夏目漱石、生徒のために英語の教科書 自ら翻訳「諸君の参考」に

愛媛県尋常中学校(現松山東高)の英語教師時代の夏目漱石がイギリスの作家アーサー・ヘルプス(1813~75)の作品を生徒に薦めて自ら翻訳した文章と、漱石が教科書用に洋書販売・出版業者に作らせたヘルプスの作品集が見つかった。
朝日新聞社

漱石先生、白熱教室? 出版社に教科書作らせ自ら翻訳も

愛媛県尋常中学校(現松山東高)の英語教師時代の夏目漱石がイギリスの作家アーサー・ヘルプス(1813~75)の作品を生徒に薦めて自ら翻訳した文章と、漱石が教科書用に洋書販売・出版業者に作らせたヘルプスの作品集が見つかった。漱石が発表した翻訳文は数少なく、英語教師としての熱意がうかがえる。

1896年2月に発行された同中学校の校友会誌「保恵会雑誌」49号に夏目金之助名による文章「アーサー、ヘルプスの論文」が載っていることを、熊本大の五高記念館客員准教授の村田由美さんが見つけ、「総合文化誌KUMAMOTO」15号(今年6月、くまもと文化振興会刊)に発表した。漱石はこの文で、ヘルプスを「社会の改良を以(もっ)て畢生(ひっせい)の目的」とする詩人・小説家・論客であり「文体、沈着温籍」「反対者といえども……首肯せざるを得ざるに至る」と紹介した上で、「諸君(生徒)の参考」にとヘルプスの評論「秘密」を日本語に訳している。この文章の最後で漱石は、「秘密」を含むヘルプスの作品集を、1895年春まで漱石が在籍した東京の高等師範学校時代に、生徒に読ませるために洋書販売・出版業の丸善に出版させた、としている。

漱石が出版させた作品集は、1894年4月刊の「HELPS’S ESSAYS」。早稲田大非常勤講師の長島裕子さんが国立国会図書館の目録や「丸善百年史」から見つけ、95年刊の再版を入手した。奥付以外はすべて英文で、ロンドンの出版社から出た原著をほぼそのまま出し直している。漱石の名前も見えず、奥付の発行者が丸善名でなかったため、これまで見過ごされていた。村田さんによれば、漱石がヘルプスの作品集を、松山の次に勤務した熊本の第五高等学校で使っていた記録があるという。

(朝日新聞デジタル 2016年10月30日 23時01分)

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