孤児院やサーカスの子に「現金ゲーム」報じられ炎上 虐待批判にアンジェリーナ・ジョリー監督が誤報だと反論

記事では、映画の原作となった回想録の著者、ルオン・ウン役を探す過程で、ジョリーの配役担当ディレクターたちが「孤児院やサーカス、スラム街の学校」から集められた子供たちと行った「ゲーム」について報じている。
U.S. Actor and UNHCR Special Envoy Angelina Jolie attends a conference at the United Nations in Geneva, Switzerland, March 15, 2017. REUTERS/Denis Balibouse
U.S. Actor and UNHCR Special Envoy Angelina Jolie attends a conference at the United Nations in Geneva, Switzerland, March 15, 2017. REUTERS/Denis Balibouse
Denis Balibouse / Reuters

アンジェリーナ・ジョリーは、カンボジアを舞台とした彼女の新作映画『First They Killed My Father(原題)』の制作過程で行われたオーディションのやり方について、多くの人々が搾取的と感じて批判したことに動揺している。

オーディションの手法をめぐる論争は、ジョリーへのインタビューを含む特集記事がヴァニティ・フェア誌に掲載されたことから持ち上がった。

記事では、映画の原作となった回想録の著者、ルオン・ウン役を探す過程で、ジョリーの配役担当ディレクターたちが「孤児院やサーカス、スラム街の学校」から集められた子供たちと行った「ゲーム」について報じている。

ヴァニティ・フェア誌の記者、エフゲニア・ペレッツによると、配役担当ディレクターたちは、子供たちの前に現金を置いて「何のためにお金が必要か?」と尋ね、最後に現金を引っ込めて反応を引き出そうとしたという。

同誌の報じた、このオーディションの手法は子供に対する精神的な虐待にあたり、残酷だという批判が持ち上がった。

映画の配役のためにアンジェリーナ・ジョリーが貧しい子供たち、孤児たちにしかけたこの心理的ゲームには本当におぞましい。

アンジェリーナ・ジョリーは、7月29日に発表した声明で、報じられたこのオーディションの様子は「文脈から切り離されている」と述べた。

声明によると、オーディションを含む映画制作のすべての段階には、子供たちの両親、保護者、民間非営利団体のパートナー、医師が立ち会っていたという。アンジェリーナ・ジョリーは、この映画のシーンの再現に参加したことで、精神的な苦痛を感じた子供はいなかったと強調した。

「オーディションから現在に至る制作の過程すべてで、映画に出演する子供たちの安全、安心感、居心地ための手立てを尽くしている」と、アンジェリーナ・ジョリーはハフポストUS版への声明で述べている。

この映画の監督であるジョリーは、国連難民高等弁務官事務所特使も務めている。彼女によると、報じられたオーディションでの「現金ゲーム」は、映画の一場面に基づく即興の演技練習だったという。また、オーディション中に子供たちから本物のお金が実際に取り上げられたことはなかったとも彼女は言った。

「映画の実際のワンシーンを基にした即興の演技練習が、事実のように報じられたことに動揺している」と、ジョリーは述べた。「オーディション中に『本物のお金が子供たちから取り上げられた』という報道は誤りで腹立たしい。そんなことがあれば、私自身がまず激怒していたはずだ」

この映画の配役プロセスに通じた関係筋がハフポストに語ったところによると、オーディションに参加した子供たちは、了解の上で映画のシーンを即興的に演じており、また、本物のお金は使われなかったという。配役担当ディレクターたちは、子供たちが苦痛を感じないように、「『これはお芝居ゲームだ』と繰り返し説明した」とも関係筋は述べた。

「現金ゲーム」は、盗みによってクメール・ルージュ(ポルポト派)に捕らえられたルオン・ウンの実体験に基づいている。カンボジア系アメリカ人のウンは、彼女の両親と2人の兄弟、そして、200万人のカンボジア人たちの命を奪った1970年代後半のクメール・ルージュによる虐殺を生き延びた。

最終的にジョリーの映画で役を得たのは、演技経験を積んだ俳優、孤児たち、そして恵まれない子供たちと多様だった。映画の主役を演じた子役のスレイ・モック・サリウムはスラム地区に住み、カンボジアの民間非営利団体の運営する学校に通っている。

「スレイ・モックはとても長い間お金を見つめていた唯一の子だった」と、ジョリーはヴァニティ・フェア誌に語った。「お金をもう戻すように促された時、スレイの感情があふれ出てきた。色々な記憶や感情がこみ上げてきたのだろう」

この映画のカンボジア側の製作プロデューサーのリシー・パンは、オーディションに先立って、制作スタッフは子供たちにカメラ機材を見せ、誰も見ていない隙に何かを盗み、それから捕まるフリをするよう説明していたと語った。

