【寺田屋事件】龍馬かくまった薩摩藩屋敷、絵図が見つかる

寺田屋で襲撃された坂本龍馬が避難したことで知られる薩摩藩伏見屋敷の絵図が見つかった。

薩摩藩の伏見屋敷の絵図。下方が東(城南宮提供、京都国立博物館撮影)

薩摩藩伏見屋敷の絵図発見 寺田屋事件で龍馬かくまう

江戸時代、現在の京都市伏見区にあった薩摩藩伏見屋敷の絵図が見つかった。同区の神社・城南宮(じょうなんぐう)が3日、発表した。屋敷は、船宿・寺田屋で襲撃された坂本龍馬(1836~67)が避難したことで知られる。所在地は確認されていたが、図面が見つかったのは初めてという。専門家は「日本史に大きな影響を与えた舞台の詳細を示す貴重な発見」としている。

城南宮などによると、絵図は縦99センチ、横128・2センチ。東側を下にして、「天明六年」(1786年)と書かれている。屋敷の建物の配置や間取りを示し、東側には川から上がるための板橋も描かれている。屋敷の規模は南北99メートル、東西64メートルで、敷地面積は4973平方メートルと推定されるという。城南宮が5月、京都市の古書店から購入した。

薩摩藩と長州藩による「薩長同盟」を取り持った龍馬は1866年、寺田屋で幕府の奉行所の役人に襲撃され、深手を負いながらも寺田屋を脱出。北側の材木小屋に身を隠した後、薩摩藩に救出され、舟で伏見屋敷に運ばれたことが、龍馬の手紙や妻お龍(りょう)の証言などから明らかになっている。屋敷は68年の鳥羽伏見の戦いで会津藩に焼かれた。

(朝日新聞デジタル 2017年06月03日 20時46分)

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