『はらぺこあおむし』のエリック・カールさんが今、「平和」という言葉を選ぶ理由

絵本『はらぺこあおむし』などで知られる作家、エリック・カールさん(88)の大規模な展覧会が東京・世田谷美術館で開かれている(7月2日まで)。ハフポスト日本版では来日したエリックさんに独自インタビュー、ナチス・ドイツ政権下だった少年時代や最新作に込められたメッセージについて訊ねた。
猪谷千香

絵本『はらぺこあおむし』などで知られる作家、エリック・カールさん(88)の大規模な展覧会が東京・世田谷美術館で開かれている(7月2日まで)。エリックさんはドイツからの移民だった両親のもと、1929年にアメリカで生まれた。6歳でドイツに移住し、ヒトラー率いるナチス党政権下で少年時代を過ごす。幼い頃から美術の才能を発揮していたエリックさんはドイツ敗戦後の1952年、再びアメリカへ渡り、宣伝広告界でグラフィックデザイナー、アートディレクターとして活動。38歳で絵本の仕事に取り組むようになり、現在では世界的な作家として活躍している。

展覧会では、『はらぺこあおむし』などの作品原画を紹介するほか、1950年代の初期作品や今年になって制作された作品まで展示。エリックさんの創作に影響を与えたアーティストの作品もあわせて紹介され、その世界に触れることができる。ハフポスト日本版では、展覧会開幕に伴い4月に来日したエリックさんに独自インタビュー、少年時代の思い出や最新作に込められたメッセージについて訊ねた。

■「最近は死について時々、考えるようになりました」

——今、開催されている「エリック・カール」展では、最新作となる「天使 パウル・クレー賛」シリーズから3点が展示されています。いずれも、天使を象った作品です。パウル・クレー(1879〜1940)はスイス生まれの芸術家ですが、これらの作品にはどのようなメッセージが込められているのでしょうか?

最初に、パウル・クレーは私が最も好きな芸術家の一人だからです。二つ目に、彼は晩年、とてもたくさんの天使の作品を制作しました。それは「死の天使」でした。私も年を取り、いつもではないのですが、最近は死について時々、考えるようになりました。

パウル・クレーの作品とは似ていませんが、彼が伝えたいメッセージを私も受け継ぎました。この作品について、最初の質問してくれてありがとう。

世田谷美術館で展示されているエリック・カールさんの最新作シリーズ

——今回の展覧会では、パウル・クレーの作品と彼との関連性が伺えるエリックさんの作品『うたがみえる きこえるよ』の原画も展示されていますね。他にも、特に印象に残っているのは、やはり絵本作家として著名なレオ・レオニ(1910〜1999)の作品が紹介されています。オランダ生まれのレオ・レオニはイタリアから亡命、エリックさんがアメリカに再び移住した1952年当時は、「フォーチューン」誌などで活躍するアートディレクターでした。駆け出しのエリックさんに仕事を紹介してくれたエピソードは有名ですね。レオ・レオニは、エリックさんの良き先輩であり、仕事仲間だったと聞いています。

そうですね。こんな話があります。レオ・レオニには孫娘がいたのですが、彼女はある日、私の絵本『はらぺこあおむし』を見て、「見て!誰かがおじいちゃんの本の真似をしたわ!」と言ったそうです。レオ・レオニには『ひとあし ひとあし』という、しゃくとり虫が主人公の絵本を描いていたのです。それを聞いたレオ・レオニは「ああ、彼を知ってるけど、良いやつだよ」と孫娘に説明してくれましたよ(笑)

「うたがみえる きこえるよ」作=エリック・カール/翻訳=もりひさし(偕成社)

■「私は絵本の中に、いたずらをしかけるのが楽しいのです」

——この春、エリックさんの絵本『エリック・カールのイソップものがたり』が出版されました。イソップ童話の11話を描かれていますが、少しおなじみの物語とは違うようです。

私はイソップが大好きなのですが、物語の結末を少し変えました。例えば、「アリとキリギリス」では普通、キリギリスがアリたちに拒否されますが、私の結末では、温かく受け入れられています。

——キリギリスは冬になったら、アリの家のパーティーでバイオリンを弾くという素敵な物語になっていました。

だって、キリギリスは夏の間、美しい音楽を奏でていたのですよ。彼はアーティストなんです!

「エリック・カールのイソップものがたり」再話・絵=エリック・カール/翻訳=木坂涼(偕成社)

それから、「キツネとカラス」という物語では、ドイツのシュトゥットガルトのワインを描きました。作っている人たちだけおいしいと思っているワインです(笑)。でも、本当は酸っぱいんですよ。私は絵本の中に、いたずらをしかけるのが楽しいのです。イソップ自身より、面白くなったと思います。イソップが生きた時代、統治者や社会を批判することができなかったので、彼はそれを動物で表現しました。とても真面目な人だったのでしょう。

■「人生の中で、自分が成長するポイントはいくつかあります」

——シュトゥットガルトといえば、エリックさんが16歳で高校の中退した後、入学した芸術アカデミーがあった場所ですね。エリックさんは6歳でドイツに移住し、幼い頃から才能の開花はあったものの、ナチス政権下では空爆を回避するために建物は地味な色に塗られ、社会も灰色だったと聞いています。しかし、エリックさんの作品は色彩にあふれ、多様性を感じます。アメリカとドイツという対象的な国での教育はどのような違いがありましたか?

