「戦士は死に時を分かっている」 素手で爆弾処理をするクルド人兵士たちの思い

「いつも思うんだ。自分がこの爆弾を取り除かなければ、一般市民が命を落とすだろうと」

ISが作った即席爆破装置(IED)の撤去を行い、その残骸を手にするペシュメルガ兵。18日、 エルビルとモスルの中間に位置する村、ハサン・アル・シャムにて。 / SOPHIA JONES/THE WORLDPOST

【イラク、ハサン・アル・シャムよりレポート】

サルバス・サリムとその部下達がIS(イスラム国)に占拠されていた家屋に立ち入ったとき、彼らは玄関を通らず、窓から忍び込んだ。

クルド人の民兵組織「ペシュメルガ」のサリム中佐と、彼が率いる爆弾処理班は村々で撤去作業をする時にいつもこうしている。

部下と同じように、サリム中佐自身も素手で爆弾処理をする。「我々が持っているのは、自分の目とペンチだけだ」。サリム中佐は誇らしげな笑みを浮かべてそう言った。

アメリカの支援を受けているイラクのモスル奪還作戦で、IEDの探索・除去という任務を背負った兵士たちは極めて重要な役割を担っている。イラク北部の都市モスルは、 ISに残された国内最後の主要拠点だ。

私はサリム中佐の班に同行し、彼らがモスルから約48km離れたハサン・アル・シャムの村をパトロールするのを見守った。ペシュメルガは10月17日、このイラク北部の村をISから奪還した。

ISの兵士は時に即席爆破装置(IED)を主要道路の上に設置する。爆破装置はコーランの中に挟み込んであることもあれば、玄関のドアに設置されていることもある。 ハサン・アル・シャムに設置されていたある爆薬の束の中にあった起爆装置はごく小さく透明で、ほとんど目視することができなかった。

「すべてを疑わねばならない」。サリム中佐は言った。

サルバス・サリム中佐が2014年11月12日にFacebookに投稿した自らの写真。撮影日は不明。/ FACEBOOK/SARBAST SALIH

ISによる「焦土作戦」のカギを握っているのが、安価で簡単に製作できる爆破装置だ。彼らは撤退時にあらゆるものを破壊し尽くすことでその土地での生活を不可能にし、民間人、軍人を問わず人々を無力化する。ハサン・アル・シャムには爆弾がばら撒かれた。モスル奪還戦を長引かせようとする作戦の典型だ。

イラクとクルドの戦闘部隊はイラク第2の都市モスル奪還を目指して進軍しているが、それにともなって周辺村落のいたるところに設置されたIEDを除去していくのは困難な作業だ。

サリム中佐の部下のほとんどは手袋をつけずに作業にあたる。防護メガネや対地雷防護スーツも身につけない。ただ単に、何も持っていないからだ。ヘルメットをかぶる人もいない――装甲車の中にいくつか、予備用ヘルメットが置きっぱなしになってはいたが。ほんの数人が、ぼろぼろになった防弾チョッキを着ているだけだった。

ペシュメルガ爆弾処理部隊の一部は耐地雷「バジャー(穴グマ)」装甲車に乗ってやって来たが、ほとんどは普通の軽トラックやSUVに乗っていた。その一方、イラク軍の班は少なくとも1台の地雷除去車両を持っていた。

しかし実際の爆弾処理は大半が手作業で、爆発物からほんの数センチのところまで顔を近づけながら行われた。

地雷除去車両のイラク兵士。10月18日、イラク北部、ハサン・アル・シャムにて。 / SOPHIA JONES/THE WORLDPOST

自分たちが本当に必要としているのは、アメリカ軍が爆弾の遠隔操作防止に使っているような電波妨害装置だと、サリム中佐は語った。

「これが俺の武器さ」。あるペシュメルガ兵は古びた2本のペンチを指差して冗談ぽく語った。

ハサン・アル・シャムを貫く道の両脇にある、草の茂った土手が燃やされた。草むらに隠されたIEDを破壊もしくは爆破しようと、地雷除去兵たちが火をつけた。

適切に処理できる見込みが薄いと判断した場合、最後の手段として、爆弾と思われる物体を銃で撃つこともある。

ISが仕掛けた処理済みのIEDの隣に立つペシュメルガ兵。この爆破装置は車両や歩行者による圧力で起爆する仕組みとなっており、ハサン・アル・シャムの主要道路の側溝のそばに隠されていた。 / SOPHIA JONES/THE WORLDPOST

軍用車の長い隊列が急ブレーキをかけて止まった。 周囲にIS戦闘員の姿はなかったが、命取りになるような「餞別」が残されていた。部隊の前進を阻む、爆弾のトラップを仕掛けた塹壕だ。

