「第二の患者」ってどういうこと? "がん患者を支える人"の悩みや本音、マンガ家が教えてくれた

大切な人が「がん患者」になったその日から、支える側の家族もまた「第二の患者」になる。

大切な人が「がん患者」になったその日から、支える側の家族もまた「第二の患者」になる。

「ごめんね。僕、大腸がんだって」

入籍前日、恋人から告げられた衝撃のひと言。最初のうちは「私がついてるから大丈夫」と力強く言えていたはずなのに、気づけば支える側も不安とストレスに絡め取られて……。

マンガ家・青鹿ユウさんの『今日から第二の患者さん がん患者家族のお役立ちマニュアル』は、がんになった家族を支える側の悩みを描いた実録コミックエッセイだ。

看護に戸惑い、疲れ、追い詰められた青鹿さんがたどり着いた「第二の患者」というキーワードとは? 患者本人の抱えるつらさとは異なる、患者家族だからこその悩みについて聞いた。

(c)Kaori Sasagawa

風邪ひとつ引かない健康な彼が、30代半ばで「がん」に

――『今日から第二の患者さん』では、入籍直前に婚約者(漫画では「オット君(仮)」)の大腸がんが判明した場面から始まります。当時のおふたりの状況は?

私もオット君(マンガ家の神崎裕也氏)も同業で、そのときは同棲2年目くらい。当時、私は30代前半、彼は30代中盤で、結婚の話はその前から出ていて、お互いの実家への挨拶も済ませていたんですね。

でもちょうど私の連載が始まったことで入籍が延び延びになってしまって。がんがわかったのは、その連載が終わって「じゃあそろそろ籍入れようか」と話し合っていたタイミングでした。

――籍は入れていなかったけれど、パートナーとして「支えよう」という意識はすでにあった?

私はそういう意識でしたね。一緒に暮らしていたし、実質は結婚しているも同然だったので。ただ彼のほうが「籍を入れるのはちょっと待って。この先、自分がどうなるかわからないから」と言い出したので入籍はいったん白紙になりました。

でもそのときはまだ、私も看病というものの大変さを全然わかっていなかったんですね。「手術をすれば大丈夫。100%前と同じ日常に戻れるはず」とそのときは何の疑いもなく思っていました。

善意からのアドバイスに追い詰められて

――がんと向き合うオット君を支える青鹿さんがストレスや不安で余裕をなくしていく様子も描かれています。「私、支えるひと。彼、労られるひと」という立場が揺らいできたのはいつ頃からでしたか。

(『今日から第二の患者さんより)

最初の頃は「私は支える立場なんだから、しっかりしないと」という意識があったんです。でも友人や仕事相手に彼ががんになったことを告げると、「あなたがしっかりしないと」「(漫画を描き続けるオット君を)ちゃんと休ませてあげなきゃダメじゃない」と強い言葉で言われることが多かったんですね。

もしくは、身近な家族の経験を教えてくれる人も多かったですね。「かわいそう。がんで亡くなったうちのおじいちゃんも最期は壮絶だったよ。お母さんが寝ずに看病していたよ」とかウルウルの涙目で言われると、「え、そんな怖いことが起きるの?」「私もそうしなきゃダメなの?」という風に感じて追い詰められていきました。

それぞれ心配の気持ちからの言葉だとはわかっているんですが、一人ひとりからそういう改善と反省を強いるアドバイスを言われ続けると、だんだん自分が責められている気になってしまう。

同世代でがんを経験している友人が身近にいなかったので誰とも悩みを共有できないし、(当時は)がんの知識がなかったので、どこに頼っていいかもわからなかった。

でも「一番つらいのはオット君(仮)」という気持ちがあったから、「私だってつらいのに」なんて誰にも言えなくて。そんなときに「家族は第二の患者」という言葉を知ったんです。

支える側の家族もまた「患者」である

――がん患者の家族は看病の不安やストレスで悩まされ、その心の負担は患者と同じかそれ以上。患者同様にケアされるべき存在として「第二の患者」とも呼ばれている、という意味ですね。

(『今日から第二の患者さんより)

ネット検索でこの言葉に出会ったときは、もう本当にこのコマみたいに集中線がビカーッ!ってなった感じでした。患者ではなくて「私」についての話をしてくれている、そういうサイトがあったことがすごく嬉しかった。

それまで、がん患者に向けの本はあっても、「がん患者を支える家族」について触れている本は見つからなかったんですね。すごく探したんですけど、患者向けのがんの本の中で数ページあるくらいで。それも「家族は寄り添ってあげましょう」というふわっとしたことしか書かれていなくて。

「丸々1冊、がん患者の家族に向けた本があればなあ」と当時すごく思っていたので、それがこの本を描く動機にもなりました。

――支える側もまた「2番めの患者」だと。

「第二の患者」という言葉を知っているのといないのとでは、やっぱり支える側の意識はまったく違ってくる。だからこの言葉自体がもっとたくさん広まっていけば、きっとそれぞれの「支える人に合った悩みへの向き合い方が見つかりやすくなるのではないでしょうか。

大声で暴れる彼を見て、「逃げ出したい」と思った

――ただ、家族が「第二の患者」だとわかっても、つらさや恐怖がゼロになるわけではない。手術終了後、パニックを起こすオット君(仮)に恐怖を感じて「逃げたくなった」という本音もマンガの中で吐露していますね。

(『今日から第二の患者さんより)

あのときは本当に恐ろしかったです。普段はすごく穏やかで、つき合い始めてからの5年間、一度も声を荒げたことのなかった彼が、いきなり大声で叫んで暴れ始めてしまって。恐怖から頭が真っ白になって「逃げ出したい」と思ってしまいした。

看護師さんがすぐ来てくれて「術後の不調や麻酔の影響で一時的なものですよ」とは教えてくれたんですけど、「このまま人が変わってしまったらどうしよう」「相手とこの先もずっと一緒にいられるんだろうか」とか色々考えてしまって、すごく怖かった。でもそういった感情も全部ちゃんと描こう、と思いました。

(『今日から第二の患者さんより)

担当編集者は「ここまで描いてしまって大丈夫ですか?」と心配してくださったんですけど、実際に本が出たら、ここに共感したという感想がすごく多かったんです。

「私も逃げ出したいと思ってしまいました」「言っちゃいけないと思って口に出せなかったけど、そう思うのは自分だけじゃないんだとわかって安心した」という声が本当に多く寄せられて。「逃げ出したいなんて、思っても言ってもいけない」という、がん患者の家族への世間の圧力のようなものを強く感じました。

――がん患者の家族への理解も大切ですね。

がんに限らず、闘病中の患者を支える家族って、「一番つらいのは患者なんだから」という言葉をすごくたくさんかけられるんですよ。

でも本当は、つらさに一番も二番もない。「第二の患者」の人たちだってやっぱりつらいんです。そういう自分の感じるつらさ、しんどさをないがしろにしないでほしい。

「第二の患者」だからこそのつらさにきちんと向き合っていけば、きっといい解決策は見つかるはずだと私は思っています。

※後編は近日中に掲載予定です。

(取材・文 阿部花恵

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