北九州連続監禁殺人事件犯の息子にインタビュー 「ザ・ノンフィクション」プロデューサーが明かす葛藤と覚悟

「ザ・ノンフィクション」に出演した殺人犯の息子。"音声加工なし"でのインタビューに応じる覚悟を決めた。
(C)フジテレビ

フジ『ザ・ノンフィクション』渾身作「人殺しの息子と呼ばれて...」 チーフPが明かす放送までの葛藤と反響

 平穏な日曜の昼間に不釣り合いな、息をのむような映像だった。10月15日と22日の2週にわたって放送された、フジテレビ系ドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜 後2:00※関東ローカル)の「人殺しの息子と呼ばれて...」。2002年に発覚した北九州連続監禁殺人事件の犯人の息子(24歳)が、初めてメディアのインタビューに応じ事件についてありのままを語った衝撃的な内容で、約7年半ぶりの2ケタとなる番組平均視聴率10.0%を獲得した(22日放送分 視聴率はビデオリサーチ調べ、関東地区)。インタビューが実現するまでの経緯と放送後の反響を、同番組の張江泰之チーフプロデューサーに聞いた。

■息子の覚悟に芽生えた決意 インタビュー時に感じた"変化"とは?

 関係ができたきっかけは、同局で6月に放送された特番『追跡!平成オンナの大事件』で監禁殺人事件を扱ったことだった。同番組の放送後、息子から抗議の電話が局に寄せられ、張江氏が責任者として応対した。「視聴者の方の声に、担当者が責任を持って対応するのは局内で共有されているので、よくあることなのですが...(息子は)とても冷静に話をする青年で『今回の特番によって、自分は傷ついている』ということは伝わってくるのですが、こちらに何を求めているのか全くわからなかった」。とことん向き合うと決め、自身の携帯電話の番号を教えて、連日2時間の長電話を行った。

 「最初は、インタビューを撮ろうとか全く考えてなかった。『こちらから謝罪に行く』という言葉が喉から出かかったのですが、息子は正体を隠してこれまで生きているので『結局、俺の顔が見たいんだろ。あなたは、やっぱりマスコミの人だ』と返してくるかもしれない。その辺の言葉遣いは慎重にしながら、とにかく話をするしかなくて最終的に『じゃあ、会いましょうか』ということになりました」。

 1週間におよぶ話し合いの末、息子は"音声加工なし"でのインタビューに応じる覚悟を決めた。この覚悟に、張江氏も胸を打たれた。「息子本人への誹謗中傷がネット上で高まるのではという心配があって、本当にインタビューをしてもいいのか葛藤しました。そのことを息子に話をしたら『そこは、十分わかっているんで』と返してきて、その一言が後押ししてくれた。声で身元がわかってしまう可能性もあるのに、彼は私以上に腹をくくっているじゃないかと。だから、私も『よし、やるぞ』と宣言しました。普段は『お願いします』という感じで取材を進めるのですが、あの時は不思議と『一緒にやるぞ!』という気持ちでしたね」。

 前編では、息子が目にした残忍な犯行の様子や両親が逮捕されるまで、後編は「人殺しの息子」として悩み、苦しみながら社会との関わりを模索していく様子を放送。インタビュアーを務めた張江氏は、当時の様子を振り返る。「正々堂々としていましたね。途中から口調がフランクになってくるのですが、あれは自らの口で初めて、監禁時代に体験したことや見たことを話すことによって、これまで背負ってきた重いものが軽くなっていくという感覚が本人の中にあったのだと思います」。

■放送後の反響「9割5分は息子への賞賛」 取材者としての覚悟「安っぽい約束、できないが...」

 後編でのくだけた話しぶりからは、親子関係にも似たつながりを感じ取ることができたが、張江氏はどう捉えているのだろう。「私が50歳で(息子の父である)松永太(死刑囚)が55歳なので、確かにそうかもしれないです。でも、息子はいつも『アンタ、変なおっさんや』みたいな感じで話していて、へらず口も叩きますし、近所のおじさんくらいの距離感なのかも。彼は『気持ち悪い』と言うかもしれませんが、可愛いところもあるんです。冷静な面もあれば、人間として未熟なところもあるし、いろんな顔を持っていて...どこか憎めないんです」。

 放送前には、犯行時の残虐な描写とインタビューに応じた息子への否定的な意見が寄せられるのではと心配していたが、それは杞憂だった。「ざっくりいうと、9割5分は息子への賞賛や『感銘を受けた』『頑張って』という声でした。放送当日、フジテレビの各番組に寄せられる感想の中でも一番多かったと思います。社内からも私宛てにメールがたくさん寄せられまして、『良い意味で刺激になった。ありがとう』と言ってもらえました。出版社からは『この番組を本にしたい』ということで、4社からお声をかけていただいて、話を聞かせてもらっている状況です」。

 同番組は関東ローカルのため、放送直後は主に関東圏のみでの反響にとどまっていたが、11月5日と12日には、息子の地元である福岡県北九州市のネット局・テレビ西日本での放送を迎えた。「彼は放送前に『いよいよですか。北九州で流せば、何かしらあると思います』と言っていましたが、腹をくくっているような感じでした。だけど、実際に音声が流れることで、もし彼の存在が特定されたら...という怖さは私にもあります」。

 「だからこそ」と張江氏は、言葉に力を込める。「今でも彼と連絡しています。時には『俺の人生、これからどうなるのかな』というLINEを送ってきたりするのですが、これをきっかけに私も背負っていかないといけないなと感じています。彼はずっとさみしい思いをしてきて、二言目には『大人なんて信用できない』と口にする。インタビューが実現する直前にも『これが終わったら、関係も終わりでしょ?』と話していました。安っぽい約束はできないですが『できる限り、君とは付き合っていこうと思っている』とは伝えています。こんな人間関係は、生まれて初めてです」。1本の電話によって、もたらされた今回の放送。「福岡の放送については、本人もさすがに不安な面ものぞかせていましたが、放送を終えてみると、応援メッセージがたくさんあったようで『勇気づけられた』と言っていました。」取材という枠を超えた張江氏と息子との関係はこれからも続く。

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