「キラキラママ」は実在しない。保育士起業家が教える「いい親よりも大切なこと」とは?

子どものために、いい親でありたい。でも、具体的にどうすれば良いのかわからない——。

子どものために、いい親でありたい。でも、具体的にどうすれば良いのかわからない——。

そんな、日々の育児に悩んでいる親たちのために、保育のプロである小竹めぐみさん、小笠原舞さんの2人による著作『いい親よりも大切なこと〜子どものために"しなくていいこと"こんなにあった!』(新潮社)が出版された。

小竹めぐみさん(左)、小笠原舞さん

2人は保育士を経て「こどもみらい探求社」を起業。親子が一緒に通う、10回シリーズの学びのプログラム「おやこ保育園」は、東京や京都で開催され、悩める親たちが涙で「卒園」する人気の事業となっている。

保育園の枠を超え「大人と子どもの世界の架け橋になりたい」と活動を続けている2人に話を聞いた。

——子育てで「しなくていい」ことが書いてある、という本の趣旨が非常にユニークです。

小笠原:「◯◯しなくちゃいけない」とか、「◯◯すべきだ」とか、はっきり誰かに言われたわけではなくても、背負い込んでいる親御さんたちが多いなと感じていました。ハウツー本の存在も悪くないのですが、今は子育てサイトも多くあり、情報が多すぎるのかもしれません。うまく選べれば良いのですが。それで私たちは、逆のアプローチ、「引き算」を大事にする本を作ろうと思いました。

親御さんからよく尋ねられるのは、例えば「しつけはどうすればいいですか?」「食事中に歩き回るんです」「言葉が出るのが他の子より遅いんです」というような質問です。

「どうしたらいいですか?」と聞かれたら、私たちの答えは「どうしたいんですか?」です。育児には答えがない。だから、親がどうしたいのかが大切です、そう話しています。

小竹:みんなとても不安を抱えています。だからこそ、「しつけ」というキーワードが、特に「グサッ」と来るみたいです。本当は「しつけ」ってとても曖昧なもの。ひとりひとりに、必要なことは違うと思います。

「どんなしつけをしたらいいですか?」と聞かれて、私が「どういうしつけがしたいんですか?」と聞きます。すると、「エッ」となって、黙ってしまう人が多い。そんな時、私たちは親御さんに「あなたが思うしつけを、違う言葉で言ってみてください」と聞いてみます。そうすると「うーん、人間が暮らす上で最低限のルールを教えること、ですかね...」というような回答が返ってきたりします。

そうした会話を続けて、徐々にその「しつけ」という言葉の意味がほぐされていく。大きい言葉が独り歩きしていますが、紐解いていくと、何てことはない。しつけの定義は家庭ごとに決めることですし、なぜしつけが必要だと思うのか、それを考えていくことで、それぞれが柔らかく納得できる結論が得られると思います。

「おやこ保育園」での読み聞かせ、子どもも大人も興味津々

——なぜ親たちの間に、子育てへの不安感が広がっていると思いますか?

小笠原:「失敗しちゃいけない」と思うと、できていたことができなくなる。「私が子育ての判断をミスしたら大変なことになっちゃう」とか。トライ&エラーができないと思いこんでいるとも感じます。

小竹:例えば、テストで答えがマルなのかバツなのか結果を追い求める。問題に全て答えがあるという時代に親自身が育ったという背景もあるかもしれません。答えがどこかから降ってくるものだと感じているような...。いきなりオリジナルを作らなきゃいけないという思考回路がない。

私たちの「おやこ保育園」では、結果ではなくプロセスをたどるということを大切にしています。

数年前に、アメリカ・シアトルで母親・父親になったばかりの人々をサポートするNPO「PEPS(Program for Early Parent Support)」を視察に行きました。そのNPOには、毎年3000以上の家族が参加していて、子供の月齢や住んでいる地域が近い親たちがグループになって、12週間にわたっていろんなことをおしゃべりする「ダイアログ」というプログラムをしているんです。おしゃべりの中で「価値観を交換する」ということが非常に大切だなと思いました。

——「価値観を交換する」とは、興味深い表現です。どんな意味ですか?

