受動喫煙対策まとまらず 「分煙では不十分」たばこ問題情報センター渡辺文学さんに聞く

厚生労働省が今国会への提出を目指している、受動喫煙対策を強める「健康増進法改正案」について、自民党との意見集約が難航している。嫌煙家の市民運動家、渡辺文学さんに話を聞いた。

厚生労働省が今国会への提出を目指している、受動喫煙対策を強める「健康増進法改正案」について、自民党との意見集約が難航して法案提出の道筋が不透明な状況になっている。自民党は5月15日に厚生労働部会を開いて同党案の了承を目指したが、まとまらずに結論は先送りになった。

厚労省案では、喫煙を認めるのは小規模のバーやスナックに限定し、面積も約30平方メートル以下を想定する。一方の自民党案は、店の種類にかかわらず店頭表示で喫煙を認める内容で、面積の基準は未定共同通信は「厚労省案から大きく後退するのは間違いない」と報じた。

この状況を憂えるのは、日本の禁煙運動の先頭を走ってきた「たばこ問題情報センター」代表の渡辺文学(ふみさと)さん(79)だ。日本は受動喫煙防止環境が発展途上国並みだと指摘する渡辺さんは、かつてはヘビースモーカーだった。渡辺さんに話を聞いた。

インタビューに応じる渡辺文学さん=東京都千代田区

――まず、受動対策をめぐる現在の議論をどう見ていますか。

一番の問題は飲食店と国の姿勢です。1984年に制定された財務省所管の「たばこ事業法」は、国民の健康よりも、たばこ産業の健全な発展や税金による安定収入を図るものです。一方、日本が2004年に批准した世界保健機関(WHO)の「たばこ規制枠組条約(FCTC)」では、締約国はたばこの消費を減少させる措置と受動喫煙を防止する措置を実施すべき義務があり、たばこ事業法とは矛盾しています。

政府はこれまで、たばこは個人の趣味嗜好だという考えを根強く持っていました。日本では受動喫煙の本当の害について国民には詳しくは知らされていませんし、教育現場での啓蒙も進んでいません。ノルウェーやスエーデンなど北欧の国では、40年前から徹底した喫煙防止教育が行われ、たばこのCMや自販機もなくなりました。

高度経済成長時代のピーク時の1966年には、成人男子の83.7%が喫煙者でした。しかしそれが今では30%を切り、たばこを吸うのは5人に1人にまで少なくなりました。国はその少数となったスモーカーをいまだに重視するのか、それとも多数のノンスモーカー側に立った政策を取るべきなのか。当然、ノンスモーカーの側に立たないといけないですよね。

――2020年の東京オリンピックを控え、日本の受動喫煙対策を進めることは急務だと思います。しかし、難航しています。

現在、自民党内では厚労省案に対する党たばこ議連の反発が強いです。こんな状況のなか、受動喫煙対策について、国全体に対してではなく、オリンピック開催都市にだけ限定して強化するという折衷案が出ているとも聞きます。そうなったら大後退です。

中国やソ連でも、オリンピックを開いた時には罰則付きの受動喫煙対策を設けました。現在、屋内での喫煙を禁じる法律が全くないのは日本と太平洋の島国ニウエくらいですよ。本当に情けないことです。今後、厚労省からはかなり後退した案が出るのではないかと懸念しています。

――たばこそのものを禁止すると言っているわけではないですよね。

法律でたばこを全面的に禁止するのは非現実的です。たばこを吸いづらい、買いづらい、売りづらい社会にすることでソフトランディングしたいです。分煙だとしても、目の前に灰皿や喫煙ルームがあれば、たばこを止めたいと思っている人の神経を逆なでします。だから、そういったものはない方がいいと口をすっぱくして言っています。

—―自民党案のように、たばこを吸えるレストランだとはっきりと示せばいいという意見もあります。逆に禁煙の店は禁煙だと。

今でも「たばこを吸える」と看板を出しているレストランはありますが、長くは持たないでしょうね。

私は1983年にサンフランシスコで分煙条例が実施されている状況を見てきました。吸ってはダメなのではなく、たばこが吸えるエリアをきちんと分けるように決められていました。私はそれを「分煙」という言葉で紹介したのですが、その言葉を今、JT(日本たばこ産業)が使っています。確かに90年代の日本はまだ分煙が求められましたが、今では「分煙」では不十分です。

2003年施行の「健康増進法」と先ほど述べた「たばこ規制枠組み条約」では、基本的に屋内は全面禁煙としているんです。それに、たばこは様々な病気の元です。国民が健康になれば医療費削減にもつながるんですが。

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愛煙家をもじって「哀煙家」と記した紙を持つ渡辺文学さん=東京都千代田区

渡辺さんは、もともとは公害や日照権を追う市民団体の事務局で活動、1日60本のたばこを吸いながら大気汚染を論じていた。しかし40年前の39歳の時、「喫煙は身近な環境問題」と思い禁煙を始めた。

旧満州(現中国東北部)生まれ。早大卒業後、民間企業を経て1978年、嫌煙権を掲げる市民団体に参加した。当時、新幹線はこだま1号に禁煙車が1車両あるだけで、病院の待合室にも灰皿があった。喫煙者が多数の時代だった。

1985年に「たばこ問題情報センター」を設立し、90年から代表。訴訟の傍聴記などを載せ、編集長を務める月刊誌「禁煙ジャーナル」は発刊から25年を超えた。

2004年にはタクシーの全面禁煙を求めて運転手らと訴訟を起こした。翌05年には、東京地裁が「全面禁煙化が望ましい」との判決を出した。今は毎朝、東京・世田谷の自宅近くの駅周辺の道路約2キロを掃除している。「毎日、100から200本もの吸い殻を拾います。その数は減りませんし、臭いですよ」と語った。

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#9: New Zealand

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