「ISは目立たない場所に爆破装置を置くんだ」。 サリム大佐と共に作業の指揮を執るクルド人兵士サーワン中尉が言った。彼の背後では部下が屈み込んで、がれきに埋もれたIEDに目を凝らしている。 「こういった爆弾の中には、処理に1時間かかるものもある」

ペシュメルガの地雷除去兵は、自分たちは恐怖に対処する術を身につけているのだという。

「戦士は死に時をわかっている」。 サーワン中尉は言った。「しかし、死がいつ、どこでやってくるかはわからない。恐怖心を表に出していてはできない仕事だ」

同僚が爆弾処理を行うあいだ、耐地雷「バジャー(穴グマ)」装甲車の中で作業完了を待つペシュメルガのクルド人地雷除去兵。

サリム中佐が見つけたISの爆弾は、自分で数えただけでも500個以上に上る。

カザールの前線付近に赴いたペシュメルガのマハムード・カカイ司令官によれば、同部隊は2014年から現在までにおよそ1万3000個のIEDを撤去した(この数字を独自に確かめることはできなかった)。マハムード司令官は「解放された」村落から隠れた爆破装置や爆弾じかけの罠などが完全に撤去されるまで、3カ月かそれ以上の時間がかかるだろうと見積もった。

ハサン・アル・シャムの爆弾撤去任務にはクルドとイラクの両軍が携わった。

この協力関係こそが、モスル奪還作戦の鍵だ。モスルをめぐる戦いには、クルドのペシュメルガ、 シーア派民兵、トルコ軍、スンニ派部族兵など、軍隊を含む様々な戦闘部隊が関わっている。その一部は、激しい争いを経験した敵同士だ。

この日、イラク人部隊とクルド人部隊は何度かの言い争いを経て、2車線道路の1車線ずつに手分けして作業を進めていくことに決めた。

連携してIEDの探索・除去を行う中、イラク軍部隊を見つめるクルドのペシュメルガ兵。 / SOPHIA JONESTHE WORLDPOST

クルド自治政府はイラクでの自治権を拡大し、ISに対抗するために長い間闘ってきた。2014年にISがモスルに侵攻を仕掛けて占領した際、多くのイラク兵が街から逃げ出し、ISはその後国土の約40%にまで支配地域を拡大した。

しばらく後で、ペシュメルガ兵のひとりが私に向かって怒ったように首を振り「イラク兵とつるむのはやめておけ」と告げた。

モスル奪還に向けた戦いには持続的な協力が必要となるだろう。市内からの報道によれば、ISは以前と同様、民間人を盾として利用しているという。

またISは、イラクとクルドの合同部隊が街へ近づくにつれて自爆テロを増加させ、IEDの設置を進めるとみられる。

ISは塹壕やトンネルを掘り、民間人に紛れて空襲を避けながら、2年以上に渡ってこの時のために用意をしてきた。

ハサン・アル・シャムの道路を塞いでいたIEDが撤去されるのを待っている、クルド人ペシュメルガ兵 / SOPHIA JONES THE WORLDPOST

モスルでは、他のIS支配地域で起きたような民間人の大規模避難はまだ始まっていない。イラク軍はモスル市民にむけて屋内にとどまるよう指示するビラを投下した。安全な避難ルートはない。

しかし、だからといって人々が避難しないということにはならない。もしチャンスが与えられれば、彼らは出ていくだろう。

国連発表によると、作戦開始から数週間で20数万人のイラク人が住処を失い、シェルターや人道支援を必要とする人の数は最終的に100万人に上るおそれがあるという。難民キャンプの空きも物資も、全く足りていない状況だ。

ISの支配地域から逃げる人々にとって、地雷は大きな脅威となっている。

デバガキャンプで暮らす国内難民のイラク人家族から話を聞いたところによると、彼らがキルクーク県ハウィジャから避難する途中で15歳の親戚が亡くなった。遺体はその場に置いていかなければならかったという。

ペシュメルガの耐地雷装甲車「バジャー号」から外を見た様子。 / SOPHIA JONES THE WORLDPOST

ハサン・アル・シャムの道端、ブルドーザーがうなりをあげ、たくさんの爆発物が含まれているかもしれない砂の山をかき分けて進む傍らで、サリフ中佐は多くの友人の命を奪った爆弾処理の仕事にこだわり続ける理由を語った。

「いつも思うんだ。自分がこの爆弾を取り除かなければ、一般市民が命を落とすだろうと」。彼はそう言った。危険な仕事なのは承知の上だった。

ISがイラクの大部分を制圧した2014年から私が取材した2016年10月18日までの間に、サリム中佐の部下7名が隠されていた爆弾で命を落とした。中佐の家族は、彼が仕事に出るたびに心配して、安否を気遣う電話をかけていた。

しかし18日の夜、 サリム中佐から折り返しの電話が来ることはなかった。

私が去った数時間後、サリム中佐はISのIEDの処理作業中に亡くなった。43歳だった。

ハフィントンポストUS版より翻訳・加筆しました。

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