小竹:私たち保育士は、一度に大勢の子を見て、子どもたちがそれぞれに違う個性を持っていることを知っています。一方で、親たちの中には、自分の子ども1人の事例しか知らない方が増えています。

親同士が話し合うことで、「自分の事例は、何億分の1なんだ」と感じられる。自分ってすごくオリジナルだ、と認識すれば、子供を一括りに見なくなる。「母」ではなくて、私は私なんだと思えれば、「いい親」像、「いい子」像に振り回されなくなる。他の人と価値観を交換すれば、今の自分が逆にクッキリしてくる。それに気づきあう関係性が、ワークショップの良いところだと思います。

「おやこ保育園」でも、後半は大人が主役になって「しつけ」などテーマを設定したダイアログ型のワークショップで価値観を語り合う時間です。「うちではこうしているよ」とか。その時間に、笑ったり、泣いたりしながら本音を言いあって、色んな自分に気づいていく、本当の自分を取り戻すというのがとても大切です。

小笠原:本音で話せる場だというのがとても大事です。「今イヤイヤ期で、ちょっと自分の子が可愛く思えない」だとか、「いい親」であれば「人前では決して言っちゃいけない」と思っていることも、10回の講座に通ううちに安心してもらって、少しずつ気持ちを言えるようなプログラムをデザインしています。

先日も「おやこ保育園」の卒園式で、「自分以外はみんな『キラキラママ』だと思っていました」と言う声が何人かから聞こえてきました。

——「キラキラママ」というと、子育ても完璧で、オシャレも家事も仕事も完璧という母親ですね。

小竹:本当に皆、最終日に近づいていくると本音が出てくるんです。他の人も本当は悩んでいるんだと、それを知るだけでも不安がほぐれていくようです。

小笠原:みんなができているように思えて、「全部完璧にやらなくてはいけない」と思い込んでしまっているんですよね。本当は「キラキラママ」なんて、実在しないんです。

——先ほどシアトルの例では街ぐるみのプログラムになっているようですね。おやこ保育園の取り組みの中でも、日本全体でもっと仕組み化したほうが良い、ということはありますか?

小竹:おやこ保育園には、独自の「おやこパートナー」という制度があります。通っている親子と一緒にプログラムに参加して、子供たちの見守りなどのサポートをしてくれる人です。保育士資格がなくても、誰にでも開かれていて、これまで大学生とか、企業の方とか色んな方が参加してくれました。

普段関わりのない方は「子どもとどう接していいか全く分からない」という方もいます。でも、例えばパパが来てみたら、他の家のママの本音を聞いて「そうだったんだ」と勉強になります。妊娠中の方が将来の子育ての練習に、とか、子ども向けサービスの企業から社員が参加して、商品開発に役立てようという方も。色んな人に参加していただいています。

小笠原:今って、「子どもと親」という世界が、すごく、他の世界から離れているんですよね。子ども向けの施設、親子向けの専用施設があって、一方で、「子どもお断り」の施設がある。それを分けて心地よい世界を作る一方で、いろんな層の方が子どもと関わることができる場を失っているとも言える。それってどうなのかな?とも思います。

子どもが騒ぐことも、私たちにとっては、何てことはない日常です。普段関わることが少ない大人側も、「おやこパートナー」に参加して、子どもがどんな姿なのかを知って、慣れていけば気にならなくなる。同じ空間に、大人と子どもが共存する仕組みは、社会の中に必要だと思います。そうじゃないから、親になっても子供を「偶像」化してしまう気がするんです。

そのままの姿の子どもを知る機会がなさすぎることが、今の社会の色んな問題を生んでいると思います。

——確かに、「近隣が保育園建設に反対する問題」や「ベビーカーに優しくない問題」は、子どもの世界が他の人から見えなくなってきたことの弊害なのかもしれませんね。

小竹:子ども側にとっても、保育園の先生、もしくはママだけではなく、色んな大人のバリエーションを見ることは、豊かでいい出会いになると思います。そのこと自体が価値だなと。もっと子どもの世界が外に開いて、この国の人々の考え方が変わっていくことになればと思います。

小笠原:大学生の男の子が来てくれた時には、「未来の妻がこんなことで悩むかもしれない」と感じてくれたと話してくれました。他の人々も、「ママたちは、こんな風に悩んでいるんだ」とリアルを知る場になってくれれば、社会がもっと寛容になる。

——本の中では「ママ友はムリに作らなくてもいい」という項目もありましたね。印象的でした。

小竹:それは、本を作る前にした、子育ての悩みを聞いたアンケートでかなり多かった声なんですよ。私たちはそこまで意識していなかったので、皆そんなに悩んでいたのか、と驚いたこともでもあります。

小笠原:「子どものために合わせなきゃ」と考え過ぎて苦痛になってしまっているということですね。

小竹:「何かのために」友達になるって、普段しないことですよね。友達って本来、そういうものじゃない。だからこそ、「うちの子がママ友の子をぶっちゃった」とか、人付き合いでも気が気じゃない状態になって疲れ切ってしまうわけです。

