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「僕は笑顔を作る仕事がしたい」外資系キャリアを捨てた男性がビジネスでアフリカに貢献する理由

卒業旅行で訪れたスラム街に衝撃を受けた大学生は、「この人たちのために一生かけて何かをやっていこう」とその場で決意を固めた。

卒業旅行で見たスラム街の風景。そこで暮らす人々の匂い、手のひらの感触、食べ物の味。五感で衝撃を受けた大学生は、その場で決意を固める。「この人たちのために一生かけて何かをやっていこう」と……。

その7年後、彼は世界最大級の金融グループ、ゴールドマン・サックス証券株式会社を退職。アフリカの貧困や教育、雇用問題の解決に本格的に取り組み始める。誰もが憧れるエリートコースを捨てて、アパレルブランド「CLOUDY」を創設した動機とは? 目指すのは、持続可能なビジネスモデルを築き、アフリカに貢献し続けていくこと。ポジティブなマインドで挑戦を続ける、銅冶勇人(どうや・ゆうと)さんに話を聞いた。

■卒業旅行はマサイ戦士の第二夫人へのアポ取りから

――アフリカに興味を持つようになったきっかけは、卒業旅行のひとり旅だそうですね。

昔、『世界ウルルン滞在記』というテレビ番組がありましたよね。芸能人が世界のいろんな地域にホームステイして現地の人たちと交流するあの番組が大好きで。大学の卒業旅行のときに、自分も「アフリカへ行ってみよう」と思いついたんです。

調べているうちに、マサイ族男性の第二夫人になった日本人が書いた本に出会いました。早速コンタクトをとってみたら、快く受け入れていただけることに。英語も全然話せないし、海外のひとり旅も初めてでしたが、なんとか航空券をとってケニアへ向かいました。それが僕の最初のアフリカ体験です。

マサイ村のホームステイでは、本当に狩りをして生きているんだとか、脇の匂いを防ぐためにこんな植物を使うんだとか、ひとつひとつが新鮮でした。でも、本当に衝撃を受けたのはその後、都市部のナイロビに戻ってからです。

■五感で衝撃を受けたスラム街の風景

――ナイロビでどんな風景を見たのでしょうか?

富裕層が利用するゴルフ場と金網1枚隔てた場所に、「キベラスラム」というアフリカで2番目に大きいスラム街があるんですね。そこで日本人とケニア人が、子どもたちの駆け込み寺のような活動をしていると聞いたので、軽い気持ちで訪れてみたんです。

トタン屋根がずらっと並ぶその場所に足を踏み入れた瞬間、五感で衝撃を受けました。まず感じたのは、強烈な匂い。200万人(正確な統計は不明)もの人々が暮らしているにも関わらず、トイレは200世帯に1個しかないんです。みんな袋に用を済ませてあちこちに捨てるから、道端にはゴミや汚物が散乱している。お風呂はゼロ。食事はキャベツや豆をたっぷりの油で炒めたものが1日1食あればいいほう。僕も食べましたけど、ものすごい味なんですよ。本当にカロリーを摂取するためだけのもので。

キベラスラムで暮らす子どもたち。

でも彼らの手に触れたとき、手相やしわ、厚みから、「すごく苦労しながら一生懸命生きているんだ」ということが伝わってきたんです。出生届が出されない赤ちゃん、学校に行けない子ども、仕事のない大人がここにいる。この人たちのために一生かけて何かをやっていこう、やっていくべきなんだろう。そういう思いが自然に湧いてきた。これが自分のアクションの出発点でした。

■証券会社1年目、苦しかった落ちこぼれ時代

――アフリカから帰国した2008年の翌月には、ゴールドマン・サックスに入社。外資系金融企業はハードな業務で有名です。

4月1日、朝5時に出社。そこからは怒涛の日々でした。初日のミーティングは英語と日本語が半々くらいだったんですけど、金融の知識ゼロで入社した自分には、英語はもちろん日本語の意味すらまったくわからない(笑)。じゃあPC作業ができるかというとそっちも全然だめ。キーボードを人差し指1本で打っていた新人はたぶん僕だけでしたね(笑)。

そんな自分と比べると、同期は優秀な人間ばかり。精神的にも身体的にも、きつかったですね。それまで自分は強い人間だと思っていたんですが、1年目で出血性胃潰瘍になってしまって。でも落ち込んでいたとき、ふとアフリカの光景を思い出したんですよ。

今の自分は情けない状態かもしれないけど、仕事があるしメシも食える。仲間も家族もいる。でもあのときスラム街で見た人たちには、僕が当たり前だと思っているものが全部なかったじゃないか、僕は何を小さなことで悩んでいるんだ? そう気付いたら、「もう1回頑張ろう」と気持ちが湧き上がってきて。そこから意識が変わり、仕事でも結果を出せるようになりました。自分の中には「彼らと出会ったことで作られた部分がある」ということを、そのとき実感したんです。

■「僕は笑顔を作る仕事がしたい」仕事の原点に返って決めた独立

――2010年にはケニアの教育や雇用を支援するNPO法人「Doooooooo(ドゥ)」代表に。多忙な会社員生活を続けながら、二足のわらじを履くことに決めた動機は?

