船戸結愛ちゃんの虐待死をなぜ止められなかったのか。児相間連携の落とし穴とは

「ルールのはざまに落ちた」結愛ちゃんの事件。虐待死は年間で77人いる。
2018年3月に亡くなった船戸結愛ちゃんが住んでいたアパート=東京都目黒区
2018年3月に亡くなった船戸結愛ちゃんが住んでいたアパート=東京都目黒区
HUFFPOST JAPAN/錦光山 雅子

もうおねがいゆるして ゆるしてください おねがいします

東京都目黒区で2018年3月、大学ノートにそう書き残した船戸結愛ちゃん(5歳)が亡くなってから、9月2日で半年が経つ。両親は結愛ちゃんを衰弱させて放置し死亡させたとして、保護責任者遺棄致死罪で起訴されている。

家族が香川から東京に転居する直前、香川の児童相談所は、それまで家族に介入する根拠にしていた行政処分(児童福祉司指導措置)を解除した。

これが、東京の児相との引き継ぎで行き違いが起きた原因になったと指摘されている。

ハフポスト日本版の取材に対し、転居前の「解除」を、香川県は独自のルールとして運用していた、と説明する。事件直後、厚生労働省が実施した、児相がある県や市の調査によると、同様のルールがあると答えた自治体は、1カ所だけだった。

転居と解除で関係が切れた

転居によって、児相との関係が途切れ、虐待が悪化したり、子どもが死亡したりしてしまう事案は、これまで全国で何度もあった。今回も同じようなルートをたどっていた。

「親子関係の改善の兆しが見えていた」と、香川の児相が感じ始めていた2017年10月ごろ。

「父親の知り合いが多い東京に、引っ越します」

母親の優里被告がそう話すようになった。だが、児童の担当者がいくら聞いても転居先を決して教えない。保育園にも通わせないという。

一連の言動に、児相側は親子が再び社会から孤立し、虐待につながる危険性を感じていた。

にもかかわらず、2018年1月4日、児相は家族の転居直前に、それまで半年間ほど続けていた児童福祉司による指導を解除した。児相に何も告げないまま、父親の雄大被告が先に転居していた目黒区のアパートに、母親の優里被告は結愛ちゃんと弟を連れて行った。

1年半続いた児相と家族の関係は、解除と転居でほぼ切れてしまった。

「ローカルルール」

危険性を感じながら、なぜ解除したのか。

県外への引っ越しのタイミングで指導措置を解除するのは、香川県が独自に設けた「ルール」だった。

結愛ちゃんの家族を担当していた「西部子ども相談センター」の久利文代所長は、引っ越しに伴う「解除」について、こう説明する。

「引っ越しすると、転居先の都道府県が、その家族の案件を担当することになるので、転居前の自治体としてはできるだけ、転居前に指導措置を解除する代わりに、強制力のない『継続指導』に切り替え、家庭訪問など、児相とのつながりを保ちながら転居先の自治体に案件を移すことにしている」

「転居後は、その家族が、香川にいたときと同様、『指導措置』をつけて対応するのか、それよりも軽い/重い措置に変えるのかは、転居先の自治体が判断することになる」

久利所長によると、近隣の自治体でも、家族転居前に解除するケースがあったといい、「指導措置の時に決めた約束も、違う環境では継続が難しくなる。そのために解除をしていた。解除だからといって決して終結というわけではない」と話す。

実際、家族が目黒区に引っ越したことを突き止め、初めて管轄の品川児相に初めて連絡を入れた1月29日、家族に関する書類を同児相に送った際、引き続き児相が介入していく必要があることを意味する「ケース移管」の項目にチェックを入れていたという。

ルール間の「はざま」

ところが、転居先の東京都の児相は当初「介入の必要性がある」とは受け止めていなかった。転居前の解除について、品川児相の林直樹所長は戸惑いを隠さない。

「転居前に虐待のリスクがあったとすれば、解除などしない。私の知る限り、都内、そして関東地方の児相で、転居前に解除するというルールは聞いたことがない」

指導措置を解除しない状態で他県に転居しても、転居した段階で、自動的に担当は転居先の自治体に移り、転出元の自治体の権限はなくなるーーと一般的には理解されている。

このため、大半の自治体では、引っ越しの際も、必要なら指導措置を解除しないまま引き継いでいる。

だが、香川県の児相の「指導措置」の解除で、転居先の品川児相は、この家族に関する虐待問題が解決していると理解した、と説明する。このため「虐待事件としてのケース移管ではなく、単なる情報提供」として受け止めた。

