教科書が変わる大発見? 「縄文人」の食生活に、常識破りの新仮説

「狩猟・採集民」ではなく「狩猟・栽培民」だったかもしれない。
第5回「古代歴史文化賞」大賞を受賞した小畑弘己・熊本大教授(右)と溝口善兵衛・島根県知事。
第5回「古代歴史文化賞」大賞を受賞した小畑弘己・熊本大教授(右)と溝口善兵衛・島根県知事。
Kei Yoshikawa/HuffPost Japan

古(いにしえ)の時代、日本列島に暮らしていた縄文人。学校では「縄文人は狩猟・採集民」と教えられたが、もしかしたら彼らは「農耕」を営んでいたのかもしれない――。

11月1日、日本の古代史に関する優れた書籍を表彰する「古代歴史文化賞」の選定委員会が開かれ、第5回大賞に小畑弘己・熊本大教授の『タネをまく縄文人: 最新科学が覆す農耕の起源』(吉川弘文館)が選ばれた。

『タネをまく縄文人: 最新科学が覆す農耕の起源』(吉川弘文館)
『タネをまく縄文人: 最新科学が覆す農耕の起源』(吉川弘文館)
Kei Yoshikawa/HuffPost Japan

受賞作の内容は、これまで縄文人に対して抱いてきた「狩猟・採集民」のイメージに新風を吹かせるものだった。

小畑氏は、縄文土器に残る植物の種や昆虫の圧痕を調べることで、日本列島でいつ頃から農耕が始まったのか検証を試みた。これには土器が作られた際に粘土の中に紛れ込んだコクゾウムシや大豆(ダイズ)の痕跡が手がかりになった。

その結果、小畑氏は「縄文時代前期には小豆(アズキ)や大豆(ダイズ)の栽培が始まり、晩期には粟(アワ)・黍(キビ)・稲(イネ)がすでに伝来していた可能性が高い」と説明。

縄文人は「狩猟・採集民」ではなく、「狩猟・栽培民」だったという仮説を提唱し、縄文人を「豊かな狩猟・採集民」だとする日本の研究者の定説とは異なる説を唱えた。

審査委員長の金田章裕・京大名誉教授は「新しい視点や方法・技術に基づいて資料を観察することで、歴史研究に新地平が開かれる可能性を示した」と、選定理由を述べた。

小畑氏は受賞を受けて、「私が扱わせていただいている資料は、日々、暑い日も寒い日も遺跡を掘っている人たちの賜物。そういった中から新しい考古学の発見ができたことが嬉しい」「全国の博物館などには手付かずで眠る土器がある。『第二の発掘』として、こうした資料の研究が進めば...」と、喜びを語った。

この他、優秀作品賞には以下の4作品が選ばれた。

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・高田貫太『海の向こうからみた倭国』(講談社)

概要:

日本列島と朝鮮半島の関係について、半島側からの視点で再検討する。古墳時代の6世紀まで朝鮮半島と日本列島の間には、国家対国家の一元的な外交関係や交易関係はなく、朝鮮半島側と日本列島側それぞれ個別の地域ごとに対外交渉をする「錯綜した関係」が基本であったと説明。古墳時代の日韓の対外交易が多元的であったことを示唆する。

・海野聡『古建築を復元する 過去と現在の架け橋』(吉川弘文館)

概要:

登呂遺跡や平城宮大極殿などの古建築について、構造や形式などを豊富な写真・図版などを用いてわかりやすく説明。現代に蘇った古建築が、どのような学問的手続きを踏んで復元されたかを述べた。また、遺跡から古建築を復元する際の試行錯誤や移設の存在など、復元の難しさや面白さとともに「復元学」を提唱する。

概要:

古代社会にあった神話を前提とし、それを踏まえて王権や国家の成り立ちを説明する神話が形成された過程について『古事記』『日本書紀』の神話分析を通して明らかにした。また『出雲国風土記』の神話は、記紀の神話と聖堂の図られた古代国家のもとでの新しい出雲神話であると評価した。

・吉田一彦『「日本書紀」の呪縛』(集英社)

概要:

『日本書紀』が編纂された時代背景や編纂体制を丁寧に分析・紹介。その本質が、7世紀後半の古代国家形勢の中心となった天皇や貴族層の正当性を文章化にしたもので、歴史認識の規範となったことを示す。その影響は、現代の歴史研究にもうかがえると指摘する。

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「古代歴史文化賞」は古代史にゆかりの深い島根、奈良、三重、和歌山、宮崎の5県が共同で実施している。

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