バレエ界の"美しき野獣" 、セルゲイ・ポルーニンの人生 2000万回再生の動画は「ラストダンスのつもりで踊っていた」

生身のポルーニンは、奇跡のように美しい“世界一優雅な野獣”であり、苦悩を糧に成長し続ける真摯な芸術家でもあった。

森から建物に差し込むまぶしい光の中で踊る美しい男性ダンサー。切ない旋律を全身で表現するその姿は、神々しささえ感じさせる。曲はグラミー賞にもノミネートされた名曲。ロシアの同性愛者への迫害を批判したホージアの『Take me to church』だ。2015年、ハフポスト日本版でも紹介し大きな話題となった。

現在、全世界で2000万回以上再生されているこの動画で踊っているのが、従来のバレエ界の型におさまりきらない、若き孤高の天才ダンサー、セルゲイ・ポルーニンだ。

(C)British Broadcasting Corporation and Polunin Ltd. / 2016

そんなポルーニンの人生を追ったドキュメンタリー映画『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』が7月15日に公開された。その孤高の半生を辿り、4月に来日した彼の言葉を紹介する。

ウクライナの貧しい家に生まれ、13歳でイギリスへ

1989年、ウクライナの貧しい家庭に生まれたポルーニンは、天性の才能をたゆまぬ努力で開花させ、13歳でイギリスに渡る。

(C)British Broadcasting Corporation and Polunin Ltd. / 2016

スクールを経て入団した英国ロイヤル・バレエ団では、19歳で史上最年少男性プリンシパルとなったが、たった2年で突如退団。22歳の若き天才が世界三大バレエ団でもあるロイヤルから去ったことは大きなニュースになった。

(C)British Broadcasting Corporation and Polunin Ltd. / 2016

タトゥーを全身にまとうバレエ界の異端児

誰もが認める才能がありながら、舞台のたびにメイクで消さなければならないタトゥー(ポルーニンにとっての自由の象徴)を全身にまとうポルーニンはバレエ界の異端児だった。

(C)British Broadcasting Corporation and Polunin Ltd. / 2016

支えてくれた家族も自分のせいで崩壊し、ポルーニンは苦悩する。やがてロシアに移り住んだポルーニンは、自身を導いてくれるメンター的存在となるロシアの著名なダンサー、イーゴリ・ゼレンスキーと出会う。

そして、バレエから惜別するラストダンスのはずだった『Take me to church』の撮影が、映画のクライマックスだ。

(C)British Broadcasting Corporation and Polunin Ltd. / 2016

貴重な幼少期の練習風景から、年代ごとの舞台風景や舞台裏、家族や友人たちへの詳細なインタビューなどで構成されたこの映画は、孤高の天才ダンサー、セルゲイ・ポルーニンの人生のかなりの部分を、冷静に描き出すことに成功している。

(C)British Broadcasting Corporation and Polunin Ltd. / 2016

(C)British Broadcasting Corporation and Polunin Ltd. / 2016

最初に手を上げてくれたのは、日本だった

公開に先立つ4月末、ポルーニンが来日。記者会見と『Take me to church』をライブで踊ったトークイベントが行われた。生身のポルーニンは、奇跡のように美しい"世界一優雅な野獣"であり、苦悩を糧に成長し続ける真摯な芸術家でもあった。

セルゲイ・ポルーニン (C)波多野公美

「実は完成する前に、このフィルムを買うと最初に手を上げてくれたのは日本だった。日本の市場は難しいと聞いていたから、僕を含めてスタッフみんなとてもエキサイトしたよ。その高揚感のまま一気に最後までフィルムを作りあげたんだ」

日本はバレエファンが多い国だ。世界中のバレエ団が来日公演を開き、各国のバレエ映画もよく公開されている。

「日本に熱いバレエファンがたくさんいるのは知っている。だから、僕がこれだという自信を持てる演目ができたら、絶対にツアーで日本に来たいと思ってる。いま、ダンサーを支援する"プロジェクト・ポルーニン"という組織をやっていて、今年の3月にロンドンで公演もしたんだ」

(C)波多野公美

テツヤはニジンスキーより高く飛んでいた

ポルーニンのように、バレエの枠を超えて名を残す天才男性ダンサーといえば、ワツラフ・ニジンスキー、ジョルジュ・ドン、ルドルフ・ヌレエフなどが有名。そして日本には、現在もその伝説を更新し続ける熊川哲也がいる。