カンボジアでの大虐殺の生存者のパンは、報じられた「現金ゲーム」についての批判は誤解だとしている。

「オーディションの間だけでなくこの映画の制作全体を通して、子供たちには細心の注意が払われた」と、彼はハフポストへの声明で述べた。

「虐殺の記憶は生々しく、多くのカンボジア人は未だに自らの経験を語ることに困難を覚えている。医師とセラピストのチームが、毎日我々制作チームと行動を共にし、役者でもスタッフでも何か話したくなれば対応できるようにしていた」と、彼は付け加えた。

この映画は、ルオン・ウンの2000年の映画と同タイトルの回想録に基づいたもので、2017年下半期にネットフリックスで公開予定だ。

ジョリーはヴァニティ・フェア誌に、この映画に関わった誰もが「本物の痛みを感じた」と述べた。また、クメール・ルージュの統治が原因の悪夢やフラッシュバックに苦しむ映画関係者のサポートのために、撮影現場に毎日セラピストを帯同していたことも明かした。

ヴァニティ・フェア誌は、ハフポストによるコメント依頼に対して、この記事の公開時点では応じていない。

ジョリーとパンの声明全文は以下の通り。

アンジェリーナ・ジョリー 監督

オーディションから制作全体を通じて現在に至るまで、映画に出演する子供たちの安全、安心感、居心地ための手立てを尽くしている。ご両親たち、保護者たち、子供たちの世話をしているパートナーNGO、医師たちは常に近くに待機していて、必要なケアが誰でもすぐに必ず得られるようにしていた。そして、最重要なことは、彼らの祖国の歴史の苦痛に満ちた時期の再現に参加することで、誰もどのようにも傷つくことがあってはならないということだった。

映画の実際の1シーンを基にした即興の演技練習が事実のように報じられたことに動揺している。オーディション中に本物のお金が子供たちから取り上げられたという報道は誤りで腹立たしい。そんなことがあれば、私自身がまず激怒していたはずだ。

この映画の狙いは、戦争で子供たちが直面しなければならなかった恐怖に人々の目を向けさせ、子供たちを守るための闘いの一助となることにある。

リシー・パン プロデューサー

アンジェリーナ・ジョリーの『First They Killed My Father(原題)』の配役プロセスについての最近の報道についてコメントしたい。映画に出演する子役たちがどのように選抜されたかについてひどく誤った印象を与えるものだったが、誤解を明らかにしたいと思う。

この映画の制作にはとても多くの子供たちが関わることになったので、アンジェリーナと私は彼らが安心して過ごせるように細心の注意を払った。私たちの目標は戦争の現実に注意を向け、この映画のためにその再現を助けてくれる人たちすべてを支えることだった。

配役は可能な限り慎重に行った。子供たちはそれぞれ異なる家庭事情を持っていた。社会的に恵まれない子供たちもいれば、そうでもない子供たちもいた。何人かは孤児だった。子供たちは全員親戚や世話をしてくれるNGO職員に常に付き添われていた。製作チームは、それぞれの家族の方針とNGOのガイドラインを尊重した。オーディションは時折NGOの施設内で行った。

スクリーンテストに先立って、配役担当クルーは子供たちにカメラと録音機材を見せた。子供たちには役を演じてもらう旨の説明をした。具体的には、少額の現金か少しの食べ物を誰も見ていない隙に盗みそして捕まるフリをすることだった。これは、ルオン・ウンが体験した実話に基づいていて、映画内では彼女と彼女の兄弟たちがクメール・ルージュに捕まり盗みを責められるシーンになるのだった。

このオーディションの目的は、子供たちと即興を行い、子供がしてはいけないことをして捕まってしまった時にどのように感じるのかを掘り下げることだった。

自分の演じる人物が「盗み」を見つけられてしまい、それをどのように正当化するのかを子供たちが即興で演じる様を我々は見たかった。雑誌の記事で報じられたのとは異なり、子供たちは騙されたのでもなければ罠にはめられたわけでもなかった。子供たちはそれが芝居だと明確に理解し、演じた。

主人公のルオン・ウン役に選ばれたスレイ・モックが際立っていたのは、彼女がお金を自分のためではなく彼女の祖父のために欲していた点だった。

オーディションの間だけでなくこの映画の製作全体を通して、子供たちには細心の注意が払われた。子供たちは、撮影現場では、両親や他の親戚、あるいは教師たちに付き添われ、勉強と遊びの時間が設けられていた。子供たちの様子は専門のチームによって日々帰宅後も見守られ、連絡は現在も絶やされず続いている。

虐殺の記憶は生々しく、多くのカンボジア人は未だに自らの経験を語ることに困難を覚えている。子供たちは演技にすべてを注ぎ込み、私たち製作スタッフ全員と、おそらくは全てのカンボジア人を、誇らしい気持ちにした。

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