西加奈子さん、新作『i』で訴えた多様性の大切さ 社会は「愛が足りなくなっている」

多様性がないと自分が生きている意味ない――。2016年11月末に最新長編『i(アイ)』を刊行した直木賞作家の西加奈子さんは、ハフィントンポストのインタビューにそう語った。

多様性がないと自分が生きている意味がない――。2016年11月末に最新長編『i(アイ)』(ポプラ社)を刊行した直木賞作家の西加奈子さんは、ハフィントンポストのインタビューにそう語った。

これまでも、言葉と物語の力を信じて世界と対峙してきた西さんは今回、東日本大震災やLGBT、格差などの問題を織り込んだ。「人を思いやることができる心、愛が足りなくなっている」とも述べた。本の表紙イラストも、西さんが描いた。西さんに新作を生み出した背景や、新たな年、2017年への思いを聞いた。

『i』のあらすじはこうだ。アメリカ人の父と日本人の母のもとへ、養子としてシリアからやってきたワイルド曽田アイ。優しい両親のもと、豊かで安全に暮らしている。恵まれた自身の環境を思うたび、アイは苦しさを感じる。祖国の内戦、結婚・妊娠など様々な経験の中で、自身の存在を問いかける物語だ。

インタビューに応じる西加奈子さん=東京・池袋

――初めに、この本を書いたきっかけはなんですか。

最初はLGBTQの話を書きたかったんです。その「Q」の「Questioning(自分のセクシュアリティがわからない状態)」という概念ができてすごく救われる人がいるだろうと思い、そういった話を書きたいと編集の方に伝えていたんです。でも、書き出す前にいろいろと考えていたら、私たちが最初に属する、そのQでもないアルファベットがもしあるとしたら、私自身の「I」なんじゃないかと考えて『i』というタイトルにしたんです。

書き出したころ、世界がとても激動していました。他者を思いやる気持ちや、世界を思う気持ちや、その世界というのは大きい世界ではなく自分の手の届く世界でもそうですが、何かあまり人を思いやることができる心、愛が足りなくなっているのではないかと、私自身への自戒も込めて思いました。そこで、きっと私自身の「I」とラブの「愛」の話になるだろうと考えたんですが、(作品のように)高校生の時に「この世界にアイは存在しません」と数学の先生がおしゃった虚数のiに関する言葉がすごく残っていて、それを書こうと思いました。

――作品は、ご自身がモデルですか。

それはないですね。もちろん投影している部分もありますが、養子の友人もいないし、難民の友人もいないし、シリアの友人もいないし、そんな私がアイという主人公を書いていいのかという葛藤みたいなものはありました。でも「自分が書きたい」「書くべきだ」と思ったものを「批判される恐怖」のためにやめるということは、なしにしようと思いました。

――西さんはイランのテヘラン出身ですが、その影響はあったんですか。

(前作の)『サラバ!』の時はあったと思うのですが、『i』に関しては自分の経験というよりは、物語を見つけてゆくという感じでした。シリアには実際に行ったことはないし、本当にニュースを見て、本を読んで、想像で書きました。

――取材をかなりされたのでしょうか。

取材は、(アイが進学する)数学科を卒業された方に数学について勉強させていただいたぐらいです。あとは、実際に反原発デモに行った人にお話をうかがったりはしました。

――作品ができあがって、どんな反響が耳に入っていますか。

自分の経験してないことを書くということに対して、もちろん批判も覚悟していたんですが、今のところそういう声は聞こえてきません。「アイちゃんと境遇が違ってもアイちゃんと同じ気持ちです」という方もいてくれます。今のところお力をいただくような感想ばかりです。

――作品には問題意識がたくさん込められていて、強いメッセージが感じられました。

この作品に書いた世界の事件を、私は全然覚えていなかったんです。実際知らなかったニュースもありますし、知りたくなくて忘れようとしたニュースもあります。ずっと弱い人間でしたし、今もそうですが、作家になったからには目を逸らしたくなるニュースも見ないといけないと思いました。見た時の苦しさも引き受けないといけないと。私ごときが知ったところで、すぐに何かが変わるわけではないですが、知ること、考えることをやめたくないなっていうのはすごく思いました。

――LGBTQについてですが、作品は必ずしもそればかりの印象ではないですね。

そうですね。それが始まりではありましたけど、結局はアイデンティティや愛の話になりました。ただ、セクシュアリティやアイデンティティって、もっと浮遊というか、流動的でいいのではないかというのは、最初から書きたかったことです。例えば誰かが「自分はレズビアンだ」と宣言したからといってその人に今後一生女性だけを愛するべきだと強要するのはおかしいとも思うし、そこは流動的であっていいと思っています。

――LGBTですが、海外ではLBGTQというように「Q」を付けて呼ぶ機会が増えています。

「Q」は素晴らしい概念だと思います。LGBTという枠ができたことで自身が属す場所ができて救われた方がたくさんいらっしゃると思うのですが、その枠が他者を排除する枠になったらだめだと思うんです。国境や特定の集団もそうですが、枠は柔らかくないといけないと思っています。流動的に柔らかく、枠を行ったり来たりできるような社会でありたいと思うんです。

