ジミー・スヌーカ死去 「スーパーフライ」の華麗な空中殺法 全日本プロレスやWWEで活躍

金網最上段からのスーパーフライは語り草になっている。

「スーパーフライ」の異名を持つ伝説のプロレスラーが、この世を去った。アメリカ最大のプロレス団体「WWE」で殿堂入りし、日本でも故ブルーザー・ブロディとのタッグで活躍したプロレスラー、ジミー・スヌーカが1月15日、73歳で亡くなったと、家族が発表した。

スヌーカは1943年フィジー生まれ。ハワイでボディビルダーとして活躍したあと、プロレスラーに転向。鍛え上げられた筋肉と持ち前の身体のバネを活かした空中殺法、特にコーナー最上段やスワンダイブ式のダイビングボディアタック「スーパーフライ」は、スヌーカの代表的な決め技となった。

1980年代には全日本プロレスで故ブルーザー・ブロディと「鋼鉄野獣コンビ」を結成し、1981年の世界最強タッグ決定リーグ戦でドリー・ファンク・ジュニアとテリー・ファンクの兄弟コンビ「ザ・ファンクス」を破り優勝した。

その後スヌーカはWWF(現WWE)に転戦。ヘビー級王者ボブ・バックランドや、人気レスラー、ロディ・パイパーとの抗争で人気を高めた。特に、1983年10月17日、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンでドン・ムラコと対戦した時の、金網最上段からのスーパーフライは語り草になっている。他にも新日本プロレスやAWAといった団体でも活躍した。

晩年はフロリダでホスピスケアを受けながら、胃がんと認知症の闘病生活を送っていた、と家族が発表した。

スヌーカ家の弁護士ロバート・カーワン氏はハフィントンポストUS版に、スヌーカは15日朝、亡くなる直前に家族と過ごすため病院から帰宅していた、と述べた。

カーワン氏によると、ジミーさんの死は 「進行性の内蔵疾患」によるものだった。

スヌーカさんの娘で、レスラーのタミーナ・スヌーカは15日、スヌーカさんの手を握っている様子をSNSに投稿し、スヌーカが亡くなったことを発表した。

I LOVE YOU DAD #FOREVERMYDAD #RestWell #FamiliesAreForever #BestDad #SnukaLegacy

SaronaSnukaさん(@saronasnukawwe)が投稿した写真 -

俳優で元WWEのトップレスラーだった「ザ・ロック」ドウェイン・ジョンソンもTwitterのフォロワーにニュースをシェアした。

私たちの仲間@TaminaSnukaから、彼女の父親ジミー・スヌーカがたった今死去したという悲しいニュースをシェアするよう頼まれました。

スヌーカは2015年9月1日、元恋人ナンシー・アルジェンティーノが1983年に死亡した件で告発され、殺人と過失致死容疑で逮捕された

2017年1月2日、ペンシルバニア州の裁判所は、スヌーカの体調が悪化して公判の継続が不可能だと判断し公判を停止した。裁判所の決定の時点で、余命数か月と言われていた。

「あのように状態が悪いと、今年の5月か6月まで持つようには思えない」と、カーワン氏はハフィントンポストUS版に述べた。

カーワン氏は15日、スヌーカに対する過去の告発に言及しながら、弁護士として適切な時期に、事件に関してスヌーカの汚名を晴らす新たな情報を公表するとした。

「その件については、私たちが言ってきた以上のことがある」と、カーワン氏は語った。

1996年にWWE殿堂入りしたスヌーカが起訴された後、彼の名前はWWEのサイトから抹消された。それは、かつてWWEのトップレスラーとして活躍したハルク・ホーガンが2007年、娘で歌手のブルック・ホーガンが黒人男性と付き合っていることに不満を述べた会話の中で、黒人への差別用語である「ニガー」を使用していたという人種差別発言的な録音がネット上で公開されたことを受けて、WWEを解雇され記録が抹消された処分と同じものだ。

WWEはTwitterの公式アカウントでスヌーカの死を追悼し、彼のレスリング技術を賞賛した。

速報: WWE殿堂入りのジミー"スーパーフライ"スヌーカが亡くなったことを知り悲しんでいる。

「スヌーカはターンバックルからのスーパーフライ・スプラッシュで、空中殺法のパイオニアとして多くの人々に知られている。マディソン・スクエア・ガーデンでドン・ムラコに金網の上からダイブし、数百ものフラッシュが焚かれたのは、WWE史上最も忘れられない瞬間のひとつとして永遠に生き続ける」

「WWEはスヌーカの家族や友人、ファンに追悼の意を表します」と、WWEは述べた。

ハフィントンポストUS版より翻訳・加筆しました。

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