【熊本地震】外国人留学生と震災、大学はどう向き合うべきか 「文化や心の備蓄もしておかないと」

「食料の備蓄も大事ですが、文化や心の備蓄もしておかないと、何かあった時に対応できません。日本各地には外国人のコミュニティがありますが、災害時に地域の人たちと助け合えるかが課題になると思います」
立命館アジア太平洋大学

2016年4月に発生した一連の「熊本地震」では、大分県でも別府市や由布市で震度6弱の強い地震を観測した。

別府市には、国内有数の国際大学「立命館アジア太平洋大学(APU)」がある。同大の学生数は約6000人。その半数は、世界約90カ国から集まった留学生が占めている。熊本地震の発生は新学期が始まって間もない4月。中には地震を経験したことがない留学生もいたという。

政府は文科省などを中心に「留学生30万人計画」を進めている。一方で、「地震国」の日本では、留学生も被災者になる可能性が十分考えられる。留学生の増加で国際化が進む大学は、災害に対してどう向き合うべきなのか。熊本地震から1年となる節目を前に、ハフィントンポストではAPU副学長の今村正治氏に当時の話や、新たに見えてきた課題について聞いた。

APUの今村正治副学長

■安否確認サービス、深夜のメンテナンス中で…

――地震直後、APUはどのような状況でしたか。

大分・別府市で震度6弱の強い地震があったのは、2016年4月16日の未明でした。新学期がはじまって間もない時期で、しかも真夜中。対応が難しいタイミングでしたが、すぐに事務局長と連絡を取り、職員たちと電話やメールで現状を把握しつつ、対応体制を整えました。

APUの教員・学生の半分は、約90カ国から来ている外国人の学生と教職員です。地震を経験してない人たちもいる。まずは学生の安否確認にとりかかりました。

APUでは、全学生5848人のうち2944人が留学生です(2016年11月時点)。そのうち、約1200人の学生がキャンパス内の学生寮(APハウス)で暮らしており、その多くは新入生です。地震直後にはキャンパスを管理するスタッフなどと連携をとり、いったん寮の学生全員を外の駐車場に出して、点呼をとって全員の安否を確認し、建物の中に戻しました。これには、日頃の防災訓練の経験が役立ったと思います。

学生寮での防災訓練の様子

並行して、別府市内で暮らしている学生や教職員の安否確認を進めました。APUには、大学当局が学生とWebを通して情報をやりとりできる「イントラネット」というサービスがあります。日曜日までにほとんどの安否確認ができました。

ただ地震直後、「イントラネット」は深夜のメンテナンス中で、「安否情報を伝えているのに全然反応がない」と後からお叱りを受けました。安否確認システムがあったのに機能しない部分があったのは、立命館全体での教訓になりました。

■「緊急事態の情報発信プロセスを整備できていなかった」

――学生の保護者から、学校への問い合わせも多かったと聞きました。

地震から一夜明けた16日の朝から、大学には日本国内だけでなく世界中の学生の保護者から「子どもは無事か」「大学は授業ができる状況か」「月曜から授業はやるのか」といった問い合わせが殺到しました。

学生たちも親御さんたちに地震の恐怖を語るわけです。現場の状況が見えない保護者の方々からしてみればとても心配だったことでしょう。テレビに映るのは、被害の大きかった熊本県の映像が多かった。一方、別府市はライフラインもほとんど正常で、大きな被害はなかったのですが、それがうまく伝わらず問い合わせに追われました。

地震直後は、各国大使館からの問い合わせも多数ありました。これには「3.11」の経験があったことも影響していると思います。中には、「バスを向かわせるから、学生を県外に避難させる」という大使館もありました。

各国大使館の視察の様子(APU公式サイトより)

この点については、緊急事態の情報発信プロセスを整備できていなかったという反省があります。16日の午前中の時点で、翌週18日(月)〜20日(水)まで3日間の休講は決めていたのですが、それを発信するのに時間がかかりすぎました。