自分の本当の友達の子であれば、多少迷惑をかけてもどうということもないですよね。だから、無理してママ友を作る必要はないんじゃない?と言っています。

——保育士から起業されたというお2人のキャリアもかなり興味深いのですが。

小竹:自分の働き方のこともありますが、保育士時代、見つけた課題に対して「自分ならこうやりたい」と思っても、組織にいるとなかなか自由にできないというのが起業を目指した一番の理由でした。

当時、子どもの虐待など、暗いニュースが増えてきたという印象を持っていました。子どもや家族の課題が多くなっている中で、子どものことを知っている保育士という専門家は価値があるのではないか、その割に閉じている業界だな、とも思いました。自分たちなりにやれることがあるのではないかと。

小笠原:私は会社勤めの経験を経て保育士になったのですが、すごい専門性があるのに社会で共有されていないなと感じました。この知識をもっと外に普及させたら、悩む親が減るんじゃないか...と。

例えば休みの日に、カフェで知らないお母さんの子どもへの関わり方を見ていたりすると「ああ、もっとこういう言い方をすれば上手くいくのに...」なんて思うんですよね。

それに、保育士として、子どもを通して見えてくることも気がかりでした。例えば、子どもが物を投げたりしてちょっと心が不安定だなと思う時に、迎えに来たお母さんを見ていると、疲れているような表情だったり。そういう時に「疲れていますか?」と声をかけると、「実は...」と返ってくることもありました。

小竹:現代の母親って「隠れ孤独」を抱えている人が多いのかもしれないと思うんですよね。でもみんな、自覚はない。「私は支援対象、サポートが必要な人ではない」と思っているんですが、実は孤独、自分のキャパシティーを超えているという場合がある。頑張りすぎてるけど自分に気づかないんですね。

「おやこ保育園」で、想像力を働かせて自由な「遊び」を見つける子どもたち。2人は、親が「飽きないおもちゃ」を必死で探して買い与えることも「しなくていい」の1つと説く。

——子育てというと、つい「ママ」主体の関わりと考えてしまします。パパ、あるいはパートナーの役割はどうでしょうか?

小竹:同じように「これをすべき」ってことはありません。ただ、同じように「自分のパートナーがどうしたいのか?どう思っているのか?」を知る、ということが一番大事なんじゃないでしょうか。

よくコミュニケーションをとれば、ママが本当は1人の女性で、「ただの女の子」だと思い出せると思います。隠れ孤独を抱えている母親の不安を中和するためには、話すこと。その気持の部分を包んであげることが必要なのではないでしょうか。

でも母親は、子育ての渦中に入ってしまうと視野が狭くなっていることも多い。一番近い他人ですから、冷静に見てくれることも大事だと思います。

小笠原:ゼロ歳児、1歳児はどうしても母親との関わりが強くなりますので、中心的になってしまうのは仕方がない面もあります。

仕事の成果や業績と同じように、子育ての「結果」を追い求めてしまうママもいます。無意識に他の子と比較して、「立った」とか「靴が1人で履けた」とか、とにかく人より早くできるようにと求めて、イライラしてスパルタになってしまうこともあるかもしれません。気づかないうちに子どもの成長で、自分の承認欲求を満たしてしまうという恐れもあります。

でも、子育ては本当はプロセスが楽しい。パートナーは、そのプロセスをきちんと見て、共有して、一緒に楽しむことが大切だと思います。寄り添いながら一緒に考えていくことはパートナーだからこそできることではないでしょうか。

▼プロフィール

小竹めぐみ

1982年生まれ。合同会社こどもみらい探求社共同代表。NPO法人オトナノセナカ創設者。保育士をする傍ら、家族の多様性を学ぶため、世界の家々を巡る一人旅を重ねる。砂漠の民とアマゾン川の原住民の暮らしに大きなヒントを得て、2006年より”違いこそがギフト”と発信する活動を開始する。幼稚園、こども園、保育園に勤務後、自分らしい保育士の形をみつけようと決意し2012年に独立。人のもつ凸凹を大切にしながら、日々の変化を楽しみに暮らしている。

小笠原舞

1984年生まれ。合同会社こどもみらい探求社共同代表。asobi基地代表。幼少期に、ハンデを持った友人と出会ったことから、福祉の道へ。大学時代にボランティアでこどもたちと出会い、彼らの持つ力と創り出す世界に魅了される。20歳で独学にて保育士国家資格を取得し、社会人経験を経て保育現場へ。こどもたちの声を大切にできる社会を目指し、既存の枠にとらわれず、新しい仕掛けを生み出しながら過ごしている。

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