属すことは強制ではない。その人が幸せになるために属すことを選んだのだったらいいけれど、どんなことも、何かに強制されて属すのはおかしいと思うんです。

――LGBTを理解するためには、どんな気持ちが必要だと思いますか。

自分のセクシュアリティって本当に「偶然」与えられたものだと思うんです。例えば私は「偶然」異性愛者で、セクシュアルな欲求の対象が幼い子どもではなく、動物でもなかっただけなんです。本当に「偶然」法律的にセーフなところにいるだけ。

それを踏まえたら、自分とは違うセクシュアリティの人の「偶然」も理解出来ると思うんです。その人たちは「偶然」同性の人を好きになる人間として生まれてきた。自分が「偶然」マジョリティーにいるからって、そうではない人を理解できないというのは、すごくもったいないなと思うし、そういう考え方はいずれ自分にも返ってくると思います。

――それもご自身の周りでLGBTの友達がいたとか、体験みたいなものがあったりしたんですか。

これと言った体験はないですけど、同性愛の友達はいましたし、トランスジェンダーの方も知っています。彼らが苦しむ社会であってはならないと思います。

例えば幼児性愛の人も、その人が望んだセクシュアリティではないんですよね。だから、もう絶対に許されないことですし、紛れも無い犯罪ですが、そういった人たちが罪を置かす前にケアできる社会になればと思います。その人が誰にも相談出来ず思い余って罪を犯してしまう前に、自分のセクシュアリティがどうやら誰かを徹底的に傷つけるらしいと気づいた時に誰かに相談できる社会だったら、悲しい事件を防げるのではないかと思います。

――作品では、養子や不妊治療についても出てきます。ご関心があったということですね。

関心があったものが出たというよりは、やっぱり私は1行書いて次の1行が出てくるという感じで。コントロールはしているつもりなんですけど、「この物語だったら次はどうなるだろう」というのを考えて。そこで出てきた要素ではあります。

――恵まれている人と恵まれてない人のコントラストも描かれています。主人公のアイは恵まれた環境にある。そして、現実の日本は恵まれています。

世界の中のひとつの国として見たらそうかもしれませんが、今は日本にも貧困の問題が歴然とありますよね。それなのに「日本は恵まれている」という言葉で皆が納得しないといけないような環境にあって、その中で「私は貧困で苦しんでいます」となかなか言えないのではないかなと思うんです。私は拝見していないので意見を言う立場にないかもしれませんが、貧困を取り上げたテレビ番組に出演していた女子高生の部屋にアニメのグッズなんかがあって、「贅沢してるじゃないか」と攻撃する人がいたと聞きました。苦しんでいる人が慰められ、癒されるのではなく、いたたまれない思いにさせられてしまう社会になってきているというか、「自分のせいだ」という風に思い込まされる社会になっていっているのが私はすごく怖いです。

すべてのことが努力をしていないからだめなんだという風になっているような。でも、そんなことないと思うんです。努力して努力して、それでもだめだった人がいるし、努力ひとつとっても人それぞれ出来る範囲が違います。それも偶然の要素がすごく大きいというか。自分の今の幸せがものすごい偶然の巡り合わせであるということを強く思っていたいんです。例えば私は、本当に人に恵まれたし、たくさんの人に助けられてきました。そのことを忘れたくありません。

インタビューに応じる西加奈子さん=東京・池袋

――作品で、シリア生まれの女の子アイが、アメリカ人のお父さんと日本人のお母さんの養子になってニューヨークで暮らします。最近は、東京も外国人がとても増えてきました。多様性って大事だということですか。

多様性こそが一番大切だと思います。極端かもしれませんが、そうでないと自分が生きている意味もないと思うんです。全員一緒って、それは怖いですよ。

たくさんの人がいるから自分がいて、自分として生きていける。例えば私は今小説を、本当に自由に書けているんです。どうしてかというと、世代や生き方がバラバラの作家がたくさん、本当にたくさんいるからです。1冊1冊違うということがものすごい勇気になる。同じような作品ばかりだったら自分がいる意味はないし、自分がこの世界に1人だけの作家だったらもっとたくさんのこと、世界のほとんどすべてのことをひとりで書かないといけない。いろんな作家がいろんな作品を全力で書いてくれているから、私は自分の場所で自分の書きたいことを好きに書けるんです。

それは人間にも置き換えられます。自分が自分であり続けられるのはたくさんの「違う人」がいるからだし、「全員違う」ということを日々噛みしめられるような人間でありたいと思います。それはもちろん、意見の違う人たちにも及ぶ考え方でないといけないと思います。例えばトランプ氏のレイシズムや女性蔑視の発言は絶対に許せないことですし、耳を傾けてはならないことです。でも、彼を選んだ人たちがどうして彼を選んだのか、または「彼を選ばざるを得なかったのか」を、苦しいですが考えたいです。