同じ英国ロイヤル・バレエ団出身で、ポルーニンの大先輩でもある熊川は、93年に21歳でプリンシパルに任命された。

「テツヤの公演は何度も見たことがある。テツヤはニジンスキーより高く飛んでいたよ。あんなに高く飛べるダンサーはほかにいない」

熊川は同バレエ団を退団後、26歳で自身のバレエ団「Kバレエカンパニー」を創立。2003年には「Kバレエスクール」を開校し、自身も舞台に立ち続けながら、日本のバレエ界の発展に尽力してきた。

「テツヤは学校まで作ったし、ダンサーたちの待遇の改革や、男性ダンサーたちの見せ方も考えている。本当に彼はバレエ界のインスピレーションだよね」

ラストダンスのつもりで踊っていたのに...

映画のクライマックス、大画面で観る『Take me to church』は圧巻の一言だ。この映像を撮影したのは写真家のデヴィッド・ラシャペル。撮影はハワイのスタジオで行われた。

(C)British Broadcasting Corporation and Polunin Ltd. / 2016

ポルーニンとラシャペルはこの撮影で初めて会い、ハワイで5日間一緒に過ごし、ほとんど話をしないまま、毎日9時間の撮影をした。

空っぽになって感情のままに踊るうちに、気持ちが変わっていったとポルーニンはいう。

(C)British Broadcasting Corporation and Polunin Ltd. / 2016

「作る時間がたっぷりあって、自分が今後どうしたらいいのかを立ち止まって考えることができた。バレエの世界に対して腹を立てていたけれど、実際何が不満だったのかも考えた」

「ラストダンスのつもりで踊っていたのに、撮影が終わったら何かしたい気持ちになって、『ダンスが好きだから踊りたい」とイーゴリ・ゼレンスキーに伝えたんだ』

「どんな仕事もクリエイティブであればその人たちはアーティストだ」と語るポルーニン(C)波多野公美

「(写真家の)デヴィッドと話して、他の業界のアーティストには、エージェントやマネージャーがいることも知った。僕がロイヤルを辞める時、相談できる人はだれもいなかった。だから、いまのバレエ界の問題を解決するために、サポートがないまま苦労しているダンサーを支えるシステムを作ってインフラを整えたいという思いで"プロジェクト・ポルーニン"をスタートしたんだ」

映画でさまざまな苦悩や迷いを見せるポルーニンは、短期間でバレエ界全体の幸福を考えるほど大きく成長した。そしてその成長はまだ途中だ。

バレエの神に愛され、求められている若き天才は、これからどんな景色を私たちに見せてくれるのだろう。最後にポルーニンは言った。

「僕はいつも、心地よく感じたら、そこにいないで次へ進むべきだと思っている。あえて苦難を取るほうが、その先で成長できるから。勇気を持って、失敗や孤独を恐れずに。よく想像するイメージがあるんだ。飛行機が離陸してどんどん上がっていく。ある程度の高さに来ると安定しなくなって、つい安定するところまで下りたくなる。でも安定しないその高さを、必死で踏ん張って維持する――そうすると、前に進むのが怖くなくなるんだ」

(C)波多野公美

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映画の公式サイトで、熊川哲也はこんなコメント寄せている。

――バレエダンサーは、その華やかなイメージに反し孤高の世界だ。

この映画では、バレエを使命とし生を受けた者は、その人並み外れた才能が、幸福だけでなく、人生の呪縛になり得る事実を見事に描いている。

再生の一歩を歩み始めたセルゲイには自らの才能を掌握する術をこれから見つけてほしい。舞踊という崇高な挑戦の少しばかり先を歩む者として、いくばくかのシンパシーと大きな激励をもって彼の今後の活躍を見守りたい――

(取材・文 波多野公美)

映画『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣

監督:スティーヴン・カンター

『Take me to church』演出・撮影:デヴィッド・ラシャペル

出演:セルゲイ・ポルーニン、イーゴリ・ゼレンスキー、モニカ・メイソン他

配給:アップリンク・パルコ

2017年7月15日(土)より、Bunkamuraル・シネマ、新宿武蔵野館ほか全国順次公開

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