最愛の人の死と、どう向き合えば良いのか。声優・桑島法子さんは言葉で伝える

故郷の言葉に魂を込める桑島さん。そこには、最愛の父との別れがあった。

「この先一人でどやって暮らす。こまったぁどうすんべぇ」

芥川賞作品『おらおらでひとりいぐも』。作家の若竹千佐子さんは、結婚、出産、最愛の夫との死別を経て、老いと向き合う74歳の主人公・桃子を情感豊かな東北弁を交えて描いた。

そんな作品を、人気声優の桑島法子さんが朗読した

「おらは今むしろ死に魅せられでいるのだす。死は恐れでなくて解放なんだなす」

物語の佳境。年老いた主人公は、ヒタヒタと近づく死を悟る。マイクを前にした桑島さんは、70代の主人公の心の声を岩手の南部方言で滔々と語る。その息遣いは、まるで老いゆく桃子が隣にいるかのようだ。

桑島さんは、宮沢賢治の朗読をライフワークにしている。賢治への思い入れは、今は亡き最愛の父の影響があるという。朗読しながら、自身と桃子を重ね合わせた瞬間もあったと語る。

最愛の人の死と、私たちはどう向き合えば良いだろうか。桑島さんと考えてみた。

ERIKO KAJI

――2015年にデビュー20年を迎えられました。アニメーションはもちろん、ライフワークとされている宮沢賢治の詩の朗読でも活躍されています。

宮沢賢治を朗読しているのは、亡くなった父の影響もあるんです。ちょっと変わった人で、結婚式の余興や人が集まる場所などで賢治の作品をよく朗読していました。「永訣の朝」と「原体剣舞連」が父の十八番でした。

完全に素人なんですけどね。素人とは思えない表現力で(笑)。それを聞いて育ってきた。子どものころから、宮沢賢治の要素が身体に入っていたのでしょう。

せっかく声優になれたので「いつか父のような朗読ができたらいいな。あんな表現ができる場所があったらいいな」って、漠然と思っていたんです。

そうして、宮沢賢治しか朗読しない「朗読夜」という公演を、無謀にも26歳からスタートしました。

――「無謀」というと。

当時、手打ち興行以外で、ひとりで朗読会をやっている声優さんは、ほとんどいらっしゃらなかったんです。そもそも「興行として成立するのか?」と、周りからもびっくりされまして。それでも自己流のやり方でなんとか模索しながらやってきました。

最初のころの出来はひどかったと思うんですけれど...。それでも、根気よく聴き続けてくださったファンの皆さんがいてくれて、続けていくうちに、なんとなくかたちになってきました。

その間に、最愛の父が亡くなりました。それで、父が私と同化してしまったんですね。そこからはもう、怖いもの無しみたいな感覚になれました。今回朗読した『おらおらでひとりいぐも』(私は私で、ひとり生きる)という心境です(笑)。

ERIKO KAJI

——『おらおらでひとりいぐも』。この言葉は宮沢賢治の「永訣の朝」に出てくる言葉ですね。

最初にタイトルを見たときは鳥肌が立ちました。「これは読まなくちゃ!」って。

主人公は、桃子さんという70代のおばあさん。はじめは私が朗読するには「まだ早い」と言われるのではなかろうかと。怖気づくような、恐れ多いなという思いもありました。

ただ、この作品は役者さんや声優さん、アナウンサーさんもそうだと思うんですけれど、すごく朗読したくなる本なんですよね。

——声に出したくなる本ですか。

そう。読んでみたい、朗読したい、表現したいって思わせるような。本当に朗読しがいがある、ひとりの女性の人生をたどるお話でした。

文体が特殊ですから、東北弁ができる人じゃないと難しいとは思います。でも、わずかでも東北に引っかかりがある役者さんなら、やってみたいって思う。そんな、魂をかき立てられる本でした。

実際にお仕事のオファーを頂いた時は、もう嬉しくて。断るという選択肢はない。他の人に読まれたくない。これは私が読まなくちゃって。使命感を感じる瞬間でした。

——実際に収録を拝見させていただきましたが、絵もない、音楽もない。あるのは、声のお芝居のみ。朗読ですから、演技のヒントは言葉しかない。特に、南部方言での朗読は難しかったのでは。

遠野地方や花巻地方の方言なので、私も使ったことがない言葉がいくつか出てきたりしました。わからない表現は若竹先生や、当地の出身者の方に聞いたりしながら、なんとか読み切ることができました。

——リアルの方言にこだわった。

今回は朗読を「聴く」コンテンツなので、あまり東北弁を強くしすぎて意味がわからなかったりすると困りますよね。きっと地元の人が読んだらもっと「ズーズー弁」になると思うのですが、それだと全国の皆さんが聞いたときに内容がわからなくなってしまうかもしれない。

そのあたりの折り合いをつけながら、基本は原作に忠実に、濁るところは濁らせて、濁らないところは濁らせないで。読んでいても、聴いていても、不自然じゃないように読ませていただきました。

基本は私が読みたいように、自由に表現させていただけたので感謝しています。あとは、若竹先生がお聴きになってどう思うか...。ドキドキします(笑)。

ERIKO KAJI

——朗読して印象に残ったところは。

桃子さんの夫(周造)が亡くなったところ。「死んだ、死んだ、死んだ」と、繰り返されるところでしょうか。ここは皆さん、朗読したいシーンだと思いますよ。お話の"肝"の部分ですから。