――トランプ次期アメリカ大統領については、書き終えてから結果が出たことですよね。

そうですね。本当にショックでした。ただ、彼を選んだ人がイコール全員レイシストで、ミソジニスト(女性嫌悪症)というわけではないと思うんです。生活が苦しくて苦しくて、もう選択肢がなくて選んでしまったという人もいるだろうから、その人の苦しさを知りたいと思うし、あとは先ほども言ったように、極端ですが、例えばミソジニストやレイシストである人たちが、どうしてそういう考え方になったのかを考えたいと思うんです。

誰かを排除する枠と同じように、彼らを「私たちの理解出来ないモンスター」、という箱に入れて蓋をしてしまうのではなく、どうして彼らがその思想を持つに至ったかを考えないと変わらない気がするんです。もしかしたら強固な思想ではなく、身近な生活の苦しさに根ざした選択だったのかもしれない。もしそうなら、彼らの憎悪の矛先は絶対に間違っているし、命の使い方も間違っていると思います。もっと美しい使い方があるはずです。

――アメリカ大統領選については、ヒラリー・クリントン氏があまりにも人気がなかった印象も強いです。どっちも選びようがなかったのかと。

一概に言えないですけれど、女性だったというのは一つの要素としてやはり大きかったのではないでしょうか。あとはお金の問題ですよね。自分たちが苦しんでいる中でヒラリーの献金問題は許せなかったでしょうし、彼女では今までと変わらないと思ったのではないでしょうか。生活が苦しいと、長期的な考えが出来なくなると思うんです。考えが短絡的になって、手に届く場所にあるものに憎悪を向けてしまうのではないでしょうか。でもそこまで追い詰めてしまったのは社会ですし、社会の一員である私たちも当然無関係ではないと思います。国の違いは関係ありません。

――さらに、東日本大震災とそれに伴う原発事故、反原発デモの話も出てきます。原発事故に対する怒りのようなものは持っているんですか

自分にとっても「3.11」は本当に大きな変換期でした。気づくのがあまりにも遅かったですが、本当に何も考えずに暮らして来たので、国が何かを隠したりこんな堂々と嘘をついたりするなんて、とびっくりしました。原発は難しい問題ですね。私自身はやっぱり怖いし原発には反対ですが、じゃあ何か代替え案を明確に発表出来るのかと言われたらできませんし、完全に電気に頼った生活をしている。そして原発の恐怖や負担を地方の方々に負わせている。とても無責任な場所にいると思います。

――最近では、学校での原発避難者へのいじめも目に付きます。

それはもう、本当に考えられないです。愛がないと思うのはそういうときで、本当に胸が痛いです。それもやはり自戒も込めてで、考えるのは苦しいけれど、自分が今幸せだからって、そのことに目をつぶっていたらいけないと思います。苦しい人がもっと苦しまないといけないなんて絶対に間違っています。

――ところで2016年ってどういう年でしたか。もちろん、この新作『i』を11月下旬に出版した記念すべき年だったと思いますが。

大体、小説のほうが自分自身より勇気があるんですけど、アイに関しては特にそうでした。私自身、本当に阿呆で、卑怯ですし、自己中心的で、知識もない。でも、そんな人間でもこういうことをテーマに書くことができる、世界のことを思って書いてもいいんだと思えたのは、自分にとって勇気になりました。今後は、まだ漠然としていますが貧困について書きたいと思っています。

――その貧困についてですが、西さんは「恵まれた」環境で生きてきたと言っていいでしょうか。

そうですね。アイと一緒。でも、本当に苦しくて本なんて読めない、本にお金なんてかけていられない方がたくさんいらっしゃるのだろうと思います。例えば今回はシリアに思いを馳せる女の子について書きましたが、シリアのことなんて考えていられない、今ここにある現実の苦しみを苦しんでいる方がたくさんいらっしゃると思うんです。すごく不遜な言い方になりますが、そういう方々がどうやったら救われるのかを考えたいです。

――最後に、新しい年はどういう年にしたいですか。

柔らかくありたいです。それは2016年も、2015年もそうでした。そう出来ていたということではなくて、簡単に偏った考え方になりがちだし、すぐに守りに入ってしまうし、気が合う子ばかりとすごくいたがる癖があるんです。でもだからこそ強く意識して、もっと自分の枠を柔らかくして、流動的でありたいですね。揺れ動く、揺れ動ける自分でいたいです。しなやかでありたいというのはすごく思います。

西加奈子(にし・かなこ) 1977年、イラン・テヘラン生まれ、エジプト・カイロや大阪府内で育つ。関西大法学部卒。2004年『あおい』でデビュー。『通天閣』(06年)で織田作之助賞、『ふくわらい』(12年)で河合隼雄物語賞、『サラバ!』(14年)で直木賞受賞。

西加奈子さんの新著『i(アイ)』(ポプラ社)

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