当時はまず日本語で文書を作り、それを翻訳し、Webなどで発信するという通常のプロセスをとりました。ただ、情報が出るまでの間に問い合わせが殺到し、職員は忙殺されてしまった。今にして思えば、まず第一報として「来週の月〜水は休講です。詳細は追って伝えます」と伝えれば良かったと思います。

――「風評被害」というか、実際の別府の様子がうまく伝わらなかった。

週が明け、別府の街は平静を取り戻していました。市内の学校は再開していましたが、私たちは水曜日まで休講を決めていたので、その間どんな対応をするのかを考えました。

今回の地震では余震が長く続いたので、学生や教職員に安心して戻ってきてもらうため、キャンパスの現状を伝えることで安心して戻ってきてもらえるように心がけました。

そこで広報チームでは、余震が起こるたび、キャンパスの様子を写真付きで公式サイト上で報告しました。学長も日本語と英語で動画のメッセージを出し、学生や父母の皆さんに安心してもらうように努めました。こうして日英2言語でキャンパスの様子を伝えるということができました。

一方で、いつ頃まで休講にするかという課題もありました。大分では多くの学校が地震後すぐに再開していましたが、APUの場合は別府市内にとどまっている学生がいる一方、広域避難をしている学生もいました。

国内学生と一緒に東京や大阪に一時的に避難した学生や、母国に一時帰国した学生もいました。木曜日から授業を再開するかどうか、学内でも議論になりました。「一週間も休講したら、キャンパスがひどい状態みたいに思われ、マイナスイメージになるのでは」という懸念もありましたが、最終的には「やはり広域避難の学生が戻ることが必要。この際、気を静めてインターバルを置いて教育・研究をやろう」という学長の決断で一週間の休講が決まりました。

4月25日に授業再開すると、ほとんどの学生が戻ってきました。学生食堂のメニューが一部限定されることなどはありましたが、通常通りの学校運営ができました。キャンパスではおよそ100カ所の修繕箇所がありましたが、建物が構造上歪むといった大きな被害もありませんでした。一週間のインターバルを置いたことは、結果として良かったと思います。

4月25日に授業再開。キャンパスに戻ってきた学生たち

■「これだけ多くの留学生と一般市民が避難生活を送ったことは、歴史上なかった」

――地震発生後、学生たちはどんな様子でしたか。

朝から晩まで避難所で過ごすという人は少なかったようですが、地震が深夜にあったことはものすごい恐怖だった。しばらく眠れぬ夜を過ごした学生もいたそうです。夕方ぐらいになると避難所に集まり、一夜を共にする。それが一週間ほど続きました。

別府市の避難所は最大で40数カ所、避難人数はのべ5700人、うち1000人が学生だったと言われています。寮以外では、学生の住まいは通学の利便性に合わせて偏在しています。避難所によっては多数の留学生がいる避難所がある一方、圧倒的に留学生が少数だったところもありました。


別府市内の避難所の様子

住民の皆さんの中には、余震を警戒して避難所にいらっしゃる方も多かった。地震を経験していない留学生も、怖がって夜には避難所に行く子が多かったです。そんな学生たちが救援物資を運んだり、お年寄りの手を引いてトイレに付き添ってあげたりというケースも聞きました。地域住民の方とのコミュニケーションがとれていて、安心しました。

これだけ多くの外国人留学生と一般市民が、一緒に避難生活を送ったということは、歴史上なかったことだと思います。大きな混乱がなかったのは、本当に良かったと思います。

■「学生が被災した場合のシミュレーションが弱かった」

――3000人近い留学生を預かっている大学として、災害時のことは日頃から意識していましたか。

キャンパス内の寮に1000人を超す学生が常時住んでいるという事実は、相当強く意識にありました。

APUのキャンパスは山上にあるので、道路が寸断されライフラインが止まったら「陸の孤島」になる可能性があります。防災訓練をしっかりやり、食料の備蓄に努めるようにしました。現在も徐々に増やし、3日ほどは持ちこたえられます。大学生協とも協力し、何かあったときには物資の協力をいただけることになっています。