対して、今回の事例について、香川県は「決して終結したケースではない」と話す。独自ルールで、指導措置を解除していても、東京都でも引き続き児相が関わるべき案件として認識していた。

事件の発覚後、この引き継ぎの齟齬が問題視された。

品川児相の林所長は「香川側は、指導措置を解除しながら、ケース移管と位置づけていた。だが、事案が「終結」しているのなら、関わりを持つ必要性は低くなる。このため、転居前に児相が関わっていたという、単なる「情報提供」として受け、品川で新たに会議をして虐待ケースとして対応することに決めた」という。

厚生労働省虐待防止対策室の担当者は、今回のケースについて「国のルールが不明瞭だったこともあり、自治体の間にルールの違いが生まれ、(被害児は)そのはざまに落ちたといえる」と話す。

不可解な点

この時期、2つの児相がとった動きからは、不可解な点がいくつか見えている。

1月23日:家族が目黒区に転入していたことを、香川の児相が把握。

1月29日:香川の児相から品川の児相に電話で連絡。電話を取った品川の職員は「指導を続けるなら措置を解除しないでおいて」。この電話の後、資料をまとめて送付。

1月30日:再度電話でやりとり。品川の職員「どこまでできるか分からないが、対応を考える」。品川児相が緊急の受理会議。「虐待ケース」として受理。と決め、児童福祉司2人が担当に。この前後、品川の担当者から香川の担当者に「この家族のケースは『情報提供』ですか。『ケース移管』ですか」とのやりとりが2度ほどあった。

1月31日:「(虐待ケースとして)受理しました」と品川から香川に連絡が入る。

23日に、家族の転居先を把握していながら、香川の児相が品川の児相に連絡を入れたのは6日後の29日だった。

2月7日:香川の児相が父親の携帯に連絡。

2月9日:品川の児相の担当者が自宅を訪問。

2月20日:入学予定の区立小学校の入学前説明会。連携していた区子ども家庭支援センターから「子どもが来ていない」と、品川児相に連絡が入る。

品川児相の対応からも、対応に時間がかかっていたことが見て取れる。

1月30日に緊急受理会議を開き、虐待ケースとして対応していくことを決めたまでは迅速だったが、品川児相の担当者2人が初めて自宅を訪問したのは、10日後の2月9日だった。

このとき、自宅には母親と弟がいて、担当者と話をした。だが、結愛ちゃんについては、母親は「でかけている」とだけ答え、「あまり児相とは関わりたくない」といった趣旨の意思表示をしたという。会うことができないまま、3月3日に亡くなるまで姿を確認することはなかった。

船戸結愛ちゃん
船戸結愛ちゃん
母親・優里被告のFacebookより

病院の焦り

小学校の入学前説明会の前後、結愛ちゃんと母親が育児支援の名目で通院していた小児病院の主治医から、品川児相に電話がかかってきた。

「香川で負っていたけがの情報を伝えたい」。

医療機関から直接、転居先の児相に過去の子どもの虐待情報が伝えられること自体、異例だった。

父親と同居していたとき、けがが絶えなかった結愛ちゃんを診ていた経験から、転居して、父親と合流することで虐待が再発することを、医師は懸念していた。「以前、虐待としか考えられない、命に関わるけがをしていた」。品川児相の担当者にそう伝えた。