スラム街の駆け込み寺には、送金を続けていたのですが、組織として公式にサポートしたいという気持ちが強くなってきたんです。

ところがNPOを立ち上げ、ひとつチャレンジを始めると、やりたいことってどんどん増えてくるんですよ。駆け込み寺の受け入れ人数が増えたことで、学校が必要になる、でも学校を出た後の受け皿がない、じゃあ雇用の場を作ろう……というように課題が見えてくる。

そんなジレンマを抱えていく中で、「自分にとって仕事って何だろう」と改めて考えたんです。そしたらやっぱり「僕は笑顔を作る仕事がしたい」というところに行き着いた。ならば、自分で現地の人を継続して雇用できるビジネスを立ち上げることがベストだと思い、独立を決めました。自分を育ててくれたゴールドマン・サックスを退職することには迷いもありましたが、当時の上司や同僚は今も温かく見守ってくれていて、本当に感謝しています。

――2015年にはアパレルブランド「CLOUDY」を創設。アフリカ伝統の生地「キテンゲ」や民族衣装の「カンガ」などを活かしたファッション雑貨の製作を通じて、現地に雇用を生み出しているそうですね。

現在はガーナに3つ、ケニアに2つ自社の縫製工場があります。そこで女性や障害者の自立支援を行いながら製品を作り、日本で販売した売上で現地の教育、雇用、健康問題などの改善に取り組んでいます。

縫製工場で製品作りに励む女性たち。

でも最初のうちは、一筋縄ではいきませんでしたね。例えば、「この布を2センチに切ってください」というお願いが通じなかった。学校教育を受ける機会がなかった女性は、センチメートルが何かまずわからないんですよ。定規を渡して「ここからここまでの長さが2センチだよ」と教えても、巨大なものができたりする(笑)。

「じゃあ何ならできるんだろう?」と試行錯誤する中で考えついたのが「AFRICAN PRINT T-SHIRTS」です。無地のTシャツに、民族衣装の布で作ったポケットを縫い付けたシンプルなもの。それでも最初の練習では、100枚作って10枚しか商品にならなかった(苦笑)。何度も何度も試作を繰り返して、皆の腕も少しずつ上がり、今ではうちの看板商品になりました。

アフリカ伝統の生地「キテンゲ」や民族衣装の「カンガ」などを使った、色鮮やかな製品。デザインだけでなく、使い心地にもこだわっている。

■「CLOUDY(曇り)」という名前に込めた願い

――文化の違いや作業効率を考えると「もう無理だ」と思ったこともあるのでは?

それが正直ないんですよ。一度もない。僕らがやっている活動は、こちらが「もうだめだ」と諦めたらそこで終わってしまうけど、ずっと向き合っていけば、絶対にできるようになるんです。赤ん坊が立つ瞬間って奇跡じゃないですか。あれと同じ。「いずれはこういうものだって作れるようになるよ」と一緒に頑張っていけば、必ず形になるんです。

ただし、「支援」という意識だけで、事業性をないがしろにしてしまっては、せっかく生み出した雇用も継続できません。売れるものを作っていかなければならない。今、日本ではどんな色や柄が人気で、どんなモノが必要とされているのか。その前提を踏まえた上で、アフリカ伝統の色や柄を活かした商品をビジネスという形を通して多くの人々に届けたい、そう思っています。

――「CLOUDY(曇り)」というブランド名の由来は?

「曇りの日」ってネガティブなイメージじゃないですか? そういう曇りの日を、晴れの日に変えられる製品を作っていこう、という願いを込めています。

アフリカの貧困問題はもちろん深刻なものだけれども、僕らの日常生活だって「この資料作り意味ないだろ?」といった嫌なことがたくさんありますよね(笑)。マイナスな気分をちょっと払拭して、明るく笑顔になれるような製品をこれからも作っていきたい。その過程でアフリカの雇用や教育がサポートできれば、買った人も作った人もみんながハッピーになれますよね。そういう笑顔、幸せを広げていくことが、僕にとって「仕事」のやりがいなんです。

(取材・文:阿部花恵 / 撮影:西田香織)

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