朗読の一番盛り上がるところというか。読んでいて、私も父が亡くなった時のことを思い出しました。

――桑島さんの実体験と主人公の桃子さんが重なったような。

私、すごいファザコンだったんですよ。だから父が死んだとき、母と同じくらいすごいショックで...。しかも「お父さんは自分を一番だと思ってくれてる」って、勝手に思っていましたから(笑)。

だから、父が亡くなったときに友達から「お父さまはきっと今、お母さまのところにいるような気がするわ」って、ふと言われたときに「え!?私のところじゃないの?」って一瞬思ったり(笑)。

「そうか、お父さんはお母さんが一番なのか...」と衝撃を受けるほどでした。そのくらい精神部分で宮沢賢治、父、私が一体化していたんです。魂の部分で繋がっているから、「死んだらお父さんは、私の中に入っちゃったんだ」と思ったほどです。

父が亡くなったときの感覚と、桃子さんがふとした時、周造さんが亡くなった当時の精神世界にガッと入り込める感覚が、とてもよく理解できる。実体験もあって、すごく共感できました。

でも桃子さんがすごいのは、夫の死を大したことじゃないって言うところなんですよね。

家族が死ぬとか、肉親が死ぬとかは、みんなが当たり前に経験することだから、全然どうってこともないと。

ものすごいショックを受けているわりには、平気だよ、平気だよって言っている自分もいる。普通は悲劇のヒロインになりますよね。辛い目にあって、なんで自分ばかりこんな目にあうんだろうって。そうなりがちなところを、死をすごく突き放して考えている。

——愛する人の死に対して、自分なりに気持ちに整理をつけた。

私は桃子さんのように、自分を客観視して、整理して生きていくなんて、なかなかできないなって思います(笑)。だから「ひとりは気がラクでいいや」ともなかなか思えない。

私も父が亡くなった直後はものすごいショックで、心のダメージも大きかった。それでも3年くらい経ってくると、段々と平気になってきますよね。

でも人って、そうなんだよなって。みんなそうやって愛する人との別れを経験して、時間とともに乗り越えていく。だんだんと過去のことになっていって、いないことが普通になっていく。

今だから、こうやって『おらおらでひとりいぐも』について考えられるけど、父が死んだ直後にこの本を読んだら、ここまで客観的には受け止められなかったと思います。

色々なことを経験してきた桃子さんだから、最愛の人の死をふりかえることができるんでしょうし、自分もそうなっていくんだなっていうことに気付かされたりしました。その辺りは、人としての経験値なのだろうと思います。

——作品の中では、桃子さんが夫の死を「喜んでいる」というシーンもありました。

私は桃子さんのように専業主婦ではないので、そこは共感というか、桃子さんとは違っているところです。

でも、現代の女性は、そう思ってもいいんだって。旦那さんが亡くなったって、ひとりで生きていけばいい。自由を謳歌していいんだっていうのは、今の現代女性に対するエールだと思うんですよね。

旦那さんの死を悲しめない自分を責める必要はない。それはそれでいいんだと肯定してくれるお話でもあるので、そこはすごいなと。

私の母が桃子さんと同じ世代なので。全部読み終えたとき、母をもっともっと大切にしなくてはと、しみじみ思いました(笑)。

——この先、どんな役者さんになっていきたいですか。

不器用なりに生きてきましたけれど、アニメーションのお仕事は本当に一期一会の出会い。入れ替わりが激しいものなので...成り行き任せですかね(笑)。

今回の『おらおらでひとりいぐも』の朗読は、とても奇跡的な出会いでお仕事をさせていただきました。宮沢賢治を朗読し続けてきた中で、このお仕事に出会えたと思っています。

これからも、宮沢賢治をライフワークとして、ずっと表現し続けていけたらいいなと思っています。

できれば、『おらおらでひとりいぐも』を生で朗読する機会があったら...。先生の許可をいただきつつ、何かの形で直接みなさんにお届けする機会があれば...なんて夢も、ちょっと持っています。あとは、地元の人たちに喜んでいただけたら。それが一番ですね。

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『おらおらでひとりいぐも』には、東北弁で「まぶる」という言葉が登場する。「見守る」という意味だ。

人はいつか必ず死ぬ。誰もがいつか、身近な人の死を経験するだろう。そして時が経つにつれて、いないことが当たり前になる。そうやって、人は歴史になっていく。

それでも残された人は、ふとした瞬間、あの人がどこかで「まぶってでくれる(見守ってくれる)」と思い出す。そうやって人は、最愛の人の死を乗り越えていくのかもしれない。

*インタビュー前編はこちら↓↓

桑島法子(くわしま・ほうこ)声優。岩手県出身。「機動戦艦ナデシコ」のミスマル・ユリカ役、「宇宙戦艦ヤマト2199」の森雪役、「機動戦士ガンダムSEED」のフレイ・アルスター役、ナタル・バジルール役など、数多くの人気アニメに出演。2010年より岩手県の希望郷いわて文化大使に就任。

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