私は始め、アメリカで教育を受けました。それはとてもポジティブで、素晴らしい先生にも恵まれ、たくさんの色や紙を使って作品を作ることもできて、私は学校に行くのがとても大好きでした。それこそ、口笛をふいて通っていました。

ところが、ドイツに帰ってからは、学校の先生はとても怒りっぽくて、すぐにスティックで私の両手を叩きました。そうして、6歳にして私は教育のエキスパートになったのです。アメリカの教育は良く、ドイツの教育は悪いという、とてもシンプルな結論にたどりつきました。6歳から16歳まで、長い時間、私は学校を恐れ、憎んでいました。とても長い間です。そうした体験が、私の作品にも頻繁に影響を及ぼしました。作品は愛で溢れ、優しく、批判的でなく、親しみやすいものになりました。

——つらいドイツでの学校生活でしたが、素晴らしい出会いもあったそうですね。

そうです。私の高校の美術教師は、とても勇気ある人でした。ヒトラーは芸術を弾圧していましたが、彼は放課後、私だけを自宅に招き、秘密裏に集めていた絵を見せてくれました。当時、退廃芸術として禁じられていた絵の複製です。

——ピカソやマティス、カンディンスキー。パウル・クレーもあったそうですね。初めて、彼らの絵を見た時、どのように思われましたか?

とても慌てました。そんな絵を見せるなんて、「先生は狂ってる!」と思ったぐらいです。でも、同時に彼が私の中にある「何か」を見つけてくれたのだということも、わかっていました。人生の中で、自分が成長するポイントはいくつかあります。彼との出会いはその一つでした。それから私は16歳の時に、高校を辞めてしまい、それについては後悔していますが、今は良いアーティストになれました(笑)

それから、ひとつだけ付け加えさせてもらうと、ドイツは戦後、全く違う国になりました。生徒と先生はより自由になったし、生活はしやすくなりました。私がいた頃は、全てが堅苦しかったです。郵便局に行って小包を出す時にも、紐の結び方について細かい規則があって、間違えると郵便局の職員に怒られました。だから、郵便局に行くことさえ、怖かった。今はアメリカよりも自由です。最近、ドイツの子どもたちと話したことがありますが、自由過ぎて、もっと従順であって欲しいと思ったぐらいです(笑)

世田谷美術館での展覧会開幕に訪れたエリック・カールさん。

■「私は今の若い人たちを戦争に送りたくないと思っています」

——エリックさんの代表作で、1969年に発行された『はらぺこあおむし』の初版本は、日本で製作されたと聞いています。異なるサイズのページが入っていたり、ページの真ん中に穴が空いていたり、複雑な製本は当時のアメリカの印刷会社では難しかったそうですね。エリックさんの本が英語圏以外で最も多く翻訳されているのも日本です。日本文化にも造詣が深くいらっしゃって、今回の滞在でも、東京で和紙の専門店を楽しまれたと聞いています。

私は技術を持った職人たちが大好きなのです。たまに、私は「アーティストにならなかったとしたら、何になりたかったか?」と質問されますが、答えはコックです(笑)。私は料理はできませんが、何かをクリエイトしたいと思います。

——エリックさんの本を日本で出版している偕成社での歓迎会では、社員の方が書道のパフォーマンスを行い、エリックさんご自身も飛び入りで書道にチャレンジしていらっしゃいましたね。筆と墨で、すらすらと『はらぺこあおむし』を描かれて驚きました。

初めて日本の筆を持ちました! 最初はやり方を間違えてしまったから、ひどかったでしょう?

偕成社で開かれた歓迎会で、初めて日本の筆を持ったエリック・カールさん。現れたのは「はらぺこあおむし」

——いえ、とても素敵なあおむしでした! その社員の方が字を書く際、エリックさんにリクエストを伺ったところ、エリックさんが「Peace(平和)」と即答されていらっしゃったのが印象的でした。なぜ、その言葉を選ばれたのでしょうか?

そうですね...。政治的な状況でしょうか。たとえば、トランプ大統領や北朝鮮、それから中東......。私は、戦争が起こることをとても恐れています。なぜなら、私自身、ドイツで戦争を経験しているからです。

戦争はとても恐ろしいものです。私の父はドイツ軍に招集され、8年半家族の元を離れていました。戦争が終わってからは、ロシアの収容所に3年間入っていました。みんな心身がボロボロでした。それ以外にも、あの戦争でたくさんの人たちが死にました。ヨーロッパや日本でも。5000万もの人たちが亡くなりました。私は今の若い人たちをそんな戦争に送りたくないと思っています。

書道のパフォーマンスで、「平和」の文字をリクエストしたエリック・カールさん

——今日は貴重なお時間をありがとうございました。

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