APUの外観

一方で、街に住む学生が被災した場合のシミュレーションが弱かったことは確かです。

――「シミュレーションが弱かった」というのは、具体的にはどのような部分でしょうか。

主に、留学生の避難所での生活ですね。たとえば留学生の食事です。APUには少なくとも500人のムスリムの学生・教職員がいるとされています。中には、救援物資を食べていいのか悩むムスリムの学生もいました。今回は別府にあるモスクから救援物資が届きました。また、ムスリムの教員と学生たちが協力して、一日200個のハラル(イスラム教の戒律に基づいた食品)対応のお弁当を作り、避難所に届けました。国ごとに当番を交代し、味を変える工夫もしました。

別府モスクの避難所への炊き出し

ハラル対応の弁当

避難所によって、外国語での情報に偏りがあったことも課題です。英語・中国語・ハングル語・インドネシア語の案内があるところもあれば、そうでなかったところもあります。

テレビで流れた被災地の映像も、外国人留学生にしてみれば、どこを映した映像かわからない場合も多く、見ればみるほど不安になっていました。日本人学生がそばにいてくれたら説明できますが、そうでないと「自分の近くで大きな被害が出ているかもしれない」と不安になってしまう。

こういう時に、正しい情報をどういう形で情報を発信するのか、課題として残っていると思います。大学と自治体とが連携して、災害コミュニティFMを整備することも一つだと思います。そういった丁寧さがもっとあれば良かったなと思います。

当時は、Facebookなどで避難所の位置や物資の情報を英語で発信していた学生もいました。こういう取り組みに教職員や自治体も関わり、外国人留学生や観光客の不安を払拭するための情報提供チームを組織的に整えることもできるのではと思いました。

――留学生や外国からの観光客が増えていますが、日本で過ごす以上、地震に遭遇する可能性は避けられないですよね。

先日、気仙沼を訪れた時のことです。震度5強の地震が福島でありました。津波の警戒情報が出ていて、外国人向けには他言語放送をやっていました。ただ、外国人には別音声で情報が流れているということがわかりにくかった。

なぜかというと、テレビのリモコンが日本語だからですよね。「音声切換」のボタンが、そもそもわからない。避難マニュアルにも書かれていなかった。そういう小さなところへの配慮も大事だなと思いました。

各国語で情報を提供できるような仕組みを整備する必要がある。外国人留学生に限らず、2020年の東京オリンピックを考えたときに、この問題はしっかり議論する必要があると思います。

■留学生の避難は、文化的背景の違いと言葉が課題

――留学生の避難所生活に、言葉の壁の影響はありましたか。

APUでは、学生は日本語基準と英語基準のいずれかで入学します。ですので、授業も日英二言語で行われます。そして、専門分野の学びだけでなく言語学習にも力をいれており、日本語基準の学生は英語を、英語基準の学生は日本語を学びます。留学生の多くは英語基準で入学し、入学後に日本語を学んでいます

地震のあと、APUの日本語教員が留学生・日本人学生・教職員を対象にした震災時の行動分析の調査を実施しました。その結果、地震の情報が日本語だけで発信されていたことで「何が正しいかわからない」とパニックになっていた例があったこと。「この地震による津波の心配はない」という言葉を受けて、「じゃあ、次の地震では津波が来るの?」と心配する留学生もいた例がありました。

震度についても、地震経験のない学生は「震度1と2、震度4と5弱がどうちがうのかがわからない」という人も。地震の体験がないと、震度の数字と紐付かない。日本語の情報をそのまま他言語に翻訳しても、それをどう解釈すれば良いのかわからなかったという声もありました。

出身国によって「避難所」の定義が違うこともわかりました。「色々な物資の提供がある場所だとは思わなかった」「地震があると、建物の中にいるほうが怖い。避難所も建物なので怖い」「(空き地やグラウンドのように)何もないところが避難所となるべきではないのか」という考え方もありました。文化的背景の違いもあり、留学生は、情報一つをとっても捉え方がそれぞれ違っていました。

別府市は外国からの留学生や観光客が多い街ではありますが、地域によっては外国人との関わりが少ない地域もあります。

今回の地震では、地域の人と外国人と一緒に避難する上で、相互理解ができていなかった部分も見えました。例えば、「建物の中に入るのが怖いから外にいた」という留学生に対して、地域の人たちが「なんでこの人たちは避難所に入らずたむろっているんだろう」と違和感を感じたという例がありました。

APUでは、こうした経験を「日本語教育にどう生かせるか」「日本語教育で何を教えなければいけないのか」という面で還元できればと考えています。その中でAPUでは日本語教員が「やさしい日本語」の取り組みを進めています。

――「やさしい日本語」とは、どのような取り組みですか。

APUでは日本語教員が、「外国人と一緒に防災活動や避難をするときに何が重要なのか」を発信することに努めています。地域住民に向けて、市ともワークショップを開いています。そういうところで、「まずは日本語で良いので、外国の人に一緒に避難しましょう」「なにか困っていませんか」と声をかけるよう呼びかけています。

「やさしい日本語」ワークショップの様子

日本語でも声をかけていけば、お互い何か通じる、理解ができることがあるかもしれない。何かあったとき、ともに助け合えるというところを目指して「やさしい日本語」を使いながら、「お互いが通じ合える関係を作りましょうね」と呼びかけています。

行政から出される情報についても、誰にでもわかる「やさしい日本語」をできるだけ使いましょうと呼びかけています。

また、日本人から見て「やさしい」言葉が、外国人にとって「やさしい」とは限りません。ワークショップには実際に留学生も参加することで、どの程度まで留学生は「わかる」のか、地域の方に体験していただいています。APUの教員が別府市と協力し、市が設置した「多言語防災センター」とも協力をしながら、こうしたプロジェクトとして進めています。

「やさしい日本語」ワークショップの様子

■「食料の備蓄も大事だが、文化や心の備蓄も大事」

――もしもの時には、地域の人たちとの信頼関係の積み重ねに懸かっているわけですね。

食料の備蓄も大事ですが、文化や心の備蓄もしておかないと、何かあった時に対応できません。日本各地には外国人のコミュニティがありますが、災害時に地域の人たちと助け合えるかが課題になると思います。

そういう点では、今回の地震での経験が役に立てるかもしれません。やはり、コミュニティが安定していないと協力し合えないし、地域の人たちと反目し合う可能性もあるかもしれません。

日本政府では文科省を中心に「留学生30万人計画」というのを進めていますが、留学生を単に政策の枠の中だけで考えないことが大切です。留学生をいろいろな場面で参加できるプレイヤーにしていくことが重要だと思います。大学が国際化していく中、留学生が地域や産業、災害復興支援という面で活躍できる部分はたくさんあるという視点を忘れてはいけません。

オセアニア地域出身のAPU学生たちが中心となった別府駅前での募金活動

APUでは地震直後、自分がアルバイトをしているホテルまで、外国人観光客の避難誘導のために駆けつけた留学生もいました。南太平洋の学生たちが中心となり別府駅前で募金活動もやっていましたし、スリランカの学生はカレーを作りに熊本の西原村に行きました。被災地のボランティアに向かう学生もいました。日本人の学生も「Move for Kyushu」という団体を立ち上げ、京都の立命館大学、東京の早稲田大学の学生と連携し、募金活動を全国展開させました。

今回の地震では、APUのダイバーシティな面や地域のみなさんと築いたコミュニティが力を発揮したと思います。災害時に留学生と地域の人たちが、避難所に一緒に居られるようなコミュニティをつくれるか。それは、日頃の信頼関係の積み重ねに懸かっていると思います。

注目記事