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2018年03月06日 18時07分 JST | 更新 2018年03月07日 16時02分 JST

音楽を愛し、愛された「ラス」。タワレコ元CEOが振り返る創業者の素顔

「破綻後、どう元気?って訪ねに行ったらこう聞かれた。『お前さ、新しいビジネスとか興味ない?』って」

ラッセル・ソロモンさん
Sacramento Bee via Getty Images
ラッセル・ソロモンさん

アメリカのタワーレコード創業者、ラッセル・ソロモンさんが3月4日に92歳で亡くなった。

長年交流のあった日本のタワーレコード・元最高顧問で「タイムアウト東京」の伏谷博之社長(51)に、在りし日の姿を振り返ってもらった。

伏谷博之さん


訃報を聞いて、思い出したエピソードがあります。

2006年、アメリカのタワーレコードが破綻しました。全米で店の閉鎖が相次ぎ、店に置いてあるものはすべて投げ売りされるような状態でした。当時、ニューヨークのイーストビレッジにあった店も閉まるというので、最期の日を目に焼き付けておこうと、日本から見に行きました。

閑散としている店内の様子に、この状況だとラス(ソロモンさんの愛称)も相当、落ち込んでいるだろうなと思い、帰国途中にサクラメントの彼の自宅を訪ねました。どう?元気?って。

そうしたらこう聞かれたんですよ。「お前さ、新しいビジネスとか興味ない?」って。

サクラメントにタワーレコードの1号店ができた場所があるんですが、そこで新しいCDショップを開きたいーーと、彼は話すんです。タワレコのあの黄色地に赤のロゴを作ったデザイナーがいるんだけど、またアイツにロゴを作ってもらってさ、なんて。

当時、ラスはもう80歳を超えていました。年齢を考えてもなかなか資金の手配は大変だろうし、そもそもこれまで築きあげてきたものが消えてしまった直後だというのに、すごく前向きでした。後にラスの新しいCDショップは1号店の場所にオープンするんですが。

その後、僕も2007年にタワレコを辞めて、新しいことにチャレンジする道に行ったんですが、しんどいことがあった時、あの時のラスの様子を思い出して「ラスだって80で新しい店をやるって言っていたしなぁ」と勇気づけられることもあります。

20代の前半から今まで生きてきて、振り返れば、ラスから様々な影響を受けてきたと思います。

大学を留年中、たまたまタワレコの新しい店が大阪にできて、そこでアルバイトを始めたのがタワレコと僕の縁です。アメリカ西海岸からやってきた音楽好きのための音楽好きによるお店は、「この人から音楽とったら社会不適合者だよな」なんて感じの人ばかりが、自分も含めて集まっていて、音楽好きの目線で店を作っていました。そのカルチャーを大きく包み込むようにラスがいた。

2006年、タワーレコードが音楽配信サービス「ナップスタージャパン」を始めるとき、「音楽は人生を変える」というキャッチフレーズを掲げました。まさに僕自身が、音楽で人生を変えられた、そんな生き方ですし、タワレコとの出会いがそれを可能にしてくれた。ラスに会ったらわかるんですよ。「あ、タワレコはラスなんだなって」。だから、ラスのスピリット、DNAが、タワレコを通じて入り込んでるんです、僕らの中に。スピリットとかDNAとしてつらなっている。

ラスには、ネクタイをつけて打ち合わせに来た人間がいると、そのネクタイを抜き取って壁に飾っておくという有名なエピソードがあります。アカデミー賞で誰かが着ている衣装になんだかんだ言いながらウイスキーを飲んで、最期を迎えるなんてラスっぽいな、と思います。

ラスが亡くなったことはとても残念だけど、彼のDNAはそれこそ世界に伝わっているし、僕も彼から受け取ったDNA、スピリットを僕なりに消化して、世知辛い世の中に、音楽や文化の大切さを広めていきたいなと思っています。


伏谷博之(ふしたに・ひろゆき) 1966年島根県生まれ。大学在学中にタワーレコード株式会社に入社。新宿ルミネ店店長、マーケティング本部長などを経て、2005年代表取締役社長に就任。同年ナップスタージャパンを設立。タワーレコード最高顧問を経て、2007年独立。現在はロンドンを本拠地とする地域密着型のシティガイド「タイムアウト東京」代表取締役。