2月28日、品川児相からこの病院に診療記録などの提供を求められた。資料が到着したのは、結愛ちゃんが亡くなった3月初旬だったという。

引き継ぎをどう受け止めたのか

初訪問まで10日かかった点と、2月9日の初訪問から死亡するまで、品川児相が結愛ちゃんに接触しなかった点について、林所長はこう話す。

「香川県の児相からすべての資料が届いたのが2月2日。すべて読み込みながら、どういう対策をとればよいかを担当者が考える時期だった」

「私どもとしては、新しく関わっていく家庭なので、対応を考えたうえでこれからも支援やケアという形で適宜関わらせていただこうと思った」

2月20日、小学校の入学前説明会に、結愛ちゃんが来ていないと連絡が入ったことは、児相が家庭とつながるチャンスだったとも言える。そしてこの前後には、香川県の病院からも連絡が入っていた。

だが、品川児相から、この時点で、家族に改めて連絡を取ることはしなかった。

この時、連絡を取らなかったことについて、林所長は次のように説明する。

「この時点では(児相と両親の間で)関係ができていなかったため、電話では表情が見えにくいなどの点から、電話連絡は見送ることにした」

次回の家庭訪問は、3月上旬あたりと考えていた。担当者の間で「すぐに会うべき事案ではない。確実に直接、親子と接触する機会を作れないか」と、家庭訪問のスケジュールなどについて話し合いをしていたという。

「単に会えないだけだと、立ち入るべきケースなのか判断が難しい。近隣からの通告もない。『衰弱していた』などの情報があれば、違ったかもしれない」

一方で、林所長からは、次のような言葉も出ていた。当時、品川児相がこの家族について虐待の危険性が高いとは受け止めていなかったことが覗える。

「常に忙しい状況ではあるが、それを言い訳に対応を怠ったのではない。他のケースでも同じように対応していた」

「資料からは、緊急度が高いと推測できる要素がなかった。資料だけでは重要性が判断しにくかった」

「最初、香川からの連絡を『情報提供』として受けとめていたので、仮に人手が十分いたとしても、頻繁に会うようなケースではないと、判断した」

「重大なことになっているとは思っていなかった。家庭内で深刻化していても分からないし、どういう親子関係か推測しにくかった」

「緊急度が高いと判断できるケースであれば、違う対応だったかもしれないが、推測が難しかった」

この事件が起きるまで、国として転居時の引き継ぎについて、明確なルールはなかった。結愛ちゃんの虐待死事件を受けて7月20日、緊急総合対策が閣議決定された。

全国ルールが変わった

このなかで、香川と品川のような、転居時のケース対応の行き違いを防ぐため、次の事項が「全国ルール」として統一されることになった。

①全ケースについて、虐待が原因のけががある事案など、緊急性の判断の結果をケースに関する資料とともに、書面などで移管先へ伝える。

②緊急性が高い場合には、原則、対面等で引継ぎをする。

③移管元は引継ぎが完了するまでの間、児童福祉司指導等の援助を解除しない。移管先は援助が途切れることがないよう、速やかに移管元が行っていた援助を継続する。

年々増加する虐待相談件数

また、2017年度中に全国210カ所の児童相談所が受けた相談件数は、 13万3778件となり、過去最多だった。厚生労働省が8月30日、発表した。

年々増え続ける虐待相談件数。2017年度は、前年度に比べて1万1203件(9.1%)増え、27年連続の増加となった。

全国で77人が虐待で亡くなっている

同日、厚労省は2016年度に全国で起きた虐待死についても発表した。

全国で亡くなった子どもたちは、67件で77人だった。

虐待死のうち、身体的な虐待は27人、十分な食事を与えないなどのネグレクトは19人。無理心中は18件、28人いた。

また、2016年4~6月の3カ月の間に、児童相談所が受理した重大事例は14人。いずれも、命の危険に関わる傷を受けていたり、衰弱死の危険性があったりする事案だった。

うち5例はけがをする前に児童相談所で関与しており、4例は市町村の関与があった。このほか、2018年6月1日時点で、全国で所在が確認できていない児童が28人いる。

今回、結愛ちゃんを最後に担当した品川児相の林所長は、次のように話している。

「児童相談所は、子どもを守る最前線ではあるが、すべてが児相だけでできることではない」

この事件の検証は、東京都や香川県によって進められており、今年度中にも結果が出る見通しだ。

年間で死亡した子どもは結愛ちゃん1人だけではない。1週間に1人以上が、虐待で亡くなっている。この数は、社会に対しての覚悟を問いかけている。

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