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2018年08月06日 10時33分 JST | 更新 2018年08月06日 10時34分 JST

原爆投下前、そこは街だった。広島平和記念公園の地中から出てきたすずりが語る「記憶」とは?

広島市は公園の試掘調査に乗り出す

朝日新聞社
平和記念資料館本館の耐震工事中に見つかった今中圭介さんのすずり=2018年8月1日午前、広島市東区の広島市文化財団文化財課、上田幸一撮影

あの日まで、あそこは繁華街だった 地下に眠るヒロシマ

 6日に原爆の日の式典が開かれる広島市中区の広島平和記念公園は、木々が茂り青々とした芝生が広がる。しかし、そこはかつて、広島屈指の繁華街だった。足元に眠る街の一部を保存・展示しようと、広島市は今年度中に試掘調査に乗り出す。奪われた命や暮らしに思いをはせるきっかけに、と願う。

 「すずりが見つからんかったら、皆さんの前でお話するようなこともなかった」。広島市安佐南区の今中圭介さん(82)は7月末、少年時代の思い出を市民対象の勉強会で語った。

 昨秋、裏面に「初三 今中圭介」と彫られたすずり(縦約13センチ、横約8センチ)が、平和記念公園の地中から見つかった。国民学校初等科3年生の頃、愛用していたもの。公園内の平和記念資料館本館の耐震工事中のことだった。

 自宅は、本館がある付近の旧材木町にあった。一帯には原爆投下前、住宅のほか、銭湯や歯科医院、化粧品店などが立ち並んでいた。調査を担当する市文化財団によると、材木町は広島城築城と同時に整備された最も古い町の一つで、太田川の水運の荷揚げ地で物資の集積場として栄えた。

 父は貿易商を営み、洋風建築の自宅はひときわ目立っていた。今中さんは、中島国民学校(現・広島市立中島小)4年になる1945年4月に、一家で疎開。あの日、爆心地に近い材木町周辺は壊滅した。仕事に出かけた姉博子さん(当時17)は行方不明に。母は83歳で亡くなるまで、姉のため必ず家の鍵を一つ開けて寝ていた。

 「原爆で失われた街のことを知っている自分が話さないと」。73年たち、ようやく公の前で体験を語り始めた。

(朝日新聞デジタル 2018年08月05日 23時39分)

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