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2018年04月16日 08時18分 JST | 更新 2018年04月16日 08時18分 JST

土砂崩れで大学生を失った両親と小学生たちを、黄色い花がつないだ...熊本地震から2年

土砂崩れの現場に献花されたキバナコスモスに両親は気づいた。「子どもたちに押されて一歩進めました」

Asahi
晃さんをしのぶ花壇を訪れた大和さん夫妻と白坪小の子どもたち(2016年8月、島田宏さん提供)

熊本地震で犠牲になった晃さんへ...黄色い花束が結んだ縁

 熊本地震で犠牲になった大学生大和(やまと)晃(ひかる)さん(当時22)の両親は15日、熊本県阿蘇市の自宅で営まれた三回忌法要で、親族と思い出を分かち合った。崩落した阿蘇大橋付近で車ごと土砂崩れに巻き込まれた、あの日から2年。晃さんの愛車と同じ黄色の花をきっかけに出会った小学生との交流を通して、晃さんが生きた証しを感じている。

 遺体が見つかるまで約4カ月間通い続けた現場近くの献花場所。父の大和卓也さん(59)が、黄色の花束を見つけたのは昨年8月1日だった。

 花束に「白坪小」と書いてあるのを見て、ピンときた。3カ月ほど前、晃さんの好きな花のことを尋ねる電話があり、母の忍さん(50)が「とくに好きな花はなかったようですが、育てるなら黄色い花でしょうね」と答えた。県の捜索が中断された後、独自に晃さんを捜し続けていた間、手がかりにしていた色だ。

 電話の主は、当時、熊本市立白坪小の4年3組の担任だった島田宏さん(63)。クラスで花を育てたいと言っていた。

 その夜、卓也さんは島田さんに連絡した。黄色い花は、学校の花壇で子どもたちが育てたキバナコスモス。島田さんが花束にして供えたものだった。

 島田さんは、前震で被災した友人に水を届け、農作業を手伝う約束を守るために帰宅を急いで犠牲になった晃さんの優しさや、息子を必死で捜す両親の姿がずっと心に残っていた。災害や遺族のことを考えられる大人になってほしい――。6月に社会科見学で阿蘇大橋の崩落現場などの写真を見た後、島田さんが種から育てた苗を児童に渡した。

 卓也さんと忍さんは8月、黄色い花が咲いた白坪小の花壇を初めて訪ねた。夏休み中だったが、児童11人が集まった。花壇には「大和晃さんを偲(しの)んで」と書いた看板。初対面でお互い緊張し、あまり話はできなかったが、子どもたちが島田さんのギターの伴奏で「あの青い空のように」を歌い、2人を励ました。

 晃さんの遺体が見つかってちょうど1年。「無駄に時間は過ぎていなかったんだ」と忍さんには思えた。

 2人は12月に学校を再訪。キバナコスモスのお礼に晃さんと種もみまきをした田んぼからとれたコメを贈り、児童27人を前に晃さんとの思い出を語った。友だち思いの優しい息子だった。卓也さんは「家族と色んな話をしてください。伝えたいことがあれば、言いにくいと思っても自分から話してください」と伝えた。

 声を詰まらせながら語る言葉を真剣に聞き、涙を浮かべる子もいた。

 同じ月、2人のもとに児童全員から手紙が届いた。

 友達がいてあたりまえ、家族がいてあたりまえ、そんなふつうの生活がいかに幸せか。知ることができました

 夫婦の似顔絵や黄色い車の絵が添えられていた。

 年の瀬、2人はずっと手をつけることができなかった晃さんの部屋を、地震後初めて掃除した。忍さんは、晃さんのものを見るたび、胸が締め付けられた。

 「頑張ってください、と励ましてくれる子どもたちに、『頑張れたよ』と言えるものを一つでも作りたかった。子どもたちに押されて一歩進めました」

 児童たちが5年生になる前の今年3月、2人は全員に返事を書いた。4月初めに、お返しが届いた。

 ぼくは晃さんのことをわすれません。だから晃さんのおかあさんとおとうさんも元気にすごしてください

 これからも命を大切にします

 1人一言ずつシールに手書きしたメッセージが、4年生最後のクラス集合写真とともに、黄色い色画用紙に貼られていた。(後藤たづ子)

(朝日新聞デジタル 2018年04月15日 23時06分)

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