育の期間になり、家庭の様子や産みの親の状況が報告され、審判。1歳を前に、ユウ君は法律上もサオリさん夫婦と親子になった。

サオリさんは、いまも研修仲間の茶話会や、養子縁組を仲介する団体のイベントなど、同じ立場の家族が集まる場に参加している。仲間がいると心強い。一方で、この先のことも考える。

産んでくれた実母には感謝の気持ちでいっぱいだ。出生の真実は、ユウ君が幼稚園に入る前までにサオリさんから、「おかあさんの代わりに、産んでくれた人がいる。もう一人、お母さんがいるんだよ」と伝えたいと思っている。ユウ君が実母に会いたいと言えば、会わせてあげたいが、細かい事情を伝えるかどうかは、まだ考えていない。

育っていくにつれ、ほかの家庭と同じように、悩みも出てくるだろう。だけど、サオリさんは「毎日の生活をちゃんとして、愛情を注いでいれば大丈夫」と信じている。ずっとなりたかった「おかあさん」になったサオリさんは、強くしなやかだ。

(ジャーナリスト、なかのかおり

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養子を迎えた時