高畑勲監督には、どうしても最後にやりたかった作品があった。鈴木敏夫プロデューサーが明かす

「監督とプロデューサーは敵対しないと作品は出来ない。一回もほめてくれなかったな」
鈴木敏夫プロデューサー(2018年5月15日)
鈴木敏夫プロデューサー(2018年5月15日)
Kei Yoshikawa/HuffPost Japan

4月5日に肺がんで亡くなったアニメーション監督の高畑勲さんを偲ぶ「お別れの会」が、5月15日に東京・三鷹市の三鷹の森ジブリ美術館で開かれた

高畑さんが亡くなった際、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーはこんな追悼コメントを発表していた。

やりたい事がいっぱいある人だったので、さぞかし無念だと思います。宮崎駿とも相談し、ジブリとして盛大なお別れの会をとり行い、見送ることにしました。

まさに「盛大」となったお別れの会を終えると、鈴木氏が報道陣の囲み取材に応じ、高畑さんが「やりたかったこと」を明かした。

「ジブリの大展覧会」(2016年)に展示されていた鈴木敏夫プロデューサーと高畑勲監督のツーショット
「ジブリの大展覧会」(2016年)に展示されていた鈴木敏夫プロデューサーと高畑勲監督のツーショット
Kei Yoshikawa/HuffPost Japan

鈴木氏と高畑さんの出会いは、いまから40年ほど前。高畑さんが脚本と監督を務めたアニメ「じゃりン子チエ」が放送された頃だった。

「僕が直接やった作品じゃないけど、毎日のようにいろんなことを2人で相談したんです。後で振り返ると、僕が今日プロデュサーをやっているのはその経験が大きい」

互いの関係性については、「タヌキとキツネの化かし合い」「監督とプロデューサーは敵対しないと作品は出来ない。一回もほめてくれなかったな」と、振り返る。

「いい思い出より、対立した思い出のほうが多いんです。僕と高畑さんは、最後まで監督とプロデューサーという立場で40年間やってきた」

「一緒にやった作品は全部覚えてます。毎回、色々な議論、闘いがありました。いい距離感というよりお互い土足で」

時おり顔をほころばせながら、鈴木氏は高畑さんとの思い出を語った。

Kei Yoshikawa/HuffPost Japan

『竹取物語』をテーマにした『かぐや姫の物語』を完成させた高畑さんには、どうしても最後にやりたかった作品があったという。

それは鎌倉時代に成立したとされ、平家の栄華と没落を描いた『平家物語』だった。

鈴木氏はこう語る。

「本当はもう1本、どうしても(平家物語を)やりたいということがあったので。それができなかったのが残念ですけどね」

高畑さん亡き後、"寂しさ"を感じることはあるのだろうか。鈴木氏はこう話した。

「そんなことないですね。(寂しく)ならないんですよ、まだ(心の中に)残っているんです」

「40年間も付き合ってきたけど、一度も緊張の糸を途切らせたことがない。ずっとこの関係を続けていると、高畑さんが体のどこかにすみ着くんです」

「無くしたいんですけど、出ていかないんです。この緊張は、ずっと続く。多分、ホッとはしないんでしょうね。そんな気がします」

高畑勲さん「お別れの会」(2018年5月15日)

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