レーニン埋葬論に思う モスクワで「レーニン」捜した日本人芸術家が見たロシア人の複雑な感情

死後90年以上たった今も展示されている革命家ウラジーミル・レーニンの遺体。保存の継続か、埋葬か。揺れるロシア人の思いを、1人の日本人芸術家が語る。
Kazuhiro Sekine

死後90年以上たった今もモスクワで展示されているソ連の初代指導者ウラジーミル・レーニンの遺体について、保存の継続と埋葬とでロシア人の意見は割れている。

かつてロシア人宅を訪ね回り、レーニンにちなんだ様々なものを集めて展示するという斬新な芸術活動に取り組んだ丹羽良徳さん(34)は当時、レーニンに対するロシア人の複雑な思いを感じ取っていた。

「モスクワのアパートメントでウラジーミル・レーニンを捜す」。そんなプロジェクトに丹羽さんが取り組んだのは2012年のことだ。零下10度を下回るモスクワに滞在しながら、連日地下鉄のホームに立ち、「レーニンを捜しています」とロシア語で書かれた「手配ビラ」を配り続けた。

「頭がおかしいのか」「偉人を馬鹿にするな」「今はそんな時代じゃない」。ロシア人の冷めた目、怒り、失笑。それでも協力してくれた人たちの家を訪ねては、部屋の片隅にしまわれていた「レーニン」を捜した。写真や絵はがき、バッチ、切手、旗、新聞記事、彫像……。集まったものは150点を超え、モスクワで開催された日本現代美術展で展示。集める過程を撮影したビデオも会場で流し、全体で作品とした。

訪れたロシア人らに好評を博し、レーニンの「そっくりさん」として地元では有名なセルゲイさんから「レーニン没後100年に共同制作しよう」と提案されるほどだった。

レーニンの「そっくりさん」のセルゲイさん(右)と握手する丹羽良徳さん=2012年4月、モスクワ

当時、ソ連が崩壊してすでに20年がたっていた。滞在先のモスクワでは、華やかなネオンとブランド店が目立ち、高級外車が行き交う。社会主義国家の面影は見たらない。「レーニンは本当に人々の記憶から消え失せたのか」。そんな疑問が、作品づくりにつながった。

「ソ連は崩壊に終わったが、ソ連をリアルに経験した世代にとってレーニンはかけがえのない人生の一部」と丹羽さんはみる。レーニン捜しを続ける中、ある人はかつての共産党の党員証を両親の形見として大切に持っていたといい、「私的な記憶とレーニンの存在は不可分だ」と感じたという。

また、丹羽さんは「個人的には、レーニンを物理的に保存・展示するのではなく、埋葬して、20世紀もしくはソ連時代に関するより質的な教育を充実させる方がいいと思う。『知の伝承』によって次世代の指導者を生み出す方が生産的だ」と話す。

一方で、レーニンにまつわる詩をいまだに記憶し、披露してくれた高齢女性のことも忘れられないといい、「彼女たちが元気な間は、レーニンは展示し続けて欲しい」とも話した。

ロシアの世論調査機関「レバダ・センター」によると、調査に対し、レーニンを埋葬することに賛成した人は回答者の6割近くにのぼった。現状のまま廟に残すことに賛成したのは3割だった。だが、レーニンに対する感情については、尊敬や好感など、ポジティブな回答をしたのは5割以上にのぼり、自国の歴史に対して「いい役割を果たした」「どちらかというといい役割を果たした」と答えた人も5割を超えた。

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Demonstration of Putilov workers on the first day of the February Revolution.

「ロシア二月